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Little Glee Monster全アルバムレビュー

こんにちは、raqmです。

今日2024年10月29日、Little Glee Monsterはメジャーデビュー10周年を迎えました。その歴史を振り返る意味も込めて、全アルバムレビューを書きたいと思います。

私は6年程前の中学生の頃、Little Glee Monster(リトグリ)と出会いました。自分から音楽を聴くようになったのはこの時が初めてで、リトグリをきっかけに音楽が好きになりました。今では様々な音楽を聴いて音楽批評にも興味を持つ大学生になった訳ですが、リトグリの音楽は今でも大好きです。音楽批評においてアルバムという形は最も重視されますが、リトグリもアルバム単位で良い作品を作っています。そのような素晴らしい音楽について言葉を残したいと思い、このnoteを書きました。

リトグリは批評に全く登場しません。称賛も批判もされないというか、批評のテーブルに上がっていないような感じです。だからこそ全アルバムレビューをやってみたかったという気持ちもあります。リトグリのことを完全に分かっている訳では全然ないですし、音楽批評も初心者ですが、折角なので自分なりにリトグリの軌跡を総括してみたいと思います。







『Little Glee Monster』(2014/3/16)

2012年にソニーミュージックとワタナベエンターテインメントが共同で開催した「最強歌少女オーディション」の合格者を中心に2013年5月に結成された女性ボーカルグループLittle Glee Monsterは、メンバーの変遷を経てかれん、MAYU、芹奈、manaka、麻珠、アサヒの6人でデビューへ歩みを進めることとなった。セルフタイトル作『Little Glee Monster』はデビューの半年前にリリースされたプレデビュー・カバーアルバムである。

1曲目はHigh School Musicalの「What Time Is It」で少女としての姿を見せ、2曲目東京事変「能動的三分間」で独特な世界観を演じたかと思えば、3曲目は流行りの「女々しくて」を露悪的に歌い、4曲目Alicia Keys「If I Ain't Got You」はソウルフルに歌い上げる、、、といった具合に、何とも統一感のない歪な構成になっている。ボーカルは凄まじい素質を感じさせるものだが、デビュー以降のオリジナルアルバムのような作品というよりも様々な楽曲が歌える少女たちを売り出すためのアルバムと言ってよいだろう。以下、ボーカルと楽器の親和性が低く最早カラオケのようになってしまっている後半のソロコーナーの内容をメンバー紹介を兼ねて説明する。

伊藤由奈「Precious」を歌った麻珠は、突き抜けるような高音の響きが美しい。初期リトグリで歌唱力が最も評価されていたのは恐らく彼女である。

Labelle「Lady Marmalade」を歌った芹奈は、所謂憑依型のボーカリスト。自分で自分をコントロールできなくなるぐらいまで声の表現が到達することもある。

中島美嘉「ORION」を歌ったMAYUは、リトグリにおいて異色の息の成分が多いファルセット的な歌唱が魅力。その繊細さで落ちサビ等を歌うことが多い。

John Lennon「Imagine」を歌ったmanakaは、芯がありさらに幅がある豊かな声。音に対してナチュラルに全ての方向からアプローチするように歌う。

弘田三枝子「人形の家」を歌ったアサヒは、歌謡やアイドルの影響を感じさせる。この時点での歌い方のクセは後にフラットになってリードも増えていく。

MISIA「キスして抱きしめて」を歌ったかれんは、力強い歌声。この曲では見られないが、ビブラートを全くかけないレーザービームのようなロングトーンを持つ。

「研ぎ澄ました歌声で人々の心に爪痕を残す」ことをテーマに、このように種々の特長を持った6人のボーカリストが一堂に介して声をぶつかり合わせるのがリトグリである。中盤に収録された唯一のオリジナル曲「HARMONY」でも見られるように、初期のリトグリのハーモニーはアカペラグループのようなスタイリッシュなものではなく、あくまでボーカリストの声同士が勢いよくぶつかり合った結果として顕現している。

カバーはリトグリにとって大きな武器となり、それを伴うメディア出演は知名度向上に大きく貢献した。カバーばかりだという揶揄もあったが、デビュー後はオリジナル曲を中心に聴かれるようになっていく。



『Colorful Monster』(2016/1/6)

Little Glee Monsterは2014年10月29日にシングル『放課後ハイファイブ』でメジャーデビューした。平均年齢15歳という若さでブラックミュージックをルーツとした力強い歌唱を見せる音楽は当時衝撃をもって迎えられた。Three Dog Night「Joy To The World」が元ネタとなっているこの曲で、少女ボーカリストたちの歌声で世界に喜びを与える物語が始まった。

