南米生まれの適当ぶっこきおじさん(Ichazo)が東洋人の私の生い立ちをピンポイントで当ててくるエニアグラムとかいう類型

スピリチュアル界のドスケベ。

すごいね!
すっごいね!


こんにちは。
私は以前から
エニアグラムが好きなのですけど。

ルーツをそれとなく見てたら
もっと魅せられてしまったというか。

だって
どこか神秘的で宗教的なのに
妙に人間描写の解像度が高い。

南米生まれの変なおじさん(Ichazo)が
突然。

「ワイには見えた…人間のすべてが…」
「西洋のボンクラどもに霊性を叩き込むのが務め…」

とか適当言い始めて教えてたにしては
人間分かりすぎじゃないですか?
もう適当でもぜんぜんいいよ。

だってそうでしょ。

本当にそこに至るまで
人間、人間性を透徹した視点で
見てきたんやろなって
すごいなあって
あらためて。

神秘性に彩られた循環小数と図形。
9タイプかける2ウイングかける6本能で
その答え108は
煩悩の数と同じ。

この計算は適当ですけど
件のおじさん(Ichazo)が
108のエニアグラムを用意したというのは
そうみたい。

9の性格に108の視点を用意したってこと?

それに
3とは"仲介"という概念を生み
そこに"均衡"をもたらす最小の数。
そういえば弁証法もある意味3ですし
じゃんけんもそうですね。

少しの時でも宇宙に存在しえたものは
そこに調和をもたらす3があり
循環をもたらす7がある。

そう考えてみると、
森羅万象、万物流転。

そこにそれがあるならば
それは3と7である。

なるほど~?

何の根拠も私にはないですけど
何かありそうな気がします!
私、電波受信できたかもしれません!!

人間の心の中って魔境。

そんな霧の中を真剣に旅してきた
スピスピ強者たちが見つけた叡智。
それはIchazoだけじゃなくて
先達のGurdjieffや
Naranjoをはじめとした後進も含め。

"発明"じゃなくて"発見"だって
教祖さま(Ichazo)が言ったそうですけど
とても良く言い表してると
思います。

"人工物"じゃなくて"自然物"だって。
最初からそこにあったんだって。

それぞれ良しあしありますけど。

私はやっぱり
"あるがまま"に惹かれます。
本物だって思えるから。
"存在"を感じられるから。

ここまでくると
現代風にアレンジされた
耳触りのいい類型論ではなくて。

もっと生々しくて陰鬱らしい
神秘のベールに包まれた
初期のエニアグラムが
気になってきます。

だって
108も視点があったはずの9の性格。
現代によく伝わってるのって
たった4つ?6つ?とからしいです。

(たとえば、ひとつには「囚われ」
 もう一つには「美徳」が書いてある
 感じみたい)

それならもう
ぜんぜんまだまだ
"私を知るてがかり"
眠ってそうじゃないですか?

あ。
私は日本語wikipediaの
「エニアグラム」の記事を読んで
すごく詳しく書いてあって
びっくりしてるだけなので。

そこから辿ってみたら
類型に留まらないその深さが
垣間見えるかもしれないです。

ある意味宗教チックで
スピスピしてるのが
エニアのいいところ。
本当にそう思います。

どうせ宗教なら
科学教じゃなくて
エニア教にしましょう!

私は真実味があればどちらでもいいです。

おしまい。

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