新「何者」論。
世の中に自分の「スポット」を作ろうと思うと、自分が「何者」であるかを定義・提示しなければならない、というコンセプト、昔ながらでいえば「差別化」とも言われるようなコンセプトについて、最近よく考えている。
誤解を生みやすいけれど、この「スポット」というのは「居場所」とは違う。「居場所」は、関わる相手への尊敬とマナーと積極性を持って人と関わっていれば作れる。「スポット」というのは、もう少し社会的な立ち位置のようなもの。他人と被らず、競争しなくて済むような、自分のポジションや立ち位置。
人は自然と「輝いて見える」ものを追ってしまう。例えば、キラキラした企業があると、その真似をしてしまう。人気者を見ると、その真似をしてしまう。バズっている企画を見ると、その真似をしてしまう。
そうすると、軸がブレて、何者なのかが分からなくなってしまう。何者か分からないということは、埋もれて、競争に巻き込まれるということだ。
例えば、ユニクロが世界進出する際に、それぞれの市場にあわせて展開しようとして大失敗をしたことがある。現地のテイストや慣習にあわせたせいで、現地の他の服屋と比べて何が違うのか分からなかったのだろう。これでは「自分のスポット」を確保できない。
その後、ユニクロは佐藤可士和さん(デザイナー)を招いて、「ユニクロとは何か」を再定義し、「ユニクロとは究極の普段着、"LifeWear"である」という結論を得た。
「ユニクロの服とは、服装における完成された部品である。ユニクロの服とは、人それぞれにとってのライフスタイルをつくるための道具である。ユニクロの服とは、つくり手ではなく着る人の価値観からつくられた服である。ユニクロの服とは、服そのものに進化をもたらす未来の服である。ユニクロの服とは、美意識のある超・合理性でできた服である。ユニクロの服とは、世界中のあらゆる人のための服、という意味で究極の服である。」
そして、そのコンセプトを提示するために、世界の主要都市に旗艦店をつくり、高い天井まで壮大かつ均一に、服がまるで「部品や材料」のように積み上げられているデザインを提示した。
これによって、ユニクロは他のカジュアルウェア、H&MやZARA、GAPとは違う、「自分が何者か」という点を強調して、世界に自分のスポットを作っていった。
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