【愛するとは何か?】私はスヌーピーのぬいぐるみを愛してるなって思うよ。

先ほどまで柿喰う客の生配信を観てて、今回は「福井夏の恋愛道場」。メンバー変えてパート2でした。初めてコメントして、時間ギリギリで質問を投げたらキャッチしてくれたので、今回はそのことを書きますね。

質問は、「愛するとはどんな行為だと思いますか?恋愛だけでなく、友達やものに対しての”愛する”も聞きたいです。」です。質問投げた後、ちゃんと考えてくれてて嬉しかった。前に同じ質問を自分のInstagramのストーリーズで回答募集して、何人かが回答してくれたのだけど、みんなこんな感じだったのかなって思ってみたり。


以下、回答です。

まやさん・夏さん
「自分より優先順位が上になる」

「上になる」の代表が、子供やペットなんじゃないかと思う。例えば災害が起きて、自分の命は助からなくていいから、この子は生きて欲しいって思うのは「上になる」だと思う。ん?この「上になる」順位っていうのは、何の順位のことなんだろうか。生命、行動、気持ち(理想)、時間(時間の使い方)、他何かあるかな。

例えば、愛する人が「本気で死にたい、死んだほうが楽だ」ってくらい苦しんでいて自分の力じゃ救えないような状況、『高瀬舟』のような状況だとして、自分ならその人をどうするか考えてみる。多分、助けたいと思ってしまうんだよ。いなくなって欲しくないから。それって、自分の感情が相手より「上」で、とっても勝手なことだと思うんだよ。倫理的に生き永らえるのが「正しい」ってことになってるから、救うのが世の中的に「正解」かのように見えるけど、果たしてそうなんだろうか?それが「愛」なんだろうか?(悲しい出来事は全て悪か?)

概念としての「愛」に「正解」が無いように、この問いにも「正解」は無いけど、愛するってどういう行為なんだろうかって考えるには重要な問いになるんじゃないかなあと思う。また、問いには書かれていない、「その人がどうしたいか」も大事な要素だし、その人の状況が少しでも変われば「どうしたいか」も変わるかもしれない。


りおさん→夏さん
「愛かは分からないけど、弱いものに対してすごく優しいじゃん、それは違うの?」

これは「する」っていうより「なる」って感覚のことかなと思った。愛したいから愛するんじゃなくて、気がついたら愛してたっていうのが「愛する」。好きだと思いたいから好きになるって恋愛もありだと思うけど、個人的にはなるべくそうなりたくないなって気持ちがある。

その人とまたは物と一緒に過ごす中で、自然と「愛してるなあ」ってじんわり思うことがあるけど、そういうのとは違うのかなあ。そういうことなのかなあ。私はスヌーピーのぬいぐるみを愛してるなって思うよ。買った時より、4年間一緒に過ごしてきた今の方が愛してるよ。

でも初めから「なる」じゃないことだってたくさんあるし、たくさんっていうか対象が人間であれば殆どがそうだろうし、「なっていく」ものでもあるのかもしれないね。ここでの夏さんの場合は、無条件に助けたくなっちゃうってことだろうからすでに「なってる」のかも。本能?


コメント欄
「見返りを求めないのが愛」

何度聞いても、この意見ってとんでもなく凄いんだよなあ。見返りを求めないことって難しすぎて、そうなってくると私は「愛する」をできないまま死ぬんじゃないかと思ってしまう。花に水をあげたら咲いて欲しいし、優しくしたら拗ねないで欲しいし、早起きして弁当を作ったら美味しかったって言って欲しい。

自分自身が有害有益な存在であるって考えていることを踏まえると、もしかしたら私は「愛する」っていうのは双方的能動の行為だと今現在思っているのかもしれない。(もしかすると、双方的受動かもしれない。優しくされたら優しくし返す、それの連続みたいな感じ。)受け入れ、受け入れられたい。

だから、一方的能動で「愛する」ことが出来る人に憧れがあるし、そうなりたい気持ちがあるのかもしれないな。だから、「してあげる」が好きじゃない(「してあげる」のではなく「する」ものだから)って思う気持ちもあるのかもしれない。自分の感情で動きたいと思う。


りおさん
「その人が変わらなくていいと思う。ありのままでいいって思う。」

そんなんどうでもいいよって思う悩みとかあるけど、そんなことしなくていいって思うし、そのままがいいって思う。と言っていた。

この視点は今まで無かったかもなあ。でも、自分自身にはそう思ってるところがあるかもしれない。(自分を愛することについては今まで考えたことがなかったので、これからみんなと意見交換できたら良いな。)自分が自分らしくいるのが一番生きやすいし気持ちいいから、そのままでいればいいやって思っちゃう。変わっていくのが怖いってのもある。

友達に対して、こうしてくれ〜って思うことも無いでは無いけど、確かに自分に近い人だと殆ど無いな。(単純に同じ価値観の人が集まってるだけの可能性もある。)母親に対して、トイレの蓋閉めてとかお菓子広げたまま寝ないでとか思うけど、これは愛してないって訳ではないだろうしなって思ったけど、りおさんが言いたいのは「違いを受け入れられる」のが「愛する」ってことだよってことなのかな。

そう考えると、家族になるのは違いを受け入れる・受け入れなければいけない・譲歩する必要がある訳だし、「愛する」に近いものがあるのかも。


蓮井さん
「ラブ・セカンド・サイト」を観てください。

観ます。

配信の時、口で言ってくれたタイトル全然覚えられなくて、蓮井さんが画面に「これです!」ってスマホの画面見せてくれたやつ写真撮ろうとした瞬間に出すのやめちゃって(あ……)ってなってたら、公式のコメントでリンクを貼ってくれてて、有能すぎた。ありがとうございます。心より御礼。



これはチャンスだと思って、サイレントリスナーをやめて質問を投げたらチャンスゲットした。チャンスハンターだった。次があるか分からないから、聞けて良かったです。本人に直接メッセージを投げたことが一切なくて(Twitterのリプライ、InstagramのDM・質問、YouTubeのコメント等)、めちゃくちゃ緊張したけど送って良かったな。エンターキーが思ったより軽かったから、気付いたら送っちゃってたところはある。


CMです。

柿喰う客最新公演『滅多滅多』2021年6月20日まで配信中です。

https://t.pia.jp/pia/artist/artists.do?artistsCd=73050069


以前感想・考察記事を書いてます。今日、その考察に追記をしています。アホほど長いです。寝落ちすると思います。

追記したのは、始まりと終わりが「腹が減ったぜ!」という全く同じ台詞であることの意味についてです。生きるって腹が減るよね。


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斯波らく
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。