傘(体癖小説)

 ………雨が降っていた。
わたしが傘をひらいたら、あの人も自分の傘をひらいて、
「おれの傘のほうが大きいから……」と言った。
わたしはその場では何もいえず、あの人の傘をさしてふたりで歩くことになってしまった。
何を話していいかわからなかった。傘にあたる雨の音が、なんとなく間を持たせてくれた。あの人の歩く速さに合わせたら、足首に雨があたって少しだけ冷たかった。

 こんなことを急に思い出したのは、ある映画を観たからだと思う。
あの人によく似た人がでてきたから。なにがいいたいのかよくわからない映画だった。
でもわたしはしばらくその映画に浸りこんでいた。自分の身体のまわりが常に映画の世界観でおおわれていたような感じがしていた。

 あの日から何日も経ってから急に、
「きみの傘は小さい、おれのほうがいい傘を持っている」みたいにいわれたような気がして、妙にふつふつとしてきて、あの人にメールをしてみたのだった。

「あの時はありがとうございました。わたしは自分の傘もけっこう好きなんです。なかなか決められなくて、買うまでにかなり時間がかかって、やっとこれだ、っていうのを見つけた大切なものなんです。でも急にこんなメールをしてごめんなさい」
というような内容だったと思う。
なにをこんな小さなことで……しかも今になって……と
自分に対するいらだちのようなものもあり、送信するまでにもかなり時間がかかった。なのに、あの人からの返信は早く来てほしかった。そんな自分を責めてしまうような気持ちと、いいたいことが伝えられたのは良かったんじゃないか、そんな気持ちとが渦巻いていた。
 
 返信には、傘や車について、とても長く詳しく書かれていた。今度、ドライブに行こうということだった。
悪い気はしなかったけれど、わたしのメールっていったいなんだったんだろう…わたしはほんとはあの人に何をいいたかったんだろう……わたしのいいたいことは伝わったのだろうか……と、玄関にある傘をみつめながら思ったのをおぼえている。
その日も雨が降っていたのだったろうか。
玄関がいつもより薄暗かった気がする。

 あの人と会うとわたしはいつも美術館に行った。水彩画や水墨画をよく眺めた。そういったら、あの人はプレゼントにとても厚い画集をくれた。美術館に行くならおれが連れていってやるのに……とちょっとふてくされていた。なんでひとりで出かけてしまうんだろう、どうしておれに何もいってくれないのか、とけっこう落ち込んでもいたというのをあとで知人から聞いた。昔、和太鼓を習っていたと聞いて、わたしは捻じり鉢巻きをプレゼントしたっけ。

 わたしからすれば、あの人との時間を少しでも楽しくするために、
ひとりの時間も確保したかったのかもしれない。
少し大きめの自分の車がとても好きなようだったし、
美術館だけじゃなく、もっといろいろな場所に連れて行ってもらえばよかったのだろうか。

 わたしはあの人の長いメールを読んだり、長い話をよく聞いたとは思うけれど、自分のいいたいことはうまくいえなくて、あとからもやもやすることも多かった。

 今思うと、あの人はいつも、わたしに頼りにされたい、そんなふうに思ってくれていたのかもしれない。
それがあの人の愛情表現だったのかもしれない。
今ごろわかってもしかたがないけれど。
でもやっぱり、今だからそう思えてくるだけで、ほんとうはちがうのかもしれない。

 いつかの、笑っているあの人の写真をみても、わかるわけじゃない。
いいたいことがいえなくて、あとからメールをしたりしたから、あの人も、わたしのことがわからなかったのだろうか。

 もし今のわたしなら、あの人にもっとうまく心をひらけるような気がする。
……うまく……?へたでもいいのかもしれない。
うまく心をひらかないようにするより、へたでもいいから心をひらきたいと、なんとなく思った。きっともうあの人には会えないだろうけれど。
しあわせでいてくれたらいいな、と思う。

……どれくらいの時間が経ったのだろう………。
今度雨が降ったら、あの頃と変わらない自分の傘をひらいて、どこへ行こうか。

※この小説はフィクションです

わたし=4種 あの人=7種

#体癖 #4種 #7種

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?