2015年3枚のシングルとともに徐々に認知度を高めていったリトグリは、2016年の年始、1stアルバム『Colorful Monster』をリリースする。1曲目「好きだ。」は2015年最後のシングルで、ドラマ「表参道高校合唱部」の主題歌。初期リトグリの代表曲であり、作曲丸谷マナブ、作詞いしわたり淳治の並びはこれ以降も度々携わっていくことになる。直球アイドルソングのような曲調ながら、声で和音を作っていく新たな可能性を提示した。アルバムではこのようなアイドルポップだけでなく、センチメンタルなJ-Popバラード「小さな恋が終わった」、Chara楽曲提供のメロウなR&B「Feel Me」、J-Rock的にライブを盛り上げる「全力REAL LIFE」など多彩な楽曲が並ぶ。アルバムにおいて表現の幅を広げようとする意識は、『Colorful Monster』だけではなくリトグリのどのアルバムにもある程度共有されているものである。

このカラフルなアルバムにおいて共通しているのはある種のマキシマリズムであると私は考えている。バンド演奏の上の中高音域に声が6つも重なっているのにさらに高いストリングスも鳴っている、というように音数は過多である。また、どの曲でも声が至るところにある。半母音を力強く伸ばしていくものからスキャット的なものまで、麻珠、manaka、芹奈の3人を中心に歌詞のない間奏やアウトロは複数声部の様々な声で埋め尽くされる。歌詞を歌ったフレーズの末尾でも声を揺らしてフェイクする。このような足し算的思考はJ-Popの考え方に起因すると思われるが、そこにさらにハーモニーまで足していくという過剰性がこのアルバムの面白さのひとつだ。

本作では彼女たちの若さもよく現れている。「好きだ。」のタイアップ先は学園ドラマ、「青春フォトグラフ」や「放課後ハイファイブ」に見られる青春や放課後といったワードも当時ファン層の中心でもあった同年代の学生を意識させるものだ。そこに等身大になれるのは若さがあるからこその表現である。そう考えると、後には見られないアイドル感も、枠内から飛び出すかのような足し算の美学も、無垢で自由な少女性の帰結なのかもしれない。



『Joyful Monster』(2017/1/6)

『Colorful Monster』からちょうど1年、リトグリは2ndアルバム『Joyful Monster』をリリースする。このアルバムは前作と比較してR&B色の強いアルバムである。音数の多さは相変わらずだがアイドル感は減衰し、ブラックミュージックへの更なる接近が感じられる。モータウンビートで飛び跳ねる「My Best Friend」や亀田誠治によるアーバンなR&B「私らしく生きてみたい」といったシングル曲を軸にグルーヴィーな展開を次々と繰り出していく。ジャズを取り入れたダンサブルな新曲「Catch me if you can」では全編英語詞に挑戦、ボーカル力の高さが窺える。スムーズなR&Bというよりも、リトグリの前への推進力やエネルギーをグルーヴ感で示すような形だと言えるだろう。

アルバム発売の2日後、リトグリは武道館公演の日を迎えた。デビューから徐々に人気を獲得してきた彼女たちは全員高校生のうちに武道館に立つという夢を叶えた。チケットは即完、ストーリーとしてもうまく回っていた。歌声で全てを届けるかのように6人の歌声のうねりが波及する。声という音楽の原初の姿が生命のように躍動する。歌によって何かを伝えることに先行して歌それ自身を届けるというメタ的な音楽である。『Joyful Monster』はこの武道館なしでは語れない。アルバム1曲目もライブタイトルも「はじまりのうた」。まだここははじまりに過ぎないという更なる上昇志向で、前だけを見つめて、勢いそのままに6人は歌う。あの頃の勢いがこのアルバムには反映されている。

アルバムの終盤は雰囲気を大きく変えて音楽を落ち着かせる。最終曲「JOY」は名曲だ。学生時代にアカペラをしていたというヒャダインが楽曲提供したこの曲は、ゴスペル感のある正統派バラード。最後のサビでアドリブっぽくメロディーを変える麻珠の歌唱が圧巻である。


武道館公演を大成功で終え、さらにこのアルバムのリリースツアーを終えた4月、突如麻珠が無期限活動休止を発表した。6月には脱退する運びとなった。あまりにも急だった。武道館がはじまりの筈だったのに、リトグリの中でも中心的だったあの声は消えてしまった。リトグリは5人で進むことを決めた。



『juice』(2018/1/17)

麻珠を欠いたリトグリだったが、その勢いは止まらなかった。5月にEarth, Wind & Fire、7月にはAriana Grandeの日本公演サポートアクトを務め、秋クールのドラマ「陸王」の劇中歌として発表した「Jupiter」のカバーも大きな話題となった。年末には念願のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、紅組トップバッターで「Jupiter」と「好きだ。」を披露。出演者が後ろに揃う緊張感の中「Jupiter」をアカペラで歌った30秒余りは、日本で最もアカペラが注目された瞬間の一つだろう。デビュー前から積み上げてきたアカペラ或いはハーモニーという表現の壮大な結実だった。

