没頭する対象は何でもいいのか?
子供のころから没頭する対象は
ゲームばかりだったように思います。
らるです。
今日は、先日紹介した
「遺伝」の本から
才能を発揮できるようになるために
「没頭」する対象はなんでもいいのか?
という話をしていきます。
まずは「没頭」が大事、でも…
才能の開花…というのは
能力の発現といいかえることも
できるでしょう。
そこで重要なのが「没頭」というわけです。
確かに、才能を開花させる人は
何かを熱心にやりこんでいますよね。
ですからここは、素直に納得できるかと
思います。
すると、次に疑問になってくるのが
「没頭」するならなんでもいいの?
という話でしょう。
たとえば
「ソシャゲの課金にハマるのはあり?」
といった疑問です。
これは、ダメそうですよね。
では、どう線引きをしていったら
いいのでしょうか。
2つの基準
「没頭」の対象として
能力の発現につながるかどうか…という点では
2つの基準があります。
(1)学習性のある素材
(2)本物につながっている
この2点が基準になってくるのだそうです。
(1)学習性のある素材
これは「問題解決に取り組んでいるか」
がポイントです。
たとえば、同じようにゲームをやるにしても
単に「ガチャで当たりを引くのが気持ちいい」と
感じて、ひたすら課金をしている…
というのであれば、「学習性が無い」
と言えますし
データを分析して、
攻略するための仮説を立て、実践し、
改良を続けている…というのなら
「学習性がある」と言えます
(2)本物につながっている
こちらはちょっと難しい表現なのですが
要は「社会の中で文化として根付いているか」
ということなのかと思います。
先ほども例に挙げたゲームで言えば
将棋、囲碁なんかは昔から
文化として根付いていましたし
最近では「eスポーツ」として
いわゆるテレビゲームでもプロが生まれ
すっかり文化として根付いています
こういったものにつながっているかどうかが
ポイントになるわけです。
社会に認められているものでないと
「能力の発現」にならないの?
…という疑問もあるかもしれませんが
これは、その通りです。
そもそも「能力」というのは
それを測るモノサシがあって初めて
認められるものなので
「誰にもすごさがわからない」なら
「能力の発現」として認められない
ということなわけです。
この点を考えると
(2)本物につながっている
つまり、文化として社会に認知されているか
が能力の発現のために重要…ということは
納得できるかと思います。
個人的には、多くの人に認められるモノサシが
無いようなもの(能力の発現と認められづらい)
にも、面白さがあると思っていますので
認められないから、頑張る意味がない とは
思わないで欲しいなあ…という気はしています。
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