私の中のわたしをほっとかないで。
「人からされて嫌なことはするな。」
ふむふむ。
学生時代、この言葉を鵜呑みにしてから数年間この言葉に縛られて生きてきました。
これイヤだな。私はこれから絶対しない。
「◯◯する人は嫌われる!10選」わわわ、気をつけなきゃ。
そんな知識と経験と誓いを重ねに重ねました。
そしたら…
自分がどこかにいきました。(笑)
いや、笑い事じゃないwww
他人の目ばかりを気にし、心は他人へ。
君のために、あなたのために。
私?いいのいいの!私のことはあとでいいから!
あの人が喜ぶにはどうしたら…
あの人を怒らせたくない。
あの人を、あの人を…
もう完全に他人軸です。
でも、何回も何回も繰り返していくうちに、この考えは私の ” 当たり前 ” になったんです。
「人からされて嫌なことはするな」
そうかそうか。
「人に嫌なことをしてはいけないな。」
「(自分を押さえてでも)人が喜ぶことをしなきゃ」
つまりは
「人に嫌なことをする」
は❌
「自分がしたいことをする」
も❌
となってしまったわけです。
繰り返していくうちに、自分の中で
" 当たり前 "
" 正しい "
となっていきました。
【 真実性の錯覚 】
と言うそうです。
情報が反復されることによって、どんどんその情報処理が簡単になっていき錯覚してしまうそう。
嫌われたくない。
みんなに好かれたい。
誰からも好かれていたい。
まだ小学低学年の頃。
私は友達だと思っていた子からの
「皆んな本当はあなたのこと嫌いなんだよ」
と言う言葉を信じました。
これがきっかけ。始まりです。
それ以来、
私は私らしく生きる私を否定し始めました。
私らしく生きることよりも、周りのために生きることが大切になってしまったんです。
プラス、何しても私は「嫌われてしまう存在だ」と思うようになった。
もうこんなん、生きてて楽しくないですよね(笑)
でも今は、こうして気づくことができました。
人生を楽しく生きていくために、生きているといろんなことが起きます。
楽しいことの反対に苦しいこともあります。
「苦しいことなんてなくなればいいのに。」そう思います。
でも苦しいことを味わうことで、楽しいことが理解できるようにもなります。
楽しいことばかりだと、楽しいを楽しいと理解できなくなります。
それが " 当たり前 " だから。
日々の少しの違和感。
悩んだり…苦しいこと、辛いこと。
それは、自分の人生を楽しくするための『はじまり』なんです。
だから見過ごすと…
またやってきます。(笑)
何度もその違和感は繰り返されます。
繰り返して良いんです。それもまた人生。
繰り返しながらも大切なのは、自分の気持ちと向き合ってみること。
自分の本当の気持ちに気づくと、不思議と違和感は消え繰り返さなくなります。
これマジ。(笑)
「皆んな本当はあなたのこと嫌いなんだよ」
がこの歳になるまでずっと。
私を苦しめてきました。
随分と繰り返したんでしょうね、
何回繰り返したかもわかっていない(笑)
何しても嫌われる…とうずくまり、やりたいこともせずにいたけど
周りの声、聞こえてくる気づきへの導きの言葉。(その時はそう感じてないけど)
私はこれもできる!あれもできる!やっててこんなにも楽しいことがあったなんて!しかも、周りも喜んでくれている!こんな素晴らしい循環あっていいの!?
って、思う瞬間もあります。
増えました、そういう瞬間。
あれ?違和感。
うん、多分私の中でまだ何か気づけていないことがある。
0から100になることもあればならないこともある。
いろんな違和感が絡まりあっている。
自分の気持ちを置いてけぼりにせず、毎日の出来事から感じている自分の気持ちをしっかり受け止めて過ごそう。
あっでも、しっかり受け止めなきゃ…
になるといずれ苦しくなるので
マイペースに、これすらも自分の気持ちを見てあげながら。
「今、受け止めたい?また次回にしとく?」
私を一番に愛せるのは私自身。