紅白の2週間後にリリースされた『juice』はリトグリのアルバムの中で最高傑作であると個人的には考えている。既存曲の殆どが何らかのタイアップになっている状態で、しかも携わる作家もそれぞれで全く異なるにも関わらず、他のJ-Popメジャーアーティストと同様にアルバムには既存曲を全て入れることを求められる。そういう状況を逆手に取るかのように、『juice』は強度のある多種多様なポップソングが次から次にやってくるある意味ベスト盤のような形を取る。本作はリトグリのアルバムの中でも特に意図して統一感を排除したように思えるが、散漫には聴こえない。ハーモニーというサウンドが一貫しているからである。ハーモニーは様々なジャンルを溶かす液体となってジュースを完成させる。

ハーモニーは結成以来のリトグリの武器であり、アルバムにおいても勿論使われてきたが、ハーモニーが最も目立ち、ハーモニーの価値を最も大きく引き出しているのはこのアルバムだと思う。前2作と比較すればハモるのための音のスペースが空けてあり、各々の声がクリアに剥き出しになっている。声同士の距離感調整が巧く、幅のある豊かな声の重なりを実現している。前作までの声と声が衝突するぐらいのニュアンスではなく、また離れすぎて字ハモが浮いているような様子でもなく、声同士の意識だけが通じるようなちょうどいい距離感である。個性のある互いに似ていない声を重ねて初めてできるサウンドであって、ソロアーティストが多重録音でコーラスを入れる感覚とは全く違う。同一平面上に来る声の数をできるだけ減らし、立体的な空間を構築したパンニングも見事である。

そういった空間としてのハーモニーが音楽にどのような色を着けているのか、ここではさらに2点説明したい。先ず1点目は比較的アッパーな楽曲においてふっと空間の次元を上げていくような使い方である。「だから、ひとりじゃない」の合いの手的なコーラス、「OVER」の部分字ハモ、後半の「COLORS」でも同じような使い方が見られる。Pentatonixのように広い音域で物理的に空間を広げるのではなく、声の重なりが構造として空間の次元を上げ、ノリの中で視界が一瞬広がるように感じる。2点目は声で空間を覆い、陶酔感を演出するような使い方である。スガシカオ楽曲提供の「ヒカルカケラ」は5人になったことで偶然にもセンターに立つことになった芹奈が一人でリードを歌う珍しい楽曲。感情の高ぶりを発露する芹奈のボーカルに4人の空間的コーラスが追随する後半の展開には恍惚となってしまう。「Jupiter」「いつかこの涙が」などではウェットなハーモニーにギターも絡んでさながらシューゲイズのような美しさを生み出している。

日本のヒットシーンに近い場所で、より普遍性を増した音楽をハーモニーで表現していく『juice』は名盤である。



『FLAVA』(2019/1/16)

「ほら笑って」「alright!」と2018年何度聴いたか分からない。コカ・コーラCMソング「世界はあなたに笑いかけている」はリトグリ最大の、そして2018年をも代表するヒット曲となった。丸谷マナブ×いしわたり淳治によるグルーヴィーでポジティブで溌剌とした楽曲で、リトグリのイメージを特徴付けている。その一方でこの曲にはなんとなく非身体的な側面があると思っている。DAW画面上で精密に等間隔になっている4つ打ちと硬いベースの上に3声と2声を交互に配置することで、サビの掛け合いが成立しているように感じるのだ。

この曲で幕が上がる4thアルバム『FLAVA』はそういう硬い感触が特徴的なアルバムであると考える。『juice』が液体的だとするならば『FLAVA』は固体的である。スウィートでオフビート強調のグルーヴからなる「ハピネス」はブラスとベースの音の輪郭が明確であり、The Supremesの同名曲を意識したであろう60sモータウンサウンドナンバー「恋を焦らず」もフレーズの固さが良さを引き出している。ソウルフルな「青い風に吹かれて」も打ち込み感が強い。ハーモニーに関しても、前作同様距離感は良いが、空間の中で声の入る部屋が明確に決まっているように聴こえる。これらの感触はアルバムジャケットの雰囲気とも合致する。

こういう表現の根底にあるのは音源としては確固とした音楽を作りたいということではないかと思う。リトグリは継続してボーカルの上手さで売ってきたが、この歌が上手いことというのは音楽になる手前で消費されてしまいがちである。所謂「歌うま」という概念は見世物として終わってしまう。ハモネプ等の番組に見られるようにハーモニーにおいてもある程度同じことが言える。声というものの身体性を軸に置きつつも、そういった見られ方からの脱却を目指して、ボーカルを音楽の中に配置していくようなアルバムを作ったのではないだろうか。

このアルバムには若さからの脱却もテーマとして存在する。先程述べた意図は「まだ子どもなのに凄い」という見られ方と音楽的な評価との距離に対する応答としても機能する。外に飛び出していくような少女の感覚ではなく、周囲のオブジェクトや壁の様子に合わせて表現をしていく。ビターであったり詩的であったりするリリックをより落ち着いたトーンで歌う。そのような試みは経験を積んで自信を付け、成人するメンバーも出てきたリトグリの大人な表現なのだ。『juice』に並び得る傑作である。



