はじめてのnote
娯楽は労働者にお金を与えない。
実家は教養のない家庭だった。音楽も、絵画も、もちろん、本すらない家庭。
親に教養がなかった訳ではない。若い頃はそれなりに当時流行した映画や本を見たり読んだりしていたはずだ。
でも、家庭を持ち労働者とさせられ苦難を強いられ、そんなうちに、家庭から娯楽は消え、教養もついえた。
娯楽はお金を与えない。親という名の労働者は娯楽を投げ捨て汗をかき、死を決意し、それでも家庭の為、明日の為、歯を食いしばりながら明日を生き抜くしかやりようがなく、ただひたすらその日その日を繰り返す人生を歩んでいたに違いないと、そう私は両親をみる。
私は本のない家庭に育った。それは何も恥ずかしくはない。上述したように、私の体は親の死に物狂いの汗で出来ている。
文字の書けない子供
もし、日本が近代的な文明を有さず、そして、教養を捨てて労働に全てを投じたなら、私は文字を書けなかったに違いない。
私が文字を初めて認識できたのは小学校に上がってからなのだ。
文字を読めるようになったのは、私の覚えてる限り1番初めの世界の広がりだった。
そんな私が好んだ本は戦争と差別と歴史、エッセイ。
人が何を感じ何に苦しむか、そうして、まだ癒えない傷を文字にしたため、苦しいだろう辛いだろうと、それでも私のような教養なき子供に読まれたその本の作者は、今報われているだろうか。
当時、小さな片田舎に住んでいた、山に囲まれ逃げ場のない場所小さく狭いコミュニティ、緩やかに流れる時間。
外は辛く怖いことばかりで、それでも私は世界を知りたかった、知って、「私がいるんですここに、あなたの隣にいるんです」そう、言いたかったんだろう、当時の私は小さく純真で、無垢で、そうして、人の痛みを癒せると信じてやまない、教養なき子供だったのだ。
私は知った、アイヌの人の手記を、同和部落の人達の怒りを、ハンセン病の人たちの生涯を、文字の書けない人が残したかった思いを誰かが代筆していたあの本も、いじめを苦に死のうとした、あの人たちの、でも、みんな生きていた、生きていたから、私は世界を知れた。残そうとしたから、残してくれたから、私はしれた、あなたの思いを、あなたの苦しみを、あなたの諦め、絶望、悲嘆、全てを。小さな私は全てを自分の中に入れた。なくならないように。
読書感想文は誰かとの比較だった
たくさん本を読み、図書館の自伝は全て読んだのではというほど本を読んだ。
でも、読書感想文は凄く苦手で、うまく書けなかった。私の中に落とし込まれたものは、私のものではない、それは痛みを感じた人のもの。
私は所詮読んだだけの教養のない子供。本当の辛さなど、なにもわからないのだ、うまく書けずに何度も何度も消しゴムで原稿用紙を消す、うまくいかずに破れた原稿用紙の前で、あの本を書いた人達は、うまく書けたのだろうかと、そう、娯楽のない家で1人考えたものだった。
読書感想文に嘘はつかない、それは書いた人への礼儀のために、陳腐な言葉では意味がない、思ったことを思ったまま書くのもよくない、繊細に扱わなければいけない。
私はフィクションは好まなかった、フィクションは本当じゃないから、世界を知りたい私にフィクションは甘い言葉をくれるだろうが、そんなもの、あの山々がもう私に嫌というほどくれたのだ。今必要なのは、人の感情。
それを、出力する力がなかった。
読書感想文で賞をもらった頭のいい彼女は、上手に話を書く。勉強もできた。
私はただ、沸る想いをたぎらせただけ、何もできず、何も書けず、あるのは破れた原稿用紙だけだった。
話を書かせてください。読まなくてもいいから
大人になって、私は文章を書いてみることにした。
教養のない子供が教養のない大人になった。私が読んだ本の人たちはとっくにみんないなくなっていることだろう。とっくにみんな、安らかに眠ったことだろう。
話を書かせてください。読まなくていいから。
私の人生を、山の檻に入れられた小さなうさぎに読み聞かせるために。
あの時破れた原稿用紙に、書くために。