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ヒトラーの『師匠』ル・ボン【C・リンドホルム『カリスマ』⑧】

前回までウェーバーとデュルケムの
話をしてきました。

二人の理論の共通点は

カリスマへの没入には
原初的な『自己喪失』の衝動が
大きく関わっていること

カリスマにおける
「感情的高揚」が重要であること

でした。

しかし、ここまでの話では
「なぜ、カリスマが人に訴える力を持っているのか」
というところが語られていません。

今日は、その点について
『群衆心理学』の観点から
説明したル・ボンの話をしていきます。

ヒトラーはル・ボンを自分の師匠と認めることを誇りとしたのである。

P101

ル・ボンの語る『群集心理』は
大衆を扇動するにあたって
非常に有効な知見を与えてくれるものです。

私のnoteでも、以前に扱ったことがあります。

群集心理の考え方も
デュルケムと同様に

人間は集団的存在である

ということを前提としています。

個人の好み、考え方が集まって
それが集団としての考え方を
作る…ということではなく

集団には集団特有の性質がある
ということです。

デュルケムとの違いは…

群集心理学者たちはデュルケムと同様、集団は一定の自然傾向に服すものと仮定した。だがそうした傾向は、自発的な創造へと向かうのではなく、知性を欠いた反復行動へと向かうものであった。

P103

集団の傾向に関し

デュルケム→自発的な創造
ル・ボン→知性を欠いた反復

と言っているわけです。

ル・ボンの方が
集団に関して悲観的に見ている
ということですね。

群衆に対する見方として…

原初的群衆とは、エネルギッシュではあるが不定形で受動的な、またみずからに一定の形をあたえてくれるような影響を待つだけの存在であった。

P103

デュルケムが「集合的沸騰」と言い
社会そのものを発生させる…と信じた
エネルギーに対しても

ル・ボンは「受動的」
「影響を待つだけ」…と
悲観的なわけです。

エネルギーがあることは認めますが
ただ、それは「形を与えてくれる何者か」
を待つだけの存在である

というわけです。

集団の中にある人間はもはや
「催眠」にかけられた状態のようなもの
とまで表現しています。

この状態にある人は
自発的に行動していると「信じている」のですが
実際には「意思を放棄」して
「模倣の奴隷」になってしまっている

ということです。

群衆が待ち望むもの

群衆と夢遊病者はいずれも、自分を行動に駆り立ててくれる霊感にみちた中心人物の存在を必要としている。

P106

先ほども述べた通り
群衆は「自分に形を与えてくれるもの」を
望んでいます。

すなわち、カリスマです。

群衆が、カリスマにどれだけ強く従うか
ということは、
指導者側の差し出す刺激の強さに比例する
と言います。

刺激の種類がどうかは問題ではなく
強い刺激ほどいい、というわけです。

指導者には、こんな特徴が求められます。

指導者は、実像より大人物と見せるため、いかにも楽しげに自分の役割を演じなければならない。指導者は高い情動性を帯びて見え、大げさな身振り劇的な幻想を活用しなければならない。

P107

指導者の空想の内容はどんなものであろうとかまわない。理性的に討論することが不可能なものでなければならない、という以外は。

P109

誇張し、断言し、反復に訴え、決して何ごとも理性的な理由づけによって証明しようとはしないこと」(ル・ボン、155:51)

P109

指導者はまず、群集の模倣の対象となるために、信奉者の最も深い欲望の鏡となって、それを拡大してみせなければならない

P110

・楽しげに役割を演ずること
・激しく感情的であること
・大きな身振りを用いること
・劇的な幻想を用いること
・理性的に論じないこと
・誇張し、断言し、反復すること
・信奉者の欲望を拡大して映す鏡となること

こういったことがカリスマ指導者には
求められるわけです。

SNSで人気のインフルエンサーには
よく見られる特徴な気がするのは
きっと私だけではないはずです。

まとめ

群集心理学者からすれば
集団は、「催眠」にかかったような状態で
自分たちにわかりやすい「形」を
あたえてくれる指導者を待っているものである。

カリスマ指導者の特徴は以下のようなものである。

・楽しげに役割を演ずること
・激しく感情的であること
・大きな身振りを用いること
・劇的な幻想を用いること
・理性的に論じないこと
・誇張し、断言し、反復すること
・信奉者の欲望を拡大して映す鏡となること

続き


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