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評判を気にしてしまう人へ…【ラッセル『幸福論』⑥】
誰も気にしていない…と
わかっていつつも、
つい評判を気にしてしまいます。
らるです。
今日は、世の中からの評判に関する話。
ラッセルが不幸になる原因の一つとして
挙げていたのが
『世評に対する怯え』です。
現代はSNSの時代になり
以前に比べて、一人の個人が
多くの人に見られる機会が
増えてきています。
ですので、『世評』に関しては
以前よりも気になりがち…となるのも
当然ではあります。
今日は、そんな『世評』に対して
どう対応していったらよいか
という話を紹介していきます。
そんな世評は無視しよう
私見によれば、専門家の意見は別として、一般に、重大な問題でもささいな問題でも、他人の意見が尊重されすぎているのではないか。概して、飢えを避け、投獄されないために必要なかぎりで世論を尊重しなければならないが、この一線を越えて世論に耳を傾けるのは、自ら進んで不必要な暴力に屈することであり、あらゆる形で幸福をじゃまされることになる。
・飢えを避けられる
・投獄されない
これらを満たせるなら
それ以上「世論を尊重する必要はない」
これがラッセルの結論だというわけです。
これ以上、世論を尊重していると
「幸福を邪魔される」ことになります。
世の中の目を気にして
好きなことをやれない
という話はよく聞く話です。
私自身もつい、周りの目を
気にしてしまうことがあり
こうしてnoteを書いていても
「これはちょっと印象悪いかな…」
などと思うと、記事を消してしまう場合も
あります。
こうした趣味の活動は
特に「飢え」(=生きるための稼ぎ)には
関係ありません。
ですから、あとは
「投獄されない」(=犯罪にならない)程度なら
何を書いてもいいはずです。
今回の話を読んで
もっとのびのびとやっていいのかな
…と思いました。
人の意見を尊重しすぎていると幸福にはなれないということです。「投獄されないために必要なかぎりで……」とは、犯罪にならない範囲であれば世論など尊重しなくてよいということ。ラッセル自身は反戦運動をして投獄された経験がありますから、かなり皮肉の効いた開き直りです。そして「世評に本当に無関心であることは、一つの力であり、同時に幸福の源泉でもある」と断言するのです。
「世評に本当に無関心であることは、
一つの力であり、同時に幸福の源泉でもある」
世評への無関心は「力」というのは
中々刺激的なフレーズですね。
私も、この力を身に着けていきたいと思います。
まとめ
・飢えを避けられる
・投獄されない
これらを満たせるなら
それ以上「世論を尊重する必要はない」
「世評に本当に無関心であることは、
一つの力であり、同時に幸福の源泉でもある」