見出し画像

ひとはなぜ走るのか【2024年12月】


12/1(日) 絶望という名の希望

 青に山という字が続けば「青山(あおやま)」であって、じぶんにはちょっと気後れする土地を想起させるわけであるが、「青山(せいざん)」とすれば、かなり抹香くさく、普段使わないにせよ、本当は身近に引き寄せてもいいワードなのである。
 骨をうずめる場、俗っぽく言えば、墓場だ。
 もっとも、青い山と書いて「墓場」を意味するのは、57歳にもなると、味わい深いと思う。「人間(じんかん)至る所 青山あり」の青山のことである。「(故郷にこだわらなくとも)どこに行ったって活躍する場、すなわち骨をうずめる場はあるさ」という、はなむけの言葉らしい。

 何と言っても、終着点が「青い」って、救われる気がするのだ。本来の語義からすれば誤解しているのかもしれないが、それでもいい。「青い山」というイメージが、いま、とてもしっくりくるのである。

 第二の人生をスタートし、早くも2年目に突入。早期退職した理由には「好きなことをやりたい」という望みがあった。その「好きなこと」の半分を「走ること」が占めている。
 と、記せば、健康オタクの自慢かよ、と、思うかもしれない。だが実際には、ある種の絶望がきっかけになっているのだ。

 大学を出てからおよそ30年間、時間を費やしてきたのはテレビの仕事である。やりがいがあったかどうかで言えば、世間の常識に照らすと、恵まれているほうだと思う。じぶんの仕事がどこかの誰かの役に立つかもしれないと願い、番組というかたちで世の中に提示できるのだから。
 だが、ミスマッチというものは、いろいろな箇所にその種はまかれているものである。例えば、一個の精密機械も、ねじの緩み、歯車のずれ、想定外のベルトの伸び縮みなどにより、少しずつ調子を崩してしまうように、ひとりの人間と仕事との出会いも、気がつくと当初のそれとは変化してしまうこともある。  
 この30年間というのは、それなりの変容なのである。人々がテレビに向き合う姿勢が変われば、コンテンツの内実も体裁も変わり、ひるがえって、組織で働く人々の動機も資質も変わってゆくだろう。かく言うじぶんも、微細な変化が積もり積もってゆく状況を知りながらもその変化に対応すべく何かを努めてきたわけではない。番組を企画するにしても「世の変化のほうがどうかしてるのだ!」などと斜に構え、投げる球種を工夫改良するわけでもなく、巨大メディアの片すみで、巨大メディアに頼り切り、おのれの変化を拒んでいたのである。
 だが、そのくせ、手を抜いているつもりは無かった。
 エネルギーはある。それをぶつけたくとも、その対象が見当たらないのである。
 この、じぶんと仕事とのミスマッチこそが、バーンアウト(燃え尽き症候群)の典型的な症状なのだと、いまなら分かる。 

 だが、それを埋め合わせるものが見つかったのは幸運であった。それが「走ること」であった。下向してゆく仕事への情熱と反比例するように、高まる熱意をランニングが吸い上げてくれた。
 ふりかえると、なんとなくジョギングしてみたのが2011年なので、44歳のときである。あれから13年である。
 ただし10年近くも記録更新に本格的に挑むこともなく、ただ走り続けてきた。それだけで満足であった。走れば走るほど、距離を伸ばすことができた。仕事とは対照的に、努力すれば、そのまま結果につながる。結局それが導火線であったように思う。旅をするような気分に近かった。頼りにするのは「じぶん自身」という乗り物だけ。できるだけ遠くにゆくことだけが、目的であった。

 一方で「走ること」には、もっと深い魅力が内在していることに少しずつ気づいてきた。ランニングは、じぶんを開く単なるキーに過ぎない。扇を広げるようなその見晴らしの要にあるのは、身体の可能性である。じぶんを形づくる要素のうちでも実は圧倒的に重要である身体について、これまで無頓着であったのだ。
 開拓すべきは、わが身体なのだ。第二の人生の起点はここにある。

 仕事を辞め、走りを選ぶのは、あまり理解してもらえないかもしれないが、じぶん自身では当然の選択であった。幸福はそっちにあるのだから。
 そして、そっちに「墓場」があることも理解できている。
 絶望を経由した先にあったのは、もうひとつの絶望でもあるのだが、表裏一体にあるのは希望である。
 人間至る所 青山あり。やはりブルーであって欲しい。

