それは「愛」か「欲望」か
昨日に引き続き
『「普通がいい」という病』から
愛と欲望の違いは何かを
紹介していきます。
『愛』ってなんだと思いますか?
好きって気持ちでしょうか?
こだわりでしょうか?
色々意見はあるところだと思いますが
泉谷先生は、
とっても素敵な定義を
してくれています。
『愛』とは
相手が相手らしく幸せになることを
喜ぶ気持ちである
『相手が、相手らしく幸せに』
とても良い言葉です。
私自身の願いにも
とても合致するので
非常に共感できました。
そして『欲望』の方は
相手がこちらの思い通りになることを
強要する気持ちである
愛のフリをした欲望
良く見かけませんか?
「あなたのためなのよ!」
などと言いながら
子供の嫌がることをやらせる親
「愛しているから!」と
厳しい束縛を突きつける恋人
「お前のためだから!」と
ナゾの教えを押し付けてくる上司
これらは結局
単に「相手を思い通りにしたいだけ」
「愛」でもなんでもなく
ただの「欲望」に過ぎません。
じゃあ、こんなのはどうでしょう?
…
あなたはパンを5つ持っています。
あなたは3つ食べれば満腹になります。
目の前に飢えてそうな人が現れました。
あなたは本当は3つ食べたいところを
2つだけに我慢して
残りの3つを飢えた人にあげました。
すると…
「パンは嫌いだから」と
その場に捨ててしまいました。
あなたは怒りました。
「なんだよ!我慢してまであげたのに!
喜ぶと思ったのに!」
…
さて、どうでしたでしょうか。
あなたは良いことをしていますよね。
しかし、これは『愛』でしょうか?
相手をコントロールする意図が
含まれていないでしょうか?
そう、これは『欲望』です。
「感謝して欲しい」という
「相手を思い通りにする」意図が
この行動の中にはあるのです。
「人の為に善いことをする」と書いて
偽善というやつです。
偽善は欲望なのです。
…
では「愛」はどのようにすれば
なせるのでしょうか。
それは「喜捨」です。
喜んで、捨てることです。
余ったから、私は要らないから
捨てる代わりにご自由にどうぞ
ということです。
先ほどのパンの例で言うなら
自分が満足するための3つは確保
余った2つだけをあげれば
よかったのです。
その2つを捨てられようと
もともと余り物だったのですから
どうでもよいわけです。
私の好きなnote投稿者に
「これは自分のひとりごと
誰かのために書いてるわけじゃない
でも、お前に役立つなら勝手にどうぞ」
というスタンスの方が居ますが
まさにこれが「喜捨」の感覚
何も押し付けること無く
相手が相手のままで
幸せになることに
繋がっていく
真の「愛」の姿です。
…
と、いうことで
「愛」のためには
「余りもの」を作らねばいけません。
つまり、
誰かに「愛」を与えるために
まず自分を満たす必要がある
ということになります。
今日のまとめ
まずは自分を満たし
そして余らせる
余ったものを
捨てる代わりにあげる
それこそが
見返りを求めない「愛」
である。
…
最後まで読んでいただき
ありがとうございました!
「愛」のために
まず「自分を満たせ」は
なかなか刺激的な言葉でした!
私も愛に生きられるよう
がんばります!
なるほど! と
思っていただいた方は
余った力=愛で
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嬉しいです!
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