『BRIGHT NEW WORLD』(2020/2/12)

2019年、時代は平成から令和に突入し、テン年代というディケイドも終わりを迎えた。日本において音楽サブスクリプションサービスは数年前に上陸していたが、ヒット曲が聴かれるメディアの中心がサブスクになり始めたのがこの時期である。時代が変わっていく中で2020年初頭にリリースされたリトグリの5枚目のアルバム『BRIGHT NEW WORLD』も変化を強く感じさせるものとなった。

これまで4枚のアルバムはそれぞれ異なる作風だったが、明るいイメージは通底していたように思う。今回新たに取り入れたのは、暗さを意識した表現である。1曲目はNHKラグビーW杯テーマソングとしてヒットした「ECHO」。スタジアムロックのアンセムのような楽曲で、闘志溢れるパワフルなボーカルで歌う。2曲目「I Feel The Light」ではなんとEarth, Wind & Fireとのコラボを実現。J-Popアーティストと共演した海外アーティスト中でも史上最大レベルであり、もっと評価されるべきだと思っている。ディスコファンクのこの曲も調はマイナーである。この2曲によってこのアルバムの色は提示される。

7,8曲目の「move on」と「SPIN」という完全に洋楽志向の2曲も面白い。「move on」はラテン感のある妖艶なポップ、「SPIN」はオルタナティブR&B、どちらも低音重視でダークな雰囲気を持つ。古典的なR&Bから影響を受けていることは度々あったが、現行の洋楽シーンをリファレンスにすることはこれまで殆どなかった。そういう意味でも大きな変化があったと言えるだろう。

こういうアプローチだけのアルバムならば批評筋で話題になったかも知れないが、そういう訳にもいかない。ムードを共有しつつポップネスを感じさせる曲も多い。「君に届くまで」は作曲水野良樹(いきものがかり)・作詞いしわたり淳治・編曲島田昌典によるJ-Popの名曲。美しいメロディーとハーモニーで紡がれる如何にもJ-Pop的な懐古、葛藤、希望の光みたいな言葉が暗さと隣り合わせでより深みを持つ。『FLAVA』で書いた所謂大人な感覚があるからノスタルジアが意味を成す。落ち着いた空気感を越えて暗い世界でも輝く、新しい表現形態を模索する一作である。


この頃のリトグリは5周年記念ライブツアーを成功させ、音楽番組への出演量も非常に多かった。しかし「ECHO」のヒットがサブスク中心だったかというと微妙であり、アーティストとしてインターネット的な文脈に乗らなかったこともあって、よりインターネット性を増すヒット街道の真ん中にはこれ以降うまく入れない状況になる。その他にも様々な要因が重なって20年代はリトグリにとって非常に難しい道になっていく。



『GRADATI∞N』(2021/1/20)

もはや年始の風物詩となっていたリトグリのアルバムであるが、2021年にリリースされたのはベスト盤であった。オリジナルアルバムは出さなかったというより出せなかったという方が正しいかもしれない。前作『BRIGHT NEW WORLD』の直後から世界がコロナ禍に突入したからである。音楽業界がライブ産業をはじめ様々な点において大きな打撃を受けたのは言うまでもない。リトグリのアルバム制作も影響を受けたものと思われる。

『GRADATI∞N』は6人時代の楽曲をアレンジを殆ど変えずに再録したDisc1<sing 2020>、5人になってからの楽曲をテーマ別に収録したDisc2<Groovy Best>とDisc3<Harmony Best>の3枚組である。2020年に全く曲を出せなかった訳ではなく、アルバムに初めて収録された曲も存在する。「足跡」はNコン2020課題曲。コロナ禍と重なる形で解釈できる歌詞も話題になった。「Dear My Friend」はPentatonixをフィーチャーしたリトグリ唯一の全編アカペラ曲。普遍的な日本語ポップを10声の圧倒的厚みで実現した。


2020年の年末、芹奈が体調不良により休養に入ることを発表した。後にADHD/双極性障害であると診断されたことを明かしている。紅白は4人で「足跡」を歌い、4人の状態でこのアルバムは発売された。



『Journey』(2022/4/20)

2021年から4人でメディア露出やアリーナツアーを行っていたリトグリの次の楽曲はツアーファイナルで初披露したミディアムバラード「君といれば」。芹奈の復帰により完成される未完成の楽曲としてリリースされた。そんな中6月にメディア出演はせずライブとレコーディングのみという形で芹奈は復帰、「君といれば」をよりハーモニーに力点が置かれたアレンジで完成させるとともに、復帰作「REUNION」をリリースすることとなった。

「REUNION」はリトグリの全ての楽曲の中で個人的にベストに挙げたいものである。作詞作曲を高井息吹、アレンジを君島大空が務めており、高井息吹のおとぎ話のような世界観が君島大空のグリッチを織り込んだ浮遊感のあるサウンドで表現されるアートポップ/ドリームポップ的な楽曲はリトグリにとって全く新しい。一時は死の淵にまで近づき、声が殆ど出なくなっていたという芹奈は喉を無理に開くように苦しさを伴って歌う。幽玄な音世界に芹奈の心象風景が重なり、さらにそこに5人の声が重なっていく様子は極めてイーサリアルである。

