オタクを卒業してしまった人間の末路
どうもオタクです。私は俗にいうオタクを卒業してしまった人間です。
違和感は、2024年から始まっていました。リゼロ三期の視聴です。中学時代見ていて面白かったリゼロ。なんと、久しぶりに見ると、ひどい。
まず、説明セリフのあまりの多さでした。これはもう見れないと一話で切りました。
あと、俺ガイルの再視聴です。これがあまりのキツさだった。なぜなら、作者は徹底的に陰キャと向き合っているからです。陰キャの陰湿さ根暗さ、そして根は良いのに自分に正しくなれないというのが私のなかで刺さってしまい、もうこういうのから卒業しなくてはならないと感じたのです。
八幡くん(主人公)のことを担任の先生が、根はいい奴だがという擁護するのですが、でも歪むと本編のように主人公含め主人公の自己犠牲でキャラも不幸になっていきます。これは擁護していいのでしょうかと。主人公の自己犠牲ですべてを解決するやり方にも見ててつらさというものを感じてしまったのです。これは間違った生き方だと思いました。
私は、「まっすぐ竹のようなバカ」として生きていきたいという生き方の取り戻しがここであり、そろそろ大人にならないとなと感じました。
そして、SNSで見るオタクたちのキツさというのもありました。自分の趣味を人に押し付けたり、自分の趣味を否定されたら怒り出してブロックしたりと見ていてこの人たちと同じ「オタク」でいいのかと思うことばかりでした。ノリが一番気持ち悪いですが。
アニメもそうです。オタク的なキツいノリばかりのアニメで埋め尽くされていくようになりました。オタクがアニメを作ると、こんなに見ているだけでキツいものができるのかと軽蔑しました。タコツボ化とカルト化しているなとも思いました。アニメの大御所の方たちがオタクが創作をするなというような言葉が心に響きました。
創作の人たちもそうです。特に小説ですが、自分の小説を読んでほしいという欲が多い人ばかりなんですよね。おすすめの小説ないですかと聞けば、自分の(あんまりおもしろくなさそうな努力もしていない)小説を出すわけです。
私であれば自作ではなく面白い小説を勧めたい気持ちなのですが、こういうエゴだらけの人たちとやりたくないという気持ちで一杯でした。はっきりいって気持ち悪いです。
そもそも、オタクコンテンツというのは子供が見るもので大人になってまで見続けるのも限界値が来ていたのだと思います。アニメもそうですね。
ストーリーも、アニメや漫画の上位互換のストーリーを図書館で借りれば無料で楽しめてしまいもするんですよね。
だいたいが村上龍や村上春樹の小説などの高い文化を低くアニメ化したり、漫画化したものがオタク世界では神作扱いすることが多いのですが。
そうするといつの間にかオタクを卒業していました。
でも、普通のオタクというのはだいたい20歳くらいになると卒業していくものなのではないでしょうか。青少年向けから大人向けへと趣味の転換ですね。元々は作り手の人たちはそっちに流れるように設計していたはずなのですが。
ガンダムはsfへの入り口であり、ハインラインのとある作品二つから拝借しているわけだし、コードギアスやエヴァは村上龍作品へ招待されるわけだし、新海誠作品なら一般恋愛小説。例えば、白石一文や、村上春樹(恋愛もの)など。
key作品からなら大江健三郎や中上健次、フォークナー、村上春樹(サーガもの)などのサーガものへの入り口ですし。ジブリ作品から堀辰雄作品にも出会いました。
新しい趣味とはと聞かれると私は哲学や社会科学、批評、近現代文学、伝記、ノンフィクションと挙げると枚挙に暇がないのですが。思えばオタクになってよかった点は大人になることができることです。それまで見てきた子供向け文化的なものが大人向け文化(映画や小説など)の架け橋になったということです。
ある意味、いい時代にオタクになり、その文化圏が変になる前に出れた感覚ですね。
sfや歴史ものいろんなものを見て楽しんで生きていこうと思います。
ドラゴンクエストユアストーリという世間では叩かれた映画があります。糞映画などと言われることもあります。なぜなら、「大人になれ」と最後に言われたからだそうです。オタクの世界なら低評価になると思いますが、私は、「本当にその通りだよ」と思いました。
でも、そのアドバイスも実のところ余計なお世話ですね。
実際は「大人になった」とかではなく「勝手に大人になっていた」だけでしたしね。
'オタク' is dead.
増補
オタクの無知化。低クオリティ大量複製の時代の到来
オタクたちの無知化ということが今起きています。つまり、オタクを自称しているのに、オタクの歴史や文化。触れておかなくてはいけない名作を知っていて読んでないならまだしも知らない人がいるのです。驚きですが、オタクというものは文化継承がストップして実は死滅している化石なのではないかと岡田斗司夫のオタクイズデッドという著作を思い出しながら思いましたし、名作を知らないという人も知ってから読みますとかではなく、知らないとだけ言って、それからなにも調べようともしないのです。なんだこれは。厚顔無恥にも程がある。しかもその人は作り手を自称していたわけです。困りました。
今の時代、文化継承がどこの文化でもうまくされていないように感じます。教えを乞う。そんな気持ちを大切にしていきたいなと思いました。
教えを乞う方法は簡単です。専門家を調べて、その大学の聴講生になり、教えを乞うわけです。簡単でしょ。私は運よくオタク第一世代の方たちと関わったり、その人たちの著作を読んだり、作り手たちの本を読むので、ある程度知れてきてはいたのですが、やはり教えを乞うて文化を継承すること。これがなくては面白い文化の担い手にはなれないと思います。
全体的なオタクコンテンツの低レベル化も、この文化継承がなされておらず、正しく批評できる目を持ったオタクがおらず、作る側も創作の基礎さえ知らない恥ずかしいアニメやラノベ、漫画が増えてきましたが、作り手側の無知さもなかなか恥ずかしいところです。
さて、これからオタクカルチャーの盛衰はどうなるのでしょうか。私は衰えると予想します。なぜなら、オタクの幼稚化が激しいからです。これから低レベルな話がさらに需要され続けクオリティーもさらに低下していくと思います。