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さよなら北星駅

2020年秋、来春のダイヤ改正で廃止される駅についてのニュースを目にした。JR北海道での廃駅は既に毎年恒例になっているし、それ以前から沿線自治体と協議しているという話は知っていたので、どうなったか…という思いで見た。その中には私の原体験ともいえる駅が記載されていた。

一般的に駅とは利用者がいて、周辺には家や商店が並ぶものだが、それは普遍なものではない。秘境駅というものがある。駅の周囲には何もなく、下手をするとそこにアクセスするための道すらない。下車したら最後、次の列車が来るまでそこから脱出することすらできないなんていうところもある。果たして駅とは何なのか、という問いも生まれてきそうだが、私はそうした秘境駅が好きだ。わざわざそういった駅を見るために全国各地の鉄道へ乗っている。

近年は“秘境駅ツアー”なるものも催されており、少しずつ一般にも認知されつつあるように感じる。といいつつも本質的に秘境駅とは需要の無い駅だ。求められていないサービスにコストが割かれないのは仕方がないことだ。秘境駅が廃止されていくという流れに抗うことはできない。そんな割り切った諦めを抱きつつ見た“廃駅リスト”のうちに宗谷本線の北星駅の名前があった。

私が北星駅を知ったのは、とある旅行雑誌がきっかけだった。「北の大地の秘境駅」などと銘打った巻頭カラーページの一コマにこの駅が写っていた。緑があふれる夏の北海道の大地に真っ直ぐな線路が一本伸びている。その中心にあるのはキハ54系。停車しているその傍らには車両1両分にも満たない板切れで作られたホームがある。駅舎もなければ、周囲に人工物は見えない。ページをめくるとさらに遠景で撮影した駅の姿がある。今にも周囲の草むらに同化してしまいそうだ。ホームには駅名標と電燈が1本立っており、なんとか自然の浸食から抗って、存在を主張しているように見える。やや離れた場所に駅舎があるようだ。ただそれも小さな木造の掘立小屋のような粗末なつくりで、「毛織の☆北紡」という赤い看板が張り付けてある。良くわからないがかつてあった地元の企業らしい。

「こんな駅があるのか」というのが私が最初に抱いた感想だった。駅といえば、駅員がいて自動改札があって、コンクリート造りのホームがあって、と思っていた私には、それが駅だとは信じがたかった。

当然時刻表にもきちんと名前は記されているが、列車の本数は上下あわせて一日10本に満たない。特急列車はおろか普通列車すら通過する便がある。一日に何人がその小さな板切れホームで列車を待つのか。いや、そもそもいるかどうかも怪しい。毎日300万の乗降客がいて数千もの電車が発着する新宿駅も、この北星駅も、駅という立場は一緒だ。

「見に行きたい」と思った私は、時間を工面して北の大地へ飛んだ。2015年の夏だった。新千歳空港で青春18きっぷの印を捺してもらい、札幌を経由して旭川に至る。

旭川は道内を鉄道で廻るにあたって拠点となる。ここから東の網走方面へ向かう石北本線と、最北端の稚内へ向かう宗谷本線が分岐する。いずれも本数が少ないので、基本的には旭川で一泊して、翌朝の便でローカル線の旅を始めることになる。

翌日、6:05旭川発稚内行の列車に乗る。キハ54の一両編成だ。クロスシートに腰かけ、キオスクで買ったおにぎりを頬張る。本当は駅弁が良かったが早朝でまだ店が開いていなかった。

今回、北星駅以外にもいくつか訪問したい駅があり、それをふまえて列車の乗継プランを立てていた。しつこいようだが北海道のローカル線は本数が少ない。きちんと計画を立てないと、駅以外何もない場所で数時間待ちぼうけをくらう恐れもある。たしかに好きな場所ではあるが、そこまで長い時間を、何もない、どこにも行けない秘境駅で過ごすのは気が進まない。何かがあっても誰も助けに来てくれない。

宗谷本線上を行ったり来たりして、だいたいどこの駅にも15分から30分くらい滞在するように計画を立て、効率の良い廻り方を組んだら北星駅は夕方に下車することになった。

北星駅以外の訪れた駅はどれも良いところだった。昭和の香りがする木造駅舎や貨車を再利用した駅舎もあった。そして広い牧草地帯を駆け抜けたときの解放感溢れる車窓、峠に至る勾配でエンジン音を唸らせながら上っていく様子といった、列車に乗っている時間も良い体験だ。

旭川方面行きの列車に乗っている。時刻は平常通り、何もなければ18:11に北星駅に着く。やがて車両前方の次の駅や運賃を表示するパネルに“次は北星”と表示され、自動アナウンスでも「次は北星です」と流れる。なんだかどきどきしてきた。駅で下車するだけなのにどうしてこんなに興奮しているのかよくわからない。

荷物を持って車両前方のドアの前に立つ。カーブを抜けて前方が見通せるようになり、遠くの線路脇に何か見えてきた。「あ、あれが、、、」写真で何度も見た“あの板張りホーム”だ。その姿はだんだんと大きくなっていく。列車が停止線に停まった。ドアが開く。青春18きっぷを運転手に見せ、ホームに降り立った。案の定というか、乗って来る人もいないし、降りたのも私一人だ。