この再集結を経てリトグリはコロナ禍で中止になった『BRIGHT NEW WORLD』のリリースツアーを走り、シングルをリリース、再び前向きに動き出した。しかしそれも長くは続かず、年末には再び芹奈が体調を崩してしまう。さらに5年ぶりに紅白のない年明けを通過した3月にはmanakaも突発性難聴で活動を休止。窮地に立たされたリトグリは4月に6thアルバム『Journey』をリリースすることとなった。

『Journey』では前作のダークさや現行R&Bに近い音楽性は後退し、現状に希望を見出だすような、或いはポストコロナを意識させる明るさが前面に出ている。先述の「君といれば」「REUNION」、世界観をタイアップ先に合わせたアニメ主題歌シングル「透明な世界」「Your Name」にポップな新曲が入ってくる内容はなんとかアルバムとしてまとまった。芹奈の声が入った曲もあれば、入っていない曲もある。明るさはなんとなく無理やりのような気がして、まっすぐポジティブにはなれない。

このアルバムにはレミオロメン「3月9日」のカバーも収録されている。近年のリトグリはアルバムにカバーを収録していなかったので、音楽的に本当に入れたかったのだろうかと思っている。MVには乃木坂46の遠藤さくらが出演しており、人気アイドルの出演する有名曲のカバーが伸びるだろうという商業主義を感じてしまう。アニメ主題歌が2つ続いたのもアニメヒットのトレンドを見てソニーがタイアップを取ってきたものだろう。もっと言えば、商業音楽から遠いところに位置する「REUNION」でさえも、苦しみから再び立ち上がるというストーリーを描いた芹奈の復活劇の付属商品のような気がしてくる。ポピュラー音楽とはそういう消費の上に成り立つものであり、商業主義だから音楽的にダメだという訳ではない。「REUNION」の後で流れる卒業ソング「3月9日」も案外いいなと思う。しかしながら、そこに人の不在性が絡んでいることもあって、このアルバムのポップネスの中にある虚無感を私はうまく処理しきれないでいる。



『Journey』のツアーをかれんMAYUアサヒの3人で回る最中の7月、芹奈とmanakaはリトグリからの卒業を発表した。そして同時に新メンバーを募集、オーディションを行うことを決めた。第1章が終わり第2章が始まることを宣言した。あまりにも急だった。結局5人が揃うことはなく、発表9日後のツアーファイナルで5人の旅は終わった。

ボーカルグループは難しい。メンバーの声が音楽の本質であり、人が変わればハーモニーも変わってしまう。しかし、少ない人数ではハーモニーそのものが成立しないのも事実である。リトグリの音楽における最大の特長も5人または6人の声が重なったときに現れるあの「鳴り」だった。数々の思索があったものと思われるが、最終的にリトグリは新しい「鳴り」でハーモニーを作っていく決断をした。



『UNLOCK!』(2024/3/20)

朝の情報番組による密着も受けたリトグリ新メンバーオーディションは素早く進行し、11月には7002人の中からmiyou、結海、ミカの3人が選ばれた。

miyouは日本人離れしたR&B的な響きを持つ声。柔らかくしなやかに音と音を繋いでいくような歌唱である。

結海は激情的な表現で魅せるボーカリスト。どんな状況であっても楽曲を自分の領域に持っていく。

ミカは非常にフラットで「リトグリっぽさ」が強い。どのサウンドやハーモニーにも溶け込める巧さがある。

12月には新メンバー加入後初の新曲を発表、このアルバムの1曲目にもなっている「Join Us!」である。「世界はあなたに笑いかけている」を彷彿させるような元気なファンクポップで、今度こそ明るく前に進んでいく決意を新たにした。

新メンバー加入後の初めてのアルバム「UNLOCK!」は「Join Us!」から1年余り経った2024年3月にリリースされた。この間にリリースしてきた楽曲をまとめつつ新曲も収録したいつものスタイルで、10周年イヤーに7枚目のアルバムをリリースすることができた。再録した「Join Us!」を聴いても分かるように、オーディション直後より声のサウンドは洗練されている。第1章のカラフルに声が混ざりあった「鳴り」とはまた異なる、統一感の強い新たな「鳴り」を確立した。

このアルバムにおいて特筆したいのは、K-Popの強い現在のガールズグループのシーンの影響を色濃く受けているという点である。実際「Ready to go」「WONDER LOVER」「Heart feels」といった楽曲はK-Popを手掛けるプロデューサーが製作に参加しており、タイトなサウンドや歌唱を含め、K-Pop然とした仕上がりとなっている。また、これまで殆ど取り入れて来なかったラップにも挑戦。meiyoが手掛けた「ちょ待って!」はHALCALIを感じさせる遊び心のある緩いヒップホップで、気だるいボーカルとハモったスキャットが重なる面白い楽曲だ。

