わかりやすく書くことについて 民主的な方法
今、改めて、わかりやすく書こうとする民主的な作家たちを評価しなくてはならない。細かなことについて、あれこれ書いたり、専門的な高度なことを書いて、中世の聖書を独占した神学者たちと同レベルのことをしている人たちを私は好きになれない。学術の世界、特に文学の世界は、くだらない差分にあれこれ言っていて、その専門的な狭い知見を大きなものと勘違いしている連中が多い。一言でいう。専門バカである。
わかりやすく書く。これをしている人たちは、偉大なのだ。彼らは、日本の学術界におけるグーテンベルクなのである。活版印刷に次ぐ、優れた作家の技法なのである。わかりやすく、最低限の物事についての知識を理解しておくこと、これが、あなたを自由にするのだ。
インターネットはそういう意味では最高の作品だ。細かなところでは間違っているかもしれないが、偉大な思考を簡単に知ることができる。アマゾンは、多量の本を販売している。おすすめで出会って、豊かになったことが多い。私は、本屋より、個人的には、アマゾンにお世話になった。キンドルは、偉大な発明だ。家に本を収納しなくていいことがこんなに、気楽になれるとは思っていなかった。技術は、確かにデメリットを生むことになる。本屋がつぶれているとか。だが、いつでもどこでも、絶版した稀覯本から、大衆小説、漫画まで、すべて閲覧することができる。本屋より、アマゾンのほうが、得られる情報の量が違うのだ。
ともかく、情報革命は素晴らしい。それで、調べ、簡単に見つけられるようになる。
わかりやすく入門を書き、偉人の思考を教えてくれる優れた書き手。現代ほど、誰でも、大衆から抜けられるきっかけをくれる時代はない。権威を固めるために敢えて、難しく書く学者どもの閉鎖した細かなことにあれこれ言って、一般人の人が読んでもなにも見いだせないようなものをわざわざ読んでおくこともない。なんて、素晴らしく生きられる時代なのだろうか。現代は素晴らしい。私は、この時代でなければ、不自由な人生を生きていただろう。
私を変えたのは、著作権フリーのものが無償で読める青空文庫だった。私の自殺を抑制したのも、青空文庫だった。
今ほど、ネットで閲覧できる民主化したわかりやすい権威だったものの情報をわかりやすく見られる自由な時代はない。文学者の権威が化けの皮であることを露出させてくれるX(旧ツイッター)のおかげで、文学者たちが飯を食うだけのためにある文学部に行かないほうがいいなとXを見るだけで、思える時代がうらやましい。文学教授たちの文学論は、所詮、高度な、オタクの妄想考察に過ぎないことを教えてくれた。極端な思考を一般的だと勘違いしている連中だとわからせてくれた。そもそも、作者の死をバルトが言い出してから文学部という伽藍は壊死していると思う。
情報革命は情報の民主化は本当に偉大だった。