ベトナム阿房列車
ホーチミンからハノイまで寝台列車に乗る。
2都市間の距離は約1700km、おおよそ青森〜福岡間と一緒だ。そこを「ベトナム統一鉄道」が結んでいる。全線を走り通す列車は一日6往復設定されていて、約32〜40時間をかけて走破する。全線非電化で、駅などを除きほぼ単線。線路状態もあまりよろしくないようで、少し昔の乗車記を読むとバイクに抜かされたり、走っている車両に人が掛け乗る光景もあったとか。ちなみに青森〜福岡間を新幹線で移動すると9時間半くらい。ローカル線好きにとっては魅力的に映る路線だけれど、ホーチミン~ハノイ間は航空便も就航しているので、移動手段としてこの列車を利用する人は果たしているのだろうか。
ハノイに行く訳だが、別にハノイに行きたい訳では無い。寝台列車に乗ることが目的であってハノイに行くというのはただ単にその結果にすぎない。かつて内田百閒先生が何の用事もないにも関わらず阿房列車を大阪まで走らせたことに倣って、この文句を言ってみる。
なんにも用事がないけれど、寝台列車に乗ってハノイへ行って来ようと思う。
ホーチミンの駅はこの地の旧称の「サイゴン駅」を名乗っている。中心地からはやや離れていて、タクシーで20分ほど。人口800万人を擁する都市の鉄道駅にしてはあまりに寂しい。発車の30分前に駅に着くと待合スペースにはそこそこに人がいる。とはいえ、改札に駅員が2人立って乗客を捌いていき、それで問題ない程度。乗車券をみせてホームに向かうと、眼の前に列車がいる。せっかく時間があるので先頭車両まで見てみようと先頭まで向かうと、2両目あたりで乗務員に声をかけられた。おそらく「この先に乗る場所は無いぞ」的なことを言っているのだと思う。ベトナム語はわからないので「ただ先頭車両を見たいだけなんです」とは言えないし、言ったところでそうした嗜好を理解してもらえるかもわからない。下手なことをして乗れなくなっては事なので、おとなしく引き下がることにした。
今回乗るのは一等寝台。とはいえ個室などではなく、一区画に2段ベッドが2つある、日本で言えばB寝台に近い。直前に乗車券を取ったので、もう上段しか空いてなかった。寝台に入ったときにそれが大きなミスだということに気がついた。上段だと車窓がかなり見にくい。見られないことはないのだが、寝転がって首を曲げる変な態勢をとらないといけないので、長い時間はできない。寝台列車に乗り慣れてる人なら何を今更というような話かもしれないが、そうじゃないのだから仕方ない。いつになるかわからないけど次は気をつける。
定刻19:00に発車。サイゴン駅が中心部から離れているとはいえ、ホーチミンの市街地は広い。車窓には建物の明かり、踏切には大量のバイクが並んでいる様子が映る。私と同じ区画には中年男性、そして若い女性とその娘が乗っている。荷物を整理して寝台を整えて少し休んでいたら、女性乗務員が区画に入ってきて、下段の寝台に腰掛け、女性と話し始めた。何を話しているかはさっぱりわからないが、業務的なこととは思えない。ただ雑談している風だ。
車内を歩き回ってみることした。私が乗っているのは10両目。乗客が立ち入れるうちでは最後尾のようだ。前方車両に歩いていく。乗客は家族連れや年配の人、若めのグループまで様々いる。こうして見ると、きちんと移動手段として、鉄道があるのだと感じる。みんなどこまでいくのだろう。4人1部屋の一等客車、3段ベッドが2つの2等客車、そして座席車両。全体を通して8割位は埋まっている。通路には折りたたみの椅子がいくつも置かれていて、それを開いて座ったり寝たりしている人、またゴザを敷いて横になっている人もいる。果たして彼らは何の乗車券を買っているのか。先頭には食堂車があってはほぼ満席。卓には缶ビールが並んで居酒屋のように賑やかだった。
車内散策から自分の区画に戻ってくると、さっきまではしゃいでいた子どもは眠っており、灯りが落とされていた。私としてはまだ眠くなく、車窓を眺めていたかったので、そっと外に出た。ちょうど使っていない折りたたみの椅子があったので、それに腰掛けた。ホーチミンの市街を抜けると車窓は暗闇が占める。畑の中にぽつんとある家や並走する車道のトラックなどの光が時折見えるくらいだ。
そうしているところに、前から乗務員が歩いてきた。さっき私が車内散策をしていたときに2,3度すれ違った。車内をキョロキョロしながら行ったり来たりしている外国人ということで、怪しい人物に見られてないか心配していた。乗務員は私に歩み寄ると、「Where are you from?」と訊いてきた。「Japan.」と返すと、笑顔で私の肩をぽんっと叩いて去っていった。このベトナムで、鉄道オタクがどの程度認知されているのか、そもそも存在するのかわからないが、とりあえずここでこうしていることには問題なさそうで安心した。