これらの新たなアプローチがこれまでのアプローチと根本的に異なるのは、音楽の中での声の使い方だと思う。第1章のリトグリのボーカルは力強く歌い上げる歌唱であり、この「歌のうまさ」によってリトグリは日本のガールズグループの中でも唯一無二な立場を築いてきた。このアルバムで取り入れたのは現在のトレンドと一致する歌い上げない歌唱という声の使い方で、別の種類の「歌のうまさ」である。『BRIGHT NEW WORLD』の頃から始まったものだが、今回より顕著になっている。声だけで世界に爪痕を残すと口にしていたり、古典R&Bに言及していたりした頃からは随分遠くに来たようだ。他にもダンスパフォーマンスを大きく売り出したり、tiktokをプロモーションに積極的に利用したり(meiyoの起用もTikTok的な動き)、現場がアイドル的なものに近づいていたり、とリトグリは自ら文脈に回収されに行ったという印象を受ける。文脈から外れていくような独自性ではなく、文脈の中でハーモニーを響かせようとする新たなチャレンジの一作である。



リトグリは文脈に完全に吸い込まれた訳ではない。「I Promise You」のようにハーモニーを聴かせる曲や、「今この瞬間を」というゴスペルバラードもこのアルバムには入っている。また『UNLOCK!』より後の楽曲にはK-Popやダンスポップを感じさせるものは一つもない。文脈に近づいているのは確かだが、音楽的にはアルバム単位での表現のチョイスの一つに過ぎなかったのだと思う。10周年を超えて次のアルバムではどんな音楽を見せてくれるのか、楽しみである。






終章 : Little Glee Monsterとは何だったのか

冒頭にも書いたようにリトグリは批評に登場しないが、批評をする上で重要となる文脈付けもされて来なかったと思われる。ここではリトグリがシーンの中でどのような存在であったのか3つの観点から考えてみたい。


1. 「歌うま」の分脈

言うまでもなく、リトグリは歌の上手さを売りにしてきた。カバーしていたという意味では、様々な歌の上手いアーティストの文脈への意識があると言えるが、ゼロ年代のバラード的女性シンガーの流れは特に関係が深いと思われる。育成、プロデュース、A&Rなどにより初期からリトグリに携わってきたソニーミュージックの灰野一平は、ゼロ年代から中島美嘉やJUJUを手掛けていた人物である。

それとは別に所謂「歌うま」の動きがテン年代の前半に現れる。テレビ番組として「歌唱王」が2013年、「THEカラオケ☆バトル」が2014年に始まるなど、歌が上手いことをバラエティ化したものが流行する。これはリトグリの結成~デビューの時期に重なり、このような時流にはうまく乗ることができた。『FLAVA』の文章でも書いたように「歌うま」を超えて音楽を表現することがリトグリの挑戦の一つであったが、知名度を拡大させる上で恩恵を受けたことも確かである。実際にメンバーもこういった番組に「歌うまキッズ」として登場している。例えば、芹奈は「関ジャニの仕分け∞」のカラオケ企画に出演し、manakaは「ものまねグランプリ」でMISIAを歌っていた。

こういったテレビ番組ではなく、地域または全国規模のボーカルコンテストのようなものでもリトグリメンバーは結果を残している。では、このようなボーカリストはどのように集まったのだろうか。ここで浮かび上がるのがアクターズスクールという存在である。

アクターズスクールといえば安室奈美恵やSPEED、三浦大知などを輩出した沖縄アクターズスクールが圧倒的に有名であるが、アクターズスクール広島(Perfume、中元すず香(BABYMETAL)、石野理子(赤い公園) etc.)や大阪のキャレスボーカル&ダンススクール(SCANDAL、清水翔太、SUZUKA(新しい学校のリーダーズ) etc.)など、日本の音楽シーンに影響を与えてきたスクールは全国に存在する。特にティーンポップのような流れやアイドル文脈とは関係が深い。また「歌うま」シンガーがスクール出身であるパターンも多々見られる。

リトグリメンバーも全員がスクール出身である。芹奈とかれんはキャレス、manakaはaaa(エイベックスアーティストアカデミー)、アサヒはアクターズスタジオ北海道、麻珠はESPエンターテインメント、MAYUはダンススピリッツスタジオ(これのみ大手ではない)出身である。「最強歌少女オーディション」は今のオーディション番組のようにインターネットで拡散され大規模に開催されるものではなかったということ、大手スクールは芸能事務所と関係を持っていることが多いとされること、ソニーが芹奈に声をかけキャレスに挨拶に行ったときにかれんも参加することになった話があること、などを踏まえるとメンバーの選抜段階でのアクターズスクールの存在は相当大きかったと考えられる。結成時の情報は殆どないので正確なことは述べられないが、様々なシーンに関与してきたアクターズスクールを基盤として、「歌うま」アーティストリトグリが成立したということは少なくとも言えそうだ。


