見出し画像

「話せばわかる」は9割正しい 残りは…

「話せばわかる」は、1932年に発生した5.15事件に端を発します。
当時の総理大臣・犬養孝が国家改造を目指す海軍青年将校に銃を向けられ、相手を説得しようと、この「話せばわかる」という趣旨の言葉を繰り返したと伝えられます。

結局、犬養総理大臣は「問答無用」として射殺されてしまいました。
残念ながら話すことが解決に繋がらなかった事例です。

ただ私個人的には、平時であれば、勇気をもって話してみることで、9割ぐらいの確率で状況が好転するように感じています。
皆さんはどのように思っておられるでしょうか。

以下に、自分が感じ考えていることを書き綴ってみます。

分断の時代

いま、かつてないほど分断が進んでいると言われていますね。

人類の歴史を見ると、昔から人々の対立というのは数えきれないほどあって、悲惨な争いも幾度となく繰り返されてきました。
とはいえ、文明が発達し情報交換が容易になった近年における「分断」は、以前とは異なる、新しいフェーズのものの様に感じます。

自分が生まれてからの日本がずっと平和だったため、争いごとに慣れておらず、よけいにその様に感じるかも知れません。私自身は、インターネットが一般的になった10年ちょっと前から不安を感じていました。

SNSやウェブサイトでは、表示するコンテンツを「最適化」するアルゴリズムを採用するために、自分が興味をもっていることや、好みの内容が優先的に表示されます。旧Twitterに代表される様に、何かのテーマが話題にのぼった際は、同じ意見をもつ人の投稿ばかりが表示されるため、どんどんその方向で思考が固まり、異論を否定する意見が大勢を占めると、自分サイドの意見が正しいということに疑いを持たなくなってしまいます。

この、ちょっとした違いが一気に増幅される仕組みは、心理学では「エコチェンバー効果」と呼ばれますが、人と人との対話が基本であった時代、テレビや新聞がメディアの主体であった時代には、今ほど見られなかったことですね。

とりあえず話してみる

いまは何でもSNSを介して行える時代です。
直接人と話をすることなしに、表面上は知らん顔でいろんなことができてしまう。
目の前にいる人が何を考えているのかわからない。
そんな怖さがあります。

でも、これも経験している人はわかると思いますが、「話してみると意外にいい人だった」とか、「話しているうちにお互いの共通点・相違点が見つかって理解が深まった」みたいなことって良くありますよね。

最近はお互い話さなくても済むことが多くなったり、コロナ禍で人と会う機会が少なくなったりして、コミュニケーションを苦手とする人が増えている様に思います。
自分も、あまりウェットな関係を好む方ではありません。現役で働いていた時も、昭和の日本的な職場の付き合いが良いとは思っていなかったので、仕事以外の付き合いは最小限にしていました。冷たいやつだと思われていたかと思います。

仕事とプライベートは分けて考えて良いと思いますが、直接お話をすることは仕事をうまく進める上でも必要かつ有効ですよね。

いまいちの対応に会っても深く考えない

仕事かプライベートかを問わず、普通だったら話さなくても問題なく処理はされていくけれども、ちょっと話しかけることで、そして笑顔で返事が返ってくることでなおさら、少し幸せな気持ちになったという経験のある方は多いのではないでしょうか。

もちろん、話しかけても不機嫌な対応をされることもあります。そうなると、かえって嫌な気分になるので、わざわざリスクを冒すことをしないという人もいると思います。

重要なのは、きちんと状況を見ることです。相手が話しかけられて嬉しい状況だと判断できたら、9割はうまく行くのではないでしょうか。
失敗する1割というのは、あなたが余程状況を判断できない人であれば別ですが、単にたまたま ①相手がそういう人だった ②相手がそういう状況だった(こちらは知りえない事情) わけで、あなたに非はありません。勇気をもって、別の人、別の機会にやってみればいいと思います。

話す回数も大切

お互いの理解や好意は、会う回数が多いほど深まると言われます。
これは心理学ではザイオンス効果(単純接触効果)と呼ばれるもので、普段から会って話をしていると、一般的には自分のことを好意的に捉えてもらえる可能性が高くなるとされます。
(まあ、例外もあるようですが…)

で、普段から会っている様な人と何らかの対立が生じたときは、やはり直接話をしてみるのがいいですね。
ちょっとした方向性の違いは、よくよく話をしてお互いの事情や言い分を聞くことで相互理解が進み、解決の糸口が見つかることも少なくありません。

一方的に悪いことを考える人っていうのは、日常生活で付き合いのある人にはそうそういないはずなので、感情的にならずに、価値観の違いを尊重し、意見の相違点を整理して話し合えば、少なくとも決定的な対立に至ることはないと思います。

「話せばわかる」が通じない相手

ただ難しいのは、冒頭の犬養孝総理大臣のように、話すことが有効な解決策にならない場合もあることです。

例えば、煽り運転をしかけてきて前方に車を停めて進路を塞ぎ、車から降りてきて威嚇してくる人。動画を見られた方も多いと思います。
話せば解決するという気がしません…
まずは自分の身を守ることが優先される様に思いますね。

話は拡大しますが、いま世界中で起こっている分断。
ひどいところでは、一般市民を含む多くの人を犠牲にする侵略や攻撃が行われ、解決の糸口が見えません。

そういった国の「指導者」は、少なくとも国を治めている人ですから、教養があり能力も高い人のはずです。「話せばわかる」に期待したいところですが、当事者間で話し合いが続けられている様には見えません。
国連等による仲介も、残念ながら機能していない様に思えます。

国のリーダーに煽り運転のドライバーと同じ対応をしないといけないのだとすれば、本当に不幸なことですよね。

小さな勇気で成功体験を重ねる

話が大きくなりすぎてしてしまいました。
身の丈のあった話に戻して、最後まとめたいと思います。

自分は口数が多いタイプではありません。
だけど、周囲の人とは良好な関係を築きたいので、意識して会話でのコミュニケーションをとるように心がけています。

小さな勇気が必要ですが、成功体験が次の一歩をあと押ししてくれると感じています。
ひとりひとりが「話してみる」を実践し、多くの人が対話の効果を実感することで、少しずつでも「話が通じない相手」が減っていけばいいなと願っています。


本日の内容は、ことさらにnoteで書くほどのことでもないのでしょうが、たまたま最近すこしきっかけになる事象があったので、自分のためにもアウトプットしてみました。

最後までお付き合いいただいた方、有難うございました。
もし共感いただけたら「スキ」で示してもらえれば嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!

PISIA
よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!