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鎮魂

今日は阪神淡路大震災からちょうど30年目にあたる日、1月24日から2月2日までルミナリエが開催される
私はこの「ルミナリエ」が始まるといつも複雑な思いになる

神戸は30年前の今日、厳密にいえば1月17日午前5:46に本当の闇に包まれた
この日に被災地に住んでいた人は一生分の恐怖を味わった、今日Instagramを見ていて興味深い記事を見つけた、私が日頃お世話になっている住職のものだった、そのお寺は兵庫区というところにあり被害がひどかった地域

Sensho_Tanaka
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この記事を読んで胸が詰まった
涙が出そうになった
本当にそうなんです、命が助かった私には「辛い」って本当に言えなかった
まだまだ苦しい思いをしている人がいる
瓦礫の山の中で埋まっている人もいる
家は壊れてしまったけれど私は生きている
だから「しんどい」とか「辛い」とか言葉に出来なかった
もう30年
遺族にとっては未だ30年

震災後直ぐに開催されたルミナリエは今のように交通規制や歩行順路もなく、もちろん料金も要らなかった
震災で亡くなった人への鎮魂と復興を願い始まったルミナリエ
私も初めてのルミナリエは見に出掛けた
アーチ型になっている色とりどりのイルミネーションに温かいものを感じた
最終地点の東遊園地という広場にはイルミネーションのウォールで囲まれて震災復興募金やカップで販売されていたUCCのコーヒーが印象的だった、けれどその時から思っていた

なぜ、1月17日では無いのだろう
なぜ12月なんだろう

と。いまでもその思いは変わらない

クリスマスの時期に相応しい綺麗なイルミネーション、神戸らしいイベント
ただでさえ、居留地は美しい
ハロウィンが終わると居留地は一挙にクリスマス🎄一色になる

けれどルミナリエのテーマは

鎮魂
神戸の復興

の、はず

あの日本当の暗闇に包まれ身動き取れなかった人たちの恐怖を思うとルミナリエは私的には1月17日に開催されるべきなのだといつも思っている
全く別物で鎮魂の意味もあるけれどイベントだから、と言われれば何も言えないけれど。

2000年以降に生まれた若い世代の人には震災の記憶も経験も無い
その若い世代の親御さん達にとっては幼い時の記憶でしか無いのかもしれない
30年も経てば段々阪神淡路大震災の記憶は風化されていく
それも仕方がないこと

分かって欲しいとは思わない
経験して欲しいとも思わない
出来ればそんな目に遭って欲しくない

けれど人には悲しくても悲しいと言えない時がある、辛くても辛いと言えない時期がある
どんなに自分が辛くても「何か自分に出来ることはないかな、どうすれば良いんだろう」と思う気持ちは忘れたくない
震災のあったあの日、避難所にいたけれど2-3日経った頃、夫が大阪にいる姉のところへ行こうと言い、ボコボコになった道路を歩き始めた
何も考えられず何も見えなかった
時折、見たこともない消防車が通った
広島、神奈川、東京....みんな神戸の為に遠いところから来てくれているんだ、と漠然と思ったのは覚えている
夫が線路を歩こう、そうすれば近道になるというので線路を歩いていた
逆に大阪から神戸に向かう人達もいてすれ違う人にお水をもらったり、おにぎりをもらったり、全く見ず知らずの人からの施しを受けた
御礼は言っただろうか、名前も聞いていないことに今更気付く、聞いておけば良かった
とても寒かった。
風にのって聞こえる消防車や救急車のサイレンに怯えた

コロナから神戸では定期的に行われていたイベントが次々に形を変えていった
みなと神戸花火大会も土日に10分だけ開催、ルミナリエも12月初旬に開催されていたけれど2024年1月に再開されるまでに4年かかった
今年は1月24日からの10日間開催されるらしい
入場料1,000円必要だとか

30年も経つとルミナリエはすっかり神戸の冬のイベントとされ本来の意味も風化されていってるのだと感じる
ルミナリエを悪く言うつもりはないし、たくさんの人を楽しませてくれるイベントは大切だと思う

けれどこの日1月17日に暗闇に包まれた空をルミナリエが輝いて欲しかったと今でも思ってしまいます。

泣きたくても泣けなかった
辛くても辛いと言えなかった
悲しいと口に出せないほど悲しみを胸に詰まらせた人の思いを光で包んで欲しかったと。

私は思ってしまうんです。

これを読んで気を悪くされた方がいればごめんなさい🙏

天へ昇ってしまった魂が救われますように

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