2. アカペラの文脈

リトグリはハーモニーやアカペラを武器にしてきた。普通の解釈では、リトグリはアカペラグループではない。女声のみでは低音ベースが難しいのもあって、オリジナル曲で全編アカペラなのはPentatonixとのコラボ曲のみである。しかし、楽曲が部分的にアカペラであったり、メディア出演やライブでアカペラカバーメドレーを披露したり、アカペラによる表現を続けている。日本のポピュラー音楽において古くは、ムード歌謡、グループサウンズ、ガールグループ、フォークグループ、合唱系コーラスグループ、ニューミュージック系、など様々なジャンルでハーモニーが音楽の軸になっていたが、現行シーンにおけるハーモニーはアカペラ文脈に根差すものが増えており、リトグリもその一部である。ここでは日本におけるアカペラの歴史を考えてみたい。

日本のポピュラー音楽における最初期のアカペラはザ・キングトーンズ、山下達郎、ラッツ&スターなどのドゥーワップ系のものであろう。1980年には山下達郎の初のアカペラアルバム『ON THE STREET CORNER』がリリースされている。また、80年代の後半にはスターダスト☆レビュー、タイムファイブ、チェッカーズなどアカペラもできるロックバンドが現れる。Take 6やRockapella、The Real Groupなどの海外アカペラバンドが登場したのも80年代である。そんな中1984年に日本最古のアカペラサークルが誕生する。早稲田大学Street Corner Symphony(SCS)である。ここから日本の学生アカペラの文化は始まった。90年代前半にはSCSからトライトーン、ゴスペラーズがデビューすることとなった。

グループが最も影響を受けているのはスターダスト☆レビューである、と語るゴスペラーズは言わずと知れた日本の最重要アカペラバンドである。1994年のデビュー以降中々ヒット曲に恵まなかったが、2001年の「ひとり」で大ブレイクを果たす。時を同じくして2001年、フジテレビ系列の番組「力の限りゴーゴー」のコーナーとして「全国ハモネプリーグ」が始動、アカペラブームが到来した。このゼロ年代初頭には、RAG FAIRとINSPi(ハモネプに出演)、AJI(SCS)、Smooth Ace(SCS)、チキンガーリックステーキ(90年代からの関西のシーンの中心的存在)など多くのアカペラバンドがデビューしている。2002年の紅白歌合戦にはゴスペラーズだけでなくRAG FAIRも出場しており、大きなムーブメントとなっていたことが分かる。

ハモネプは2007年に特番として再開した後も人気を博すが、テン年代に入ってこの文脈はより拡大していく。ハモネプ出演によりデビューした先述のINSPiに所属し、ハモネプの審査員も務める吉田圭介がコーラスディレクターとして関与しているのが、SOLIDEMO(avex)やCOLOR CREATION(ワーナー)などの男声ボーカルグループ、そしてリトグリである。これらのメンバーは学生アカペラの出身ではないが、ゴスペラーズも主催ライブに呼んでフックアップするなど学生アカペラと深い関係にある。リトグリのかれん、SOLIDEMOの向山毅が過去にハモネプに出演している点も面白い。(因みに、前者はキャレス、後者はaaaによるアクターズスクール内バンドで出演していた。)

この中でも最もハモネプ文脈と関係が深いのがリトグリである。というのもハモネプを初期からプロデュースする吉田正樹という人物は、現ワタナベエンターテインメント社長の渡辺ミキの夫であり、2009年に同社の会長に就任しているのである。RAG FAIRやINSPiもワタナベ所属であり、ワタナベとハモネプは非常に近い関係にある。もっと言えば、RAG FAIRやINSPiを手掛けた吉田雄生というプロデューサーはリトグリというプロジェクトにおけるワタナベ側の最重要人物である。リトグリを作るに当たって、ハモネプ的なものへの意識は明らかにあっただろう。

現在アカペラシーンは再び盛り上がりを見せている。リトグリのヒット、世界的なPentatonixのヒット、さらに2015年を最後に開催されていなかったハモネプが2019年に再開されたことなども影響している。YouTubeを中心にミックスアカペラの文化が徐々に拡大し、Nagie Lane、Rabbit Cat、ハイスクールバンバン、sinfonia、PLUS UNISON、Groovy Groove、Love Harmony's inc.など、デビューに至っていないものやハモネプ文脈とは少し遠いものも含めて、YouTube上でのカバーアカペラが多くの再生数を獲得している。さらにアオペラ -aoppella?-、うたごえはミルフィーユなど、学生アカペラ出身者が製作に参加する声優アカペラグループなども登場しており、アカペラは近年さらにシーンを広げている。

リトグリの最新シングルには先述のRabbit Catのとおるすが作曲で参加している。こういった相互作用の中でリトグリはアカペラシーンの一角を担う存在なのだ。


3. アイドルの文脈

リトグリはアイドルなのだろうかと問われると、答えはノーである。しかし、メンバーカラーが設定されていること、リリースイベントでサイン会をすることなどアイドル的な部分も多い。音楽より人を信仰するファンの勢力もアイドル程過激ではないが存在する。ここではアイドルとリトグリとの関係について見ていく。