ドアが閉まり、エンジン音を轟かせて列車は動き出す。車内からこちらを見ている、眼鏡をかけた中年の男性と一瞬だけ目が合う。赤いテールランプを尻目に列車はどんどん遠ざかっていく。やや赤みを帯びつつある空を背景にして、車両は線路の先へ消えていったが、エンジン音と車輪がレールをたたく音はまだ響いている。

さて、次の列車が来るまで44分。時間はあるが何をしようか。ひとまず目当てである板切れホームを眺めて写真に収めてみた。それから少し離れた場所にある駅舎も見てみる。写真で見たときには幾分か味があるように感じたその建物は、実際に目にすると粗末な掘立小屋といった具合だった。

建てつけの悪い扉を開け中に入ると、古い物置のようなかび臭いにおいが鼻についた。壁に貼ってある時刻表や運賃表、置いてある除雪道具が、これが駅だということを示してくれている。窓のサッシ部分には虫の死骸がたまり、小屋のいたるところに蜘蛛の巣が貼っている。次の列車が来るまでのひとときを過ごせる場所とは言い難い。

駅舎をあとにして周囲を見回してみる。雑誌で見た時には人工物はほとんど見えなかったが、実際には民家がいくつか見える。人が住んでいるかどうかは確かめようがないが。

当初は駅周辺を散歩してみてもいいかもと思っていたが、その気持ちも失せてしまった。駅舎内の掲示のひとつに「熊出没注意」があったのだ。確かに遭遇する確率などそう高いものでないことは承知しているが、若干でもそんな不安を抱えながらの散歩は気持ちのいいものではない。そして万が一、となったら頼る術がどこにもない。というわけで駅の近くをうろうろして時間をつぶす。いざという時は駅舎に逃げ込もう。避難所としての機能を果たしてくれるか疑わしいが。

そうこうしているうちに列車の来る時間が近づいてきた。ホームに立ってみる。空はさっきよりも紫がかった色になりつつある。このホームでこうして列車を待っていた人が過去にどれだけいたのだろうか。

遠くからエンジン音と車輪がレールを打つ音が聴こえてきた。問題なく“迎え”は来てくれるようだ。安心半分、駅をあとにする寂しさ半分といった具合。エンジン音がだんだんと大きくなってきて、やがてヘッドライトが見えてきた。キハ40系だ。車両が近づくとガソリンのにおいが漂う。

ホームに停まってドアが開く。乗り込むと相変わらず乗客はほとんどいない。ボックス席のひとつに荷物を置くと車両後部に行った。列車が動きだし、板切れホームがどんどん小さくなっていく。もう薄暗くなっている窓の外で、ホームが確認できなくなるまでにそう時間はかからなかった。

その後も何度か北海道には鉄道へ乗りに行った。北星駅にも、雪に埋もれた時期に再訪したこともあったし、通過する特急列車の車窓から眺めるだけという時もあった。ここ2,3年は仕事などもあってなかなか訪れることができていなかった。

その間に道内の鉄道事情も変わってきた。櫛の歯が欠けるようにして路線図上から駅がなくなっている。訪れた時から利用者なんているとは思えなかった北星駅は、何年かは持ちこたえた。実は利用者がいたのか、それとも運良く目を逃れてきたのかはよくわからない。JR北海道から廃駅が発表されるたびに、私は首の皮が一枚繋がるような気分でいた。

しかし、いつまでも逆風に抗うことはできなかったようだ。廃止が発表されてから、なんとか訪問できないかと旅行計画を練っていたが、やはりいろいろな事情が重なってそれは叶わなかった。

今後、この板張りホームはどうなるのだろう。列車を安全に運行するために“建築限界”というものが定められている。線路から既定の範囲内に、建築物を設置してはいけないというものだ。ただ、駅や信号などの設備については特例として、その範囲内にも設置ができることになっている。つまり駅のプラットホームであれば線路に近接していて問題のないものが、駅でなくなった途端にそれは撤去されなければならなくなる。

駅が無くなっても、その痕跡は見つけ出せることがしばしばある。行き違い用施設があったことを感じさせるように線路のカーブが不自然に曲がっている区間。上記のようなプラットホームでも、線路に近い部分だけを撤去して、コンクリートの土台が線路脇に残っている場所があったりする。

北星駅はどうだろうか。小さな板張りホームは取り去ってしまったら最後、その痕跡はまったくといっていいほど見えなくなる。駅付近の線路は直線区間だ。列車はきっと、そこに駅があったことなどすっかり忘れて、颯爽と走り去っていくだろう。

2021年3月13日をもって北星駅は廃止となる。私にとっての旅の原点といえる場所が無くなってしまうのは残念なことだが、決してそこへ行けなくなった訳ではない。訪れればおそらく、在りし日の様子を思い出すことができるるはずだ。実のところ、実際にあるものを目の当たりにするよりも、無いものを思い浮かべる方が、都合がいいこともある。そんなことも少し期待しながら、ふたたび旅ができる日を楽しみにしている。

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