「生活」の3つのスタイル【ニコマコス倫理学⑤】
こんにちは、らるです。
今日もニコマコス倫理学の
続きを見ていきましょう。
今日は、生活の3つの類型についてです。
人は(広い意味での)「善」を求める…ということ
そして、最高の「善」は幸福である
ということをこれまでお話してきました。
ただ、その「幸福」の中身が
実は人によって異なっていて
そして、何を「幸福」とするかが
生活のパターンを変えている
という話です。
三種類の生活類型
そして、その生活には
3つのパターンがあると
アリストテレスは言います。
快楽を多く味わうことこそが幸福だ
…となると、「快楽的生活」になります。
これはわかりやすいですね。
究極的には
気持ちいいこと、楽しいことだけやって
過ごしていきたい…という感じでしょう。
次の「社会的生活」は
社会の中でしかるべき役割を果たして
自己実現していくことが幸福だ
というパターンです。
やりがいをもって、仕事に生きる
…というのが典型例でしょう。
カッコいいと思う一方で
ちょっと遠いかなぁ…とも感じてしまいますね。
3つ目の「観想的生活」は
かなりわかりにくいですね。
一言で言うと
「真理を認識していくことが幸福だ」
という哲学者の生活です。
先ほどの社会的生活は
まだ想像がついたかもしれませんが
ここまでくると
ピンとこないですよね。
ですが、実は、私たち自身も
この心理の認識=「知る」ということの
楽しさは感じているんです。
「哲学とか、真理探究とか興味ない…」
という人であっても
旅先で新たな風景に出会ったり
音楽を聴いたり
新しい食べ物を食べたり、
見た目やにおいを感じたり…
ということはすると思います。
これらも「知ること」なわけです。
「知ること」の喜びに生きるのが
「観想的生活」なわけですから
実は、まったく遠い話…というわけでも
ないんですね。
まとめ
生活には3つのパターンがある
快楽的生活=快楽を求めて生きる
社会的生活=社会での自己実現を求めて生きる
観想的生活=「知る」ことを求めて生きる
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