スペイン風邪は、春に「相撲風邪」と呼ばれ力士の間で広まった。そして秋に大流行し国内38万~50万人の命を奪った
最初に力士の間で広まったスペイン風邪
2020年5月13日に28歳の若さで新型コロナウイルス感染症によって亡くなった大相撲の三段目力士、勝武士(高田川部屋)の訃報は、1918年-1920年に世界中で猛威をふるったスペイン風邪のことをどうしても想起してしまいます。
日本でスペイン風邪が猛威をふるったのは、1918(大正7)年、秋から。しかし、その半年前、台湾に巡業していた力士3名が急死するなど、力士の間に「相撲風邪」または「力士風邪」と呼ばれる謎の感染症が広まっていたのです。現在では、これがスペイン風邪が国内に大流行する先触れだったとされています。
1918年5月8日の朝日新聞は次のように伝えています。
流行する相撲風邪――力士枕を並べて倒れる
力士仲間にたちの悪い風邪がはやり始めた。太刀山部屋などは18人が枕を並べて寝ていた。友綱部屋では10人くらいがゴロゴロしている(1918年5月8日付朝日新聞)
5月の夏場所では高熱などにより欠場する力士が続出し、番付も組み替えられたそうです。
力士が感染症に罹りやすい理由
力士はあの巨体を維持するために、過剰ともいえる量の食事をとることから、糖尿病などの基礎疾患を持つ者が多いといいます。立ち合い時の激しいぶつかり合いのイメージとは異なり、感染症には弱いのかも知れません。
今回亡くなった勝武士は28歳であり、国内で20代以下のコロナウイルス感染症の死亡例は初めてのケースです。
勝武士の訃報に先立ち、4月25日、日本相撲協会から7名の力士の感染が発表されています。
日本相撲協会は25日、高田川親方(元関脇安芸乃島)と十両白鷹山を含む計6人の新型コロナウイルス感染を発表した。10日には幕下以下の力士1人の感染が判明していて、これで計7人に。
(2020年4月26日付東京新聞)
太字部分「幕下以下の力士」とは、ほかの報道と突き合わせると、今回亡くなった勝武士のこととわかります。勝武士は、4月4日に発症(38度台の発熱)。4月10日に陽性と判定され、4月19日に集中治療室に入り、5月13日に死亡しています。
球技の場合、ボールに対して密になりますが、格闘技の場合、人に対して密になります。
さらに、格闘技の中でも、打撃系の場合、距離を保った上で手足を伸ばて攻撃するスタイルになりますが、相撲の場合、体のぶつかり合いから始まり、相手に顔を近づけた状態で、裸の体を全力で密着させて闘うスタイルです。取組後には発声もままならないほど、激しい息遣いをしている様子もめずらしくありません。あらゆるスポーツの中で、最も感染リスクの高い格闘スタイルのひとつであることは間違いありません。
相撲部屋という大部屋で共同生活し、大鍋を多人数で食べる習慣も感染症予防の観点からはよくありません。巡業で各地を巡ることも、感染に罹りやすい条件の一つといえます。
その半年後の秋に、大流行が始まった
スペイン風邪の話に戻りますが、「相撲風邪」から半年後、1918年10月に国内でスペイン風邪の大流行が始まります。スペイン風邪は、若い世代ほど重篤な症状に陥りやすかったという特徴があり、軍隊(当時、第一次世界大戦だった)や学校で大流行が始まりました。
鯖江第36連隊の流行感冒患者は200余人になり、連隊は外出や面会を一切禁止した(1918年10月4日付朝日新聞)
愛媛県大洲町で流行感冒が大流行し、600人の患者がいる。中学校と高等女学校の多数がかかり、1週間、39度から40度の熱が出た。患者は10歳以上30歳以下に多い (1918年10月16日付朝日新聞)
最近東京を襲った感冒はますます流行し、どの学校でも数人から数十人が休んでいる (1918年10月24日付朝日新聞)
11月になると流行の全期間を通じて最大の死亡数を記録します。
