2024/11/11 雑記
父宛にバースデークーポンのハガキが届いていて、ふと誕生日について考えた。
誕生日には朝起きるとお祝いしてもらって、夜にはケーキを食べて、プレゼントを貰って、私はもう……歳なんだ!と、一歩大人に近づいたことを喜んだ。
でも時が経つごとにプレゼントの数は減っていき、誕生日の0時は起きて迎え、学校で言われていた「おめでとう」の言葉はメッセージになった。
さみしいことではないはずなのだ。全部が成長を体現している、それだけ。
なのに、時の進まない次元を生きるキャラクターと同い年になってしまうことが、死んだ友達と歳の差がついていくことが、大人に近づいていくことが、どうにも受け入れがたい。
昔の誕生日の予定は充実していた。朝は家族から一番におめでとうを言ってもらって、わくわくした気持ちで学校に行ってクラスメイトからもお祝いしてもらって、友達からプレゼントを貰って、夕方にはプレゼントを開封して喜んで、夜には家族とケーキを食べる。
今だって、ケーキを食べるのもお祝いしてもらうのも、変わらない。それなのになぜか、誕生日当日になると「何かしなくては」という気持ちに駆られ、結局何もできずに1日が終わり、ひとつ歳を取った私だけが残って日々が続く。
何を求めているのだろう。祝ってもらえている、プレゼントを貰っている。それはとても、とても幸せなことなのに。
苦いのだ、たぶん。
歳をとるごとに、周りとの違いというのは顕著になる。充実しているかつての友達やクラスメイトの話を風の噂で聞いて、私は、と下を向く。
年齢というのは残酷だ。
「もうこんなに大きくなったんだからいい加減成長したらどう?」「同い年なのに」「歳下のあの子の方が」「あの頃の先輩に追いついちゃったね」
それひとつで地面は平らになって、比較される。
バレンタインも、ハロウィンも、クリスマスも、幼い頃に体験したキラキラした特別な1日は、今度私の前に来るとき、ただの日にちに名前がついただけになっている。
イベントごとにはしゃぐ人たちの姿が目に映るたび、同じ世界にいるはずなのに、なんだか地面に亀裂が入って、分かたれているような気がする。
手作りのチョコ交換、大人たちに言い回ったトリックオアトリート、サンタさんに書いたお手紙。目を閉じたまま思い出す、あの頃の私がとびきり笑っていた1日のことを。
私はいつ、それらから離れたのだろう。
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