日体大長距離競技会5000mに参加
Withlete吉岡です。
日体大長距離競技会5000mに参加してきました。以下振り返りです。
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日体大長距離競技会に参加してきた。
5000m6組で14分33秒22だった。
自己ベストからは24秒も遅いタイムであるし、10000mやハーフマラソンの通過タイムとほぼ同等であるから客観的には完全に「外し」レースである。ところがいざ振り返ってみると「こうなって当然」という冷静に言い訳をする自分もいる。5月に出場したGGN5000m以降の過ごし方含めて反省をしたい。
・俺は仕事をしている。
5月のGGNは14分20秒だった。以前の記事にも書いたが冬のロードレースの結果を鑑みれば思いのほか走れなくて凹んだ。凹んだなら次に繋げなければ俺はこのままになってしまう。もともと長距離に「●●●●m用の練習」なんて存在しないのだが、トレーニングの分布が偏っていたのは事実だ。GGNの反省を生かしてトラックでスパイクを使い実践的な練習を計画していた。・・・実行できなかった。
なぜなら俺は仕事をしているからだ。言い訳ではなく事実。
平日の午後は練習できるか分からないので基本的に計画を入れないようにしている。やろうと思っていた練習ができなかったときの虚無感が嫌いだからだ。
だから陸上競技場での練習は必然的に土日に限られる。
そして俺は5月18日の東日本実業団10000mからトラックを1ミリも走っていない。この時点で5000mをまともに走れるわけがない。
・利尻島1周マラソンと肉離れ
なぜ5月18日以降トラックを1ミリも走らないという陸上選手としてあるまじき状態に陥ったのか。そのもう1つの理由に53kmマラソンがある。
6月2日に利尻島一周悠遊覧人G(ゆうゆうランニング)という53.67kmのマラソンに出場している。完走すればOKなレースなのだが、ダメージがデカかった。1週間後の6月8日のジョグ中に肉離れをしてしまった。キロ4以上の速度や60分以上走ると悪化するので30分程度の緩いジョグを2週間ほど続けた。
6月30日に参加した嬬恋高原キャベツマラソン(ハーフ)が5月19日以降、最初で最後の高強度練習になってしまった。
・日体大長距離競技会当日
そんなこんなで当日を迎えてしまった。「走れるわけない甘く見るな」と「なんとかなるっしょw」という気持ちがグルグルし続けたまま会場についてしまった。
サウナのような気候でアップの段階から汗が止まらなかった。事前の手応えもなかったので目標は特に設定せず付いていくことにした。
結果は14分33秒22(2’53-2’54-2’56-2’56-2’54)だった。結果的にはペースの上下なく、均等に出し切ったレースとなった。このあたりのスタミナ配分の感覚が残っていたのは評価できると思う。
詳細を振り返ると、最初の1000m2分53秒の時点でスピード感が合っておらず不快だった。これ以上のペースだと急に閾値を超えそうな感覚だった。3000m以降は意識の上ではまだまだ余裕があるが、身体が粘れない感覚だった。超ザックリに表現すると10km以上の距離に馴染んでしまっていたと思う。良くも悪くも。
・誤算を楽しむ
そんな感じで暑いし走れないし、で散々な7月日体大だったわけだが最初からこんなつもりだったわけではない。5月のGGNが終わってからは反省を生かし7月日体大で遅くとも14分10秒台、コンディション次第で14分一桁を、と意気込んでいたが、結局練習の段階から何も準備できなかった過程に問題があった。
とはいえ、ここで自己嫌悪して「明日から本気出す」と言っても環境は変えられないからそのうち戻ってきてしまう。
別にサボりたくてサボったわけでは無いのでこれが今の自分だと受け入れるしかない。ならば解釈を変えればいい。「ノー練で14分半」「ひと月で53㎞マラソンとハーフと5000mに出場」…見方が変わってくるだろう。
結局のところ人生を豊かにする方法は起こった出来事すべてをポジティブに捉えることなんだ。やれる範囲で自分のベストを尽くすことで競技が嫌いにならなくて済む。そして社会人陸上は競技が嫌いにならないことが一番大事なんだ。
思った通りには絶対に行かない。学生のときから知っていたつもりだが今の環境になってさらにそう思うようになった。そしてその不自由さを理解し受け入れない競技は続けられない。これは計画の無意味さを批判しているのではなく、新たな競技観を提案したいだけだ。
次は8月の北海道マラソンに出場予定。残り1か月半。合宿含めていろいろ計画はしているがどう転ぶだろう。
・告知
8月17日(土) 大濠公園(福岡市)にて練習会を実施します。北海道マラソン1週間前として19時頃からガチ距離走します。ご一緒いただける方ぜひご参加ください!