大阪市内の火葬場は昼夜兼行だが、1週間以上の焼き遅れもある。死体のまま汽車や汽船で郷里に送られる例も多い(1918年11月11日付朝日新聞)
内務省の報告書によると、スペイン風邪は、2380万人の患者と38万8000人の死者を出したとあります。当時の日本の人口は5000万余なので、日本人の半数近くが罹患した計算になります。ある研究者のデータによれば、国内の死亡者はさらに多く、およそ50万人の超過死亡があったとする説もあります。
スペイン風邪と同じく新型コロナはワクチンも治療薬もない
スペイン風邪が流行った当時、インフルエンザウイルスの存在すらわかっていませんでした。検査法もワクチンも治療薬もなく、なされるがままに日本人の半数近くが罹患し、遂に集団免疫を獲得することでインフルエンザが収束したといわれます。山火事で燃えるものが燃え尽きたから鎮火したようなもの、と私には思えます。
現在、新型コロナウイルスに関して、検査法はあるもののワクチンも治療薬もない状態は同じような状況です。残念なことに、現在いわれている予防方法も、100年前からいわれ、実行されてきたものとほとんど変わりありません。
(1)多くの人が集まる場所に行かない(2)外出する時はマスクをする(3)うがい薬でうがいをする(4)マスクをしない人が電車内などの人込みでせきをする時は布や紙で口と鼻をおおう(5)せきをしている人には近寄らない(6)頭痛、発熱、せきなどの症状があるときはすぐに医者に(後略)(1919年2月5日付朝日新聞)
朝日新聞の記事は、朝日新聞創刊130周年記念事業 明治・大正データベースより引用
この100年で感染症に関する知識は増え、医療インフラは整備されてきたものの、新型のウイルスに対して私たちは無防備に近い状態であり、このマイクロサイズの敵を制圧する武器をほとんど何も持っていないのです。ワクチンや治療薬がないいま、距離をとって敵に襲われないようにする、敵に接触されたら振り払う(手を洗う・消毒する)ようなことしかできないということを改めて認識すべきだと思います。私たちは身ひとつで撤退戦を戦っている状態なのです。
今後、新型コロナウイルスがスペイン風邪のように変異して毒性を強めたり、より高い感染性を獲得するといったことが起こらない保証はどこにもありません。最悪のケースにおいて、スペイン風邪のように日本人の半数近くを蹂躙し尽くすまで終わらない、という可能性があるということは、リスク管理の観点から常に頭の片隅に置いておく必要があると思います。
スペイン風邪と同じ轍を踏まないために
最悪のケースを見据えつつ、そうならないように一人一人が小さな予防対策を積み重ねていくことが大切だと思います。
この秋、冬が正念場だと思います。スペイン風邪がこの時期に大流行したように、大きな波がやってくることを多くの研究者たちが懸念しています。
例年、秋、冬は、乾燥、低温、紫外線による日照殺菌効果の低下、ビタミンDの血中濃度の低下などの理由により、風邪やインフルエンザが流行る時期です。いかに、この時期を迎え撃つことができるか、そのための準備を一人一人が整えることが大切だと思います。
数少ない自衛手段を意識し、徹底することが求められます。
◆予防用品を揃える
アルコール消毒液、マスク
◆免疫力を整える
睡眠、バランスの摂れた食事、運動、日光浴、入浴、瞑想、ビタミンの補給
◆ウイルスを遠ざける
三密防止、マスク、フェイスシールド、手洗い、目鼻口に手をやらない習慣、ハイタッチサーフェスの消毒
◆予防環境を整える
空気清浄機、加湿器、紫外線消毒器
スペイン風邪からおよそ100年後のいま、当時の凄惨な病禍を見据え一人一人が防疫意識を強く持ち、新型コロナウイルスの次の大きな波をくい止めなくてはならないと思います。多くの若者の命を喪った100年前の悲劇を繰り返してはなりません。