「恥ずかしい」をやっていこう!
こんにちは、らるです。
最近、自分の行動力の無さについて
考えていたことがありました。
その時にたどり着いた結論が
「恥ずかしい」ことこそ、すべき
ということでした。
…
行動を起こせない理由には
種々ありますが
その大きなものの一つが
「恥ずかしいから」やらない
というものです。
これは、
本来はやれる能力があると思ってる
そして、やりたいとも思っている
けれど、やらない
という話なので
非常に勿体ないものになります。
…
冷静になって
やる場合、やらない場合の
メリットを比べてみましょう。
・やらない場合
恥ずかしい思いをしないで済む
これだけです。
確かに大きいメリットですね。
行動を起こしていないので
プラスはありませんが
マイナスにはなりません。
・やる場合
成果が得られる可能性がある
できると思ってやっているわけですから
上手くいけば成果が得られます。
異性に声をかければ
連絡先が貰えるかもしれませんし
授業中に手を上げてきちんと答えられれば
周りからの評価が上がるかもしれません
新しいコミュニティーに飛び込めば
新たな出会いが得られるかもしれません
いずれにしても、
良い成果が得られる可能性があります。
…
一方で、上手くいかない可能性があります。
声をかけても無視されたり
授業中に手を上げて間違えたり
新しいコミュニティーに飛び込んだら
全然馴染めなかったり
…これらは当然嫌ですね。
だって、恥ずかしいですから。
…
ポイントはこの
「恥ずかしい失敗」を
どうとらえるかです。
確かに、
「恥ずかしい」のですから
心としては損しています
その点は認める必要があります。
その上で、本当にそれだけか?
ということです。
異性に声をかけて無視された
を考えてみましょう。
これは、無視されてはいますが
「声をかけて」いるわけです。
実際に行動を起こしたわけですから
得られていることがあるわけです。
それは例えば、
・声をかけられた、という自信
・なぜうまくいかなかったのか考える材料
・後に笑い話として使えるネタ
といったものです。
案外、冷静に考えてみると
「はずかしさ」と引き換えに得られるものは
多かったりするものです。
…
それでも動けないのはなぜ…?
最近、こんな本を読みました。
自分の中にある「天才性」を
探すという趣旨の本なのですが
その最初のステップというのが
過去の経験にささる「とげ」を抜く
というものです。
これはつまり、
若い時の何気ない経験が
自分の価値観を作っていて
それがある種の「縛り」になっている
ということです。
それに気づき、取り払うことが
天才への第一歩だ、という話になっています。
…
この過去の「とげ」が
「恥ずかしい」から動けないの大元に
なっているケースも
あるのではないかと思います。
私自身のことを思い返してみると
思い当たることがありました。
小学校に上がる前までは
活発に、何でも挑戦して、
目立つことでもやってみる子供でした。
ですが、小学生になったあと
私は変わりました。
目立つことをやると、
先輩に目をつけられて
はやし立てられたり
ジャマをされるように
なったからです。
走ることでも
ドッチボールでも
縄跳びでも
けん玉でも…
いつしか、できるだけ
目立たずに行動するように
なっていました。
恥ずかしい思いや
イヤな思いをせずに
済むように…です。
この頃の感覚がそのまま残って
大人になるまで
ずっと続いてしまっていました。
…
これを自覚した時からは
「はずかしい」よりも
「やりたい」を意識的に重視して、
生きていきたいと思いました。
…
まとめ
「はずかしい」からやらないは勿体ない
失敗しても
・行動したという自信が得られる
・失敗した結果から次の成功につながる情報が得られる
・失敗したという笑い話のネタが得られる
それでも「行動できない」のには
もしかすると「過去の人生における「とげ」」が
関わっているかも?