2020年4月25日
エラい人たちが「10万円」について喧々諤々の議論をしている.
己のために使うのが後ろめたいのであれば,己の「推し」のために使うことを提案したい.
悪疫で激烈な影響を受けた業界がある一方で,私のナリワイは影響を受けていない.以前は帰り道に小料理屋やBarへ繰り出したり,休日に野山を彷徨していたが,それらがテイクアウトやお取り寄せに,自宅での映画鑑賞や読書に変わった程度だ.
幼い頃,聖書で「ノアの方舟」を読んだ際,自分たちだけが生き残って,マンガもテレビもない世界で,生きていて楽しいの?と素朴な疑問を母に投げたことを思い出す.
今,通勤と買い物,散歩以外に外出することはない.その一方で,私の「推し」たちが苦境に立たされていることをひしひしと感じる.サードプレイスとして大切にしてきた小料理屋,Bar,書店,旅の宿,芸術文化・・・
悪疫が去った後,それら一切が無くなっている世界に,私は生きる意味を見いだせないだろう.
命はもちろん大切だ.しかし,人生や生活も大切だ.それらは同じ「LIFE」と表現され,そもそも不可分なものなのだ.それらを大切にするバランスが重要だと思う.そして,無数のLIFEが紡いできた文化は,失ったらもう二度と戻らないのだ.
ところで,「推し」「推す」とは何か.オタク界隈がいろいろ言い合っているが・・・
”「推す」って何なんでしょうか。好きになることとも違う、ただ頑張って欲しい!というわけでもない。そして推しメン達の何か力になれるわけでもない。ただ、純粋に彼らを「推し」ていたい。これは筆舌に尽くし難い特別な感情なのかなぁと思っています。”
https://note.com/colorful_3shinn/n/n901c478d8b9a
”ファンは「推し」に何を望んでいるのでしょう?
「推しの夢が叶うこと」「推しの成長、健康、幸福」「あわよくば、その様子を少し離れたところから見ていたい」「あわよくば、その姿を記録して生きる糧にしたい」「推し」が頑張る姿や嬉しそうな顔を、いつまでもそばで見守っていたい。それが自分の元気の源、人生の潤いなのです。
これが、誰かを「推す」ということの本質だと思っています。”
https://note.com/rioindigo/n/n42a6a4dac83e
そう.「推す」こと自体が,己の元気の源,人生の潤いなのだ.
食べて推す,飲んで推すことができる「推し」には,毎日食べて飲んで,精一杯応援したい.本を買って応援できるなら,その書店で買い続けたい.
そして,この災禍で,一切の表現を奪われてしまった芸術家にも,何かできる支援はないだろうか・・・
あのクラウドファンディングも来週で終わってしまう.
私は素敵な「提灯」に捧げたい.