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功利主義における「幸福」はコレだ!『功利主義』第四章

こんにちは、らるです。

今日も『功利主義』をやっていきます。

今日は、功利主義における『幸福』に
ついてです。

人は皆、幸福を望む

というのが、功利主義では前提になっています。

ですが、
「私はいつも幸福を望んでいます」なんて
言うと、少し違和感を感じて
しまいますよね。

例えば、音楽が好きな人が居たとします。

その人は
「私は、いつも音楽を聴いていたい」とは
思っても、いちいちそれを
「幸福になるために、音楽を聴きたいんだ」
などとは考えません。

(よくよく考えてみれば
 音楽を聴くと幸福になっているなぁ…と
 気づくかもしれませんが)

「幸福」を目的にしているのではなく
「音楽そのもの」が目的になっている

ということです。

ここで、違和感を感じるかもしれません。

功利主義では、あくまでも「幸福」の
最大化を目指してるんじゃないの?

もし、「幸福」を目的にしているんじゃなくて
「音楽そのもの」を目的にしているなら
それって、功利主義の原理に反してない?

…と。

これに対して、ミルはこう言っています。

それ自体のために望まれている場合でも、幸福の一部として望まれているのである。このような手段を持っているだけで、人は幸福になる。あるいは、幸福になるだろうと思っている。その手段を手に入れることができなければ不幸になる。このような手段を望むことは、幸福を望むことに他ならないのである。

P96

「それ自体」を望んでいても
「幸福の一部」として望んでいる
のだ

というわけです。

つまり、ミルのいう幸福というのは…

幸福は抽象的な観念ではなく、
具体性のある一つのまとまりである。

P96

幸福というのは、
ぼんやりしたものではなく

音楽も、
健康も、
権力も、
名声も、
お金も、
そして…徳も
『全部』含んでいる
「具体的なもののまとまり」だ


といっているわけです。

人が望む具体的なものが
全て幸福の一部だ
 …というわけですから

人は皆、幸福を望む は
成り立つことになりますね。

まとめ

功利主義における幸福
音楽、健康、権力、名声、お金、徳…等々
人が望む具体的なものを『全部』含んだ
「具体的なもののまとまり」である。



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