ミステリアスに憧れ
プロフィールを書くのが好きだった。ちょっと難しい質問は答えを考えるのに悩んだけれど。
たくさんの質問に答えていくにつれて、そこに段々と出来上がっていく個性──私が見えてくる。特別な人だと思われたかった私は、「みんなと同じ」よりも「私だけ」の答えを書くように努めた。承認欲求が強かった。
でも数年経ったら、今度は何も情報のない人がかっこいいと思い始めた。ふといいな、と思ったアーティスト、作家、イラストレーターのプロフィール画面に飛ぶと、ほぼ何も書かれていないのである。辛うじて名前が書いてあることもあったけれど、プロフ画像は初期設定でひとことには何も書かれていないことが多かった。それでもって公開されている作品の完成度は非常に高い。受け取り手の想像力を掻き立てる。私はそんな人たちを見かけるたびに、「かっこいい」なんて憧れを持ち始めた。今もそんな憧れが抜け切らず、一部のSNSは初期アイコンだったり無地のアイコンだったりする(noteもそう)。
でも、公開している情報が少ないにも関わらず人気のある人なんて、それは全て才能や実力があってこその人気なのである。一般人や非才がプロフィールに何も書いていなかったところで、「誰?」でおしまい。そう時間が経たないうちにその人の記憶から消えていく。
昔も今も、ずっと何かしらの面で突出した人になりたいと思い続けている。でもなれない。もがき続けているけど私の歩む道は平坦が続き、それがどうしようもなく悲しくて苦しい。
特別な人になりたい気持ちを捨てられない。向上心があると言えば聞こえはいいが、所詮自己顕示欲のまざまざとした現れだ。
結局、何もない私が公開プロフィールを減らしたところでそこに完成するのは「ミステリアスな天才」でも何でもなかった。情報の少なさでさらに人の記憶から消えやすくなった一般人。一般人にすらなれていないのかもしれない。自分を秀でた存在だと思いたくて──幼い頃は「私はこれならできる!得意!」なんてまだ思えていたけれど──今は他の人と比べては「私は劣っている」と卑屈になってばかり。
でもそれでいいのかもしれない。いつかそれまでに発信してきた全てが恥ずかしくなって消したとしても、もともと見られていなければ完全にそれらを抹消することができる。
手が届かないとわかっている人たちに憧れて、できそうなところだけ真似をするのを辞めたい。
泳げないのに海に飛び込むなんて、誰がどう見ても馬鹿げていると嗤うのだから。
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