 青くて、青い。すべてが青い、山である。 

<きょうのRUN>
 休養。二日連続である。
 おとといの深酒のため、久しぶりにカラダにこたえたので、きのうも休養したとはいえ、「マイナス2」のダメージを「マイナス1」に戻したに過ぎない。きょうも休んで「ゼロ」に戻し、あすに控えることにした。
 ただし、1時間のウォーキングと、筋トレ(スクワット、プッシュアップ、プランク)は行った。

12/2(月) ちょっと早いが、2024レースを回顧

 ことしのレース結果を振り返っておく。
 実は、5つしか出ていない。
 
・1/28 勝田全国マラソン
・2/25 ふかやシティハーフマラソン
・3/17 板橋Cityマラソン
・5/18-19 彩の国100mile
・8/26-27  UTMB (TDS 148km)

 結果は以下の通り。
・ 勝田全国マラソン・・・3h07m19s(終盤に歩いてしまう)
・ふかやシティハーフマラソン・・・1h23m54s
・板橋Cityマラソン・・・DNF(25km過ぎ)
・彩の国100mile・・・DNF(106kmで断念)
・UTMB (TDS)・・・完走(32h28m19s)※50歳代 3位

 年の前半においては、故障を繰り返したせいもあるが(※出られなかった大会もある)、ロングの走り込みが足りていなかったことがよくわかる。    
 5月の100mileレースのときも、予想以上に心拍数が上がってしまい、そのときも走り込みが不足していることを実感したものだ。
 その反省から、春から夏にかけてのトレーニングはほぼロングしかせずにUTMBに挑んだのだ(おかげで、ことし、最も手応えのあったレースであった)。

 さて、今期。
 そもそも、ロードレースと、トレラン(ロング)のふたつのカテゴリーを欲張って出ようとするのがよくないのだが、楽しいのだからしょうがないよね
 まずは、今週末の「武田の杜トレイルランニング」から(この大会は、昨年も年代別ではトップであったが、それに満足しない。若い選手に少しでも食らいつきたい)。

 ことしもエントリー数は控えめにし、ひとつひとつに集中するよう努めていく。

<きょうのRUN>
・7.52km ジョグ(キロ5分07秒)
・1000m×1本(キロ3分10秒)
・160m 坂道ダッシュ×5本
・160m 坂道ダッシュ×3本
・3.21km ダウン
⇒合計13.01km

12/3(火) ことしの「武田の杜トレイルランニング」、コースは微妙に変更したか?

 「第14回 武田の杜トレイルランニング」まで、あと5日。
 これまでも時々コースの変更があったが、マップを見ると、ことしも少しだけ変更があるようだ。
 
 中盤から後半はほぼ一緒だが、前半が大胆に変わっている。

 前半は、ロードが増えたのではないか?
 昨年までは、武田神社をスタートし、護国神社を経て、愛宕山スカイラインの上り坂をせっせと上るまでが、ロード区間であった。その直後の「つつじが崎」に入れば、あとはしばらくトレイルであった。
 ところが、ことしは、次の2点で変更がある。
 ①まず、恒例ともいえる「武田神社一周」はことしは無い(のかな?)。
 ②そのあと、護国神社を通過して、愛宕山スカイラインを上るまでは変わらないようだが、そこで左折せず(つまり「つつじが崎」には向かわずに)さらにロードを進み、甲府市街地を右手に見下ろしつつロードを下り、途中で鋭角に左折し、茶道峠へと向かうようである。せいぜい数百メートル伸びた程度ではあるが、ここは、初っ端から走力が問われる。

 ということは、前半はだいぶスピードレースになるのではないか。
 茶道峠まではゆるやかに上るので、このあたりでペースは落ちついてくるだろうが、岩窪林道に入っても、登り基調ではあるものの、トップ選手はがんがん走っていきそうだ。 武田の杜トレイルの場合、どのシューズを履けばいいのかいつも悩むのだが、前半だけを考えると、ロードシューズを選びたくなる。

 もう一点気になるのは、後半。「健康の森」を抜け「白山」へ向かう途中で、いつものコースから外れてはないか? これがどの道を意味するのかイメージできない。甲府に住んでいた頃このあたりはよく走ったものだが、「白山」に真っ直ぐ向かわず、周辺で迂回する道となると、いずれにせよキツそうである。

 通常においてさえ、「健康の森」を上りきって湯村山に向かうあたりは(景観の良さや、トレイルのユニークさにおいては、オススメできる一方で)だいぶ根性が必要な箇所なのだが、ことしは、さらに覚悟が要りそうである。
 それにしても、シューズはどうしよう?
 
<きょうのRUN>
・5.65km アップ(キロ5分14秒)
・5.00km 閾値走(キロ3分59秒)
・2.02km ダウン
⇒合計12.67km

いいなと思ったら応援しよう!