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「恥ずかしい」をやっていこう!

こんにちは、らるです。

最近、自分の行動力の無さについて
考えていたことがありました。

その時にたどり着いた結論が

「恥ずかしい」ことこそ、すべき

ということでした。

行動を起こせない理由には
種々ありますが
その大きなものの一つが

「恥ずかしいから」やらない

というものです。

これは、
本来はやれる能力があると思ってる
そして、やりたいとも思っている

けれど、やらない


という話なので
非常に勿体ないものになります。

冷静になって
やる場合、やらない場合の
メリットを比べてみましょう

・やらない場合
恥ずかしい思いをしないで済む

これだけです。
確かに大きいメリットですね。

行動を起こしていないので
プラスはありませんが
マイナスにはなりません。

・やる場合
成果が得られる可能性がある

できると思ってやっているわけですから
上手くいけば成果が得られます。

異性に声をかければ
連絡先が貰えるかもしれませんし

授業中に手を上げてきちんと答えられれば
周りからの評価が上がるかもしれません

新しいコミュニティーに飛び込めば
新たな出会いが得られるかもしれません

いずれにしても、
良い成果が得られる可能性があります。

一方で、上手くいかない可能性があります。

声をかけても無視されたり

授業中に手を上げて間違えたり

新しいコミュニティーに飛び込んだら
全然馴染めなかったり

…これらは当然嫌ですね。
だって、恥ずかしいですから。

ポイントはこの
「恥ずかしい失敗」を
どうとらえるか
です。

確かに、
「恥ずかしい」のですから
心としては損しています

その点は認める必要があります。

その上で、本当にそれだけか?

ということです。


異性に声をかけて無視された

を考えてみましょう。

これは、無視されてはいますが
「声をかけて」いるわけです。

実際に行動を起こしたわけですから
得られていることがあるわけです。

それは例えば、

・声をかけられた、という自信
・なぜうまくいかなかったのか考える材料
・後に笑い話として使えるネタ

といったものです。

案外、冷静に考えてみると
「はずかしさ」と引き換えに得られるものは
多かったりする
ものです。

それでも動けないのはなぜ…?

最近、こんな本を読みました。

自分の中にある「天才性」を
探すという趣旨
の本なのですが
その最初のステップというのが

過去の経験にささる「とげ」を抜く

というものです。

これはつまり、
若い時の何気ない経験が
自分の価値観を作っていて

それがある種の「縛り」になっている
ということです。

それに気づき、取り払うことが
天才への第一歩だ、という話になっています。

この過去の「とげ」
「恥ずかしい」から動けないの大元に
なっているケースも
あるのではないかと思います。

私自身のことを思い返してみると
思い当たることがありました。

小学校に上がる前までは
活発に、何でも挑戦して、
目立つことでもやってみる子供でした。

ですが、小学生になったあと
私は変わりました。

目立つことをやると、
先輩に目をつけられて
はやし立てられたり
ジャマをされるように
なったから
です。

走ることでも
ドッチボールでも
縄跳びでも
けん玉でも…

いつしか、できるだけ
目立たずに行動するように
なっていました。

恥ずかしい思いや
イヤな思いをせずに
済むように…です。


この頃の感覚がそのまま残って
大人になるまで
ずっと続いてしまっていました。

これを自覚した時からは
「はずかしい」よりも
「やりたい」を意識的に重視して、
生きていきたいと思いました。

まとめ

「はずかしい」からやらないは勿体ない

失敗しても
・行動したという自信が得られる
・失敗した結果から次の成功につながる情報が得られる
・失敗したという笑い話のネタが得られる

それでも「行動できない」のには
もしかすると「過去の人生における「とげ」」が
関わっているかも?

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