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節分、豆まきの思い出

例年であれば、スケジュール帳の2月3日あたりに記された「節分」の文字に何の感慨も抱くことはないのだけれど、今年はいつも通りにならないのは、何年ぶりかの2月2日の節分だからか。普段聴いているラジオ番組でもその話題に触れていたし、スマホを見てもそんなニュースが目に付く。

そんななかでふと、小学生の頃のことを思い出した。季節の行事はきちんとこなす家だったので、五月には鯉のぼり、七夕には笹飾り、中秋の名月にはすすきと月見団子、クリスマスにはツリーが、それぞれ居間に置かれていた。

節分もその例に漏れなかった。我が家は一軒家だったが、ベランダや窓から、弟とともに掛け声をしながら豆を投げる。台所にある小窓、車庫に通じる勝手口、トイレの換気用の窓に至るまで、律儀に投げた。本気で鬼を恐れていた訳ではないが、なんとなく漏れがあると気持ち悪い。投げ忘れたところからよからぬものが入ってきそうな気がした。豆を投げることでなんだか家の周りに結界を張っていっているような気分にもなった。

“結界張り”の仕上げが玄関だ。ここでちょっとしたイベントがある。父が鬼のお面をかぶって外で待機しているのだ。私たち兄弟が玄関のドアを開けると、待ちかねていた“鬼”が「ガー!」と声をあげながら家の中に入ろうとする。私たちは“鬼”を家に入れまいと、必死に豆を投げつける。

鬼のお面は何てことはない、スーパーで無料配布されていたようなものだ。そして首から下は普段の父の服装。“鬼”が父であることはドアを開けた瞬間からわかっていた。にもかかわらず、それは家に入れてはいけないもののような気がした。そんな気持ちが、豆を投げる力と掛け声を強いものにしていった。

“鬼”の手が頭上に降りかかってくる。「やばい!」。“恐ろしい”というとやや大げさだが、湧いてきたのはそれに似た感情だった。襲い掛かってきたのは父の手ではなく、鬼の手だった。豆を投げつけられては怯み、再び襲い掛かってきては、豆を投げつけてまた撤退する。そんな攻防を何度か繰り返した末に、“鬼”は“退散”した。

一仕事を終えた私たちは居間に戻る。しばらくすると父が居間に入ってきた。そして年の数だけ豆を食べる。本来ならば10に満たない数しか食べてはいけないはずなのがだが、おいしくてついつい手が伸びてしまう。

たくさん食べているところ、いわばルール違反をしているところを親に見られるのは都合が悪い。なので1粒ずつ食べているように見せかけて2,3粒同時に食べたりする。この程度なら親はごまかせるだろうけど、神様にはばれている気がして、なんとなく気持ちが落ち着かない。

でもやっぱり食欲には抗えない。結局既定の数を食べたあと、「ここからはノーカン」ということにして気が済むまで食べたのだった。パックに入った豆はもう半分もない。これでは親にもばれてしまう。

翌朝、学校に行こうと家を出ると玄関前や前の道に豆が落ちている。踏み潰すのにはなんとなく抵抗があったので、気をつけて歩く。帰宅したときにはまだ残骸がちらほら残っていたが、数日たつと跡形もなく消えた。

半分残った豆は、しばらく台所の食材置き場に置かれていた。食べたい気がするが、節分以外の日に食べるのは、何となく決まりに背く行為のような気がしてならない。一週間ほどたったところで母に食べていいか聞いた。いいよ、とのことだったので袋を開けて、あの夜の味を期待して口に入れる。既に湿気てしまった豆は全然おいしくなかった。

そんなことをつらつらと思い出したりしたが、今年も別に特別なことをするつもりはない。近所のスーパーで半額のシールが貼られた惣菜を手にして、レジ横に積まれた豆パックを尻目に会計を済ませた。買ってきた惣菜を並べて夕飯にする。

そういえば昨日のつくった大根の煮物が冷蔵庫にまだ残っていたはずだ。冷蔵庫を開けて取り出す。煮物の器の下には「鬼ころし」が横たえてあった。つい先日、料理酒用に買った2リットルのやつだ。立てると冷蔵庫に入らないので常に横たえてある。少し悩んだが、一緒に取り出した。「鬼ころし」は片手で持つにはずっしりと重たかった。

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