テン年代前半の女性アイドルのシーンは、AKB48グループによる極度の人信仰を具現化したプロモーションが音楽チャートを参照困難にさせる事態が発生しており、それに対するオルタナティブが複雑に入り乱れる所謂「アイドル戦国時代」であった。坂道、ハロプロ、スターダスト、ディアステージ、WACK、その他楽曲派アイドルも含め、様々なアプローチのアイドルが存在していた。

2014年の「LiVE GiRLPOP」というライブイベントでは、東京女子流やJuice=Juice、東京パフォーマンスドールといった並びの中にリトグリの名前がある。また、2013年のリトグリのライブ参加記を書いた貴重なブログはハロプロファンによるものである。デビュー前の段階ではそれこそ歌の上手い楽曲派アイドルのような形で売って行く可能性も残っていたが(ブラックミュージックを取り入れているという点でも楽曲派アイドル感がある)、その後アイドルではないことを強調する方針に固まったと見られる。そのため、リトグリはアイドル的な側面も持ち合わせている。

リトグリの初期の標語に「STOP! 口パク 100%生歌宣言」というものがある。今見るとかなり挑戦的なことを言っているようにも見えるが、これは明らかに当時のアイドルシーンに対する歌唱という観点でのアンチテーゼである。リトグリもそのようなオルタナティブの一派ではあったが、ボーカルグループとしてアイドルとの間に線引きをした点に新しさがあった、という解釈が自然ではないかと思う。

アイドル的な手法を取り入れつつも、人そのものではなく歌声を中心にアプローチしていったのが当時のシーンにうまく受容されたのであろう。これはザ・ピーナッツやキャンディーズなど歌唱やハーモニーを魅力とするアイドルで一世を風靡したワタナベによる、いつしか音楽的なレベルが不要になってしまった日本のアイドル界への逆襲であったと言えるかもしれない。

テン年代後半、20年代に入るとK-Popアイドルが日本のアイドルに対する新たなオルタナティブとして強く機能し、K-Pop的な国内グループも人気を得ることになる。リトグリも『UNLOCK!』では実際にK-Popから影響を受けていた。リトグリの音楽性は今のような状況ではなく、テン年代前半のうちに登場したことに必然性があったし、あのタイミングだからこそより良く受容されたのだ。


おわりに

以上「歌うま」、アカペラ、アイドルという3つの観点からリトグリを文脈付けしてみた。リトグリがどこから出現し、どのような存在であったのか、ある程度整理できたのではないかと思う。最後に考えたいのはこれらの文脈に位置付けられるリトグリはシーンを形成しなかったのかという点である。リトグリと他のアーティストから構成される纏まりを見出だすことはできないだろうか。

2012年の「最強歌少女オーディション」には続きがあった。2013年に「最強歌少女オーディション2」「最強歌少女オーディション3」が行われ、「最強歌少女オーディション2016」も開催された。「最強歌少女2」に関しては5人が選ばれたという情報があるが、どのオーディションもそれ以降グループでデビューするには至っていない。リトグリの所属するソニーミュージック内のgr8!recordsにはjewelという3人組女性グループがいたが、このグループはどちらかと言うとダンス&ボーカルグループに括られる。フィロソフィーのダンスもこのレーベル所属の女性グループだが、完全に楽曲派アイドルである。ワタナベ側の吉田雄生は、avexに移籍した後に初期リトグリも意識したであろうFYURAというグループを作っているが、このグループはデビューすらしておらず、完全に未知数だ。

ソニーやワタナベの内部ではうまく後続グループを作れなかったと思われる。外部で同じようなアプローチのものを探してみても、アカペラグループで女声のみの構成は相当難しく、相当マイナーなところまで見ないと見つからない。非アイドル女声ボーカルグループという時点である程度の規模を仮定すると同時期には本当に存在しない。リトグリは学生アカペラに対して影響を与えたが、メジャーな場所ではシーンは形成されなかったと言ってよいと思う。

類似グループがいないという事実は、非アイドル女声ボーカルグループは存在そのものが困難であることを示している。文脈付けはできるにしてもその立ち位置は崩れやすく、絶妙なバランス感で成立しているものだったのだろう。このような存在であって、グループにおける危機も多かったリトグリが今年デビュー10周年を迎えることができたのは、陳腐な言葉になるが奇跡的だったのではないかと思う。

リトグリは、アイドル優位のJ-Popメジャーシーンを変え、ボーカルグループが次々に現れる時代を作っていくようなゲームチェンジャーには結局なれなかった。しかし、アカペラブームが蒔いた種が10年以上後にリトグリとして花開いたように、リトグリの音楽がムーブメントを作る日もそう遠くないのかも知れない。勿論、リトグリ自身の今後の活躍にも期待したい。



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