内なる治療医との対話
「ご本人は病気のことをどのように捉えていますか?」「ホスピスへ移ることについて、ご本人はどう考えておられますか?」私がホスピス外来で、来院した家族に必ず投げかける問いである。
「どうって言われても・・・」「本人にはまだホスピスのことを話していません」、多くの方がそう答える。紹介状や、外来での家族との対話の中から、患者本人の意思は見えてこない。多くの場合、「抗がん治療をしない患者はウチではこれ以上診られない」と言われ、かといって、すまいへの退院もできず、仕方なくホスピスへやってくる。自ら希望してホスピスの門を叩く人は少ないのが現実である。
人生の最期をどのように過ごすかという大切な問題を、患者本人のいないところで話し合い、決めてよいのかという後ろめたさに、私も、おそらくは家族も苛まれている。
患者、家族、紹介元の主治医との間にどのような対話があったのか。私は主治医を咎めるつもりはない。なぜなら、かつてがん治療医であった自分も、患者と対話をしたことがなかったからだ。
私が医師になった頃、自分が担当した患者は最期まで診るのが鉄の掟であった。この癌のこの病期なら、こう治療するのが当然だと患者に「ムンテラ」し、治療を行い、最期まで自分が主治医として診ていた。時が移り、「ムンテラ」が「IC」と呼ばれるようになった頃、医師は患者に選択を迫るようになった。「手術しますか?放射線にしますか?」「抗がん剤を続けますか?」「急変するかもしれません。延命治療を受けますか?」など。
私も、多くの情報を与え、患者本人に決めさせることが良い医療だと信じ、患者・家族が方針を決めるまで、「IC」なるものを繰り返した。決めかねる場合には、データを示し、患者が理解したと私が感じるまで説明を続けた。時に、ホスピスってどうでしょうか?と患者・家族から尋ねられても、「そんなものは高嶺の花、待ちが何ヶ月もあって、とても入れませんよ」と言っていた。
そこには、「今後、どのような経過が予想されるか」「どこで、どのように生きていきたいか」「何を大切にしていきたいか」などという対話はなかった。私も、患者が望むなら、抗がん治療を提供するのが当然だと信じていたため、標準治療が終わった後には、「患者の希望のため」と効果が望めない抗がん剤を処方し続けたこともあった。内服ができなくなるまで治療は続けられ、治療が終わると間もなく患者は旅立っていった。
時代が変わり、DPC制度の導入などで最期まで自分が主治医として患者を診ることが許されなくなった。退院支援や医療連携が整備され、自分はがん治療医として、手術だけ、放射線治療だけ、薬物治療だけを行うことを求められるようになった。そして標準治療の効果が無いと判定すると同時に、ここでは診られないからと紹介状を書き、患者は他の病院へと移っていき、築いてきた関係はあっさりと終了した。そうしなければ医療は廻らないと言われ、何かがおかしいと思っても、もう自分の力ではどうにもならなかった。
「一体、誰のために何をやっているんだ」、虚無と無力に包まれているときに、インターネットで「緩和ケア」という言葉に出会った。初めは眉唾ものだったが、そこには、どのように患者・家族と対話を行うかの答えが散りばめられていた。私の知らないところで、患者を見捨てずに最期まで診るケアが育まれ、花開いていたのだった。
考える間もなく大学へ辞表を書いて、気づいたらホスピスにいた。実は、ホスピスに立ち入ったのは、その再就職の面接のときが初めてだったのだ。どうしてホスピス医になろうと思ったのですか?と聞かれても、さて、どうしてでしょうね・・・とはぐらかすことしか出来ない。
だから、私は紹介元の主治医に物申す気にはなれないのだ。私は外来で、患者・家族と対話をしながら、自分の内なる治療医と対話している。患者・家族と対話ができなくて困っているのは、紹介元の主治医であり、かつての私自身なのだから。
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