「人からされて嫌なことはするな。」 ふむふむ。 学生時代、この言葉を鵜呑みにしてから数年間この言葉に縛られて生きてきました。 これイヤだな。私はこれから絶対しない。 「◯◯する人は嫌われる!10選」わわわ、気をつけなきゃ。 そんな知識と経験と誓いを重ねに重ねました。 そしたら… 自分がどこかにいきました。(笑) いや、笑い事じゃないwww 他人の目ばかりを気にし、心は他人へ。 君のために、あなたのために。 私?いいのいいの!私のことはあとでいいから! あの人が
2週間。 療養期間が終わった。 正直、自分が回復したのか分からなくて、 ましてや病気なのか?私はなんなのか?それすらもよく分からなかったから この期間が足りたのか足りないのかなんて結論は出せなかった。 率直に、仕事復帰の不安と、またスタッフに会えるウキウキに近いものとが入り混じった気持ちだった。 周りはみんな優しかった。 「大丈夫だよ」 「待ってるよ!」 そんな声も聞こえてきていた。 でもきっと不安が大きかったのだろう。 私には反応も何もない人たちばかりが気になった
いざ、自宅療養が始まると何をしたらいいのか分からなくなった。 職場での息苦しさから解放されたのは良かったが、社会から離れたことが逆に不安になった。 このまま社会に戻れず、他人と関わることの苦手意識により拍車をかけてしまうのでは… " 孤独 " が頭を埋めた。 ただ、【自分と向き合う時間が余るほどできた】という前向きな気持ちもあって それがまだ救いだったと感じる。 とりあえず、 寝たい時に寝て 食べたい時に食べて 外に出たい時に外に出て 着たい服を着て 読みたい
32歳の秋。 私は、自分を見失った。 私はなぜここにいて、 やりたくもないことを永遠と、 眉間にシワを寄せながら、 ただひたすらに我慢をして 時が経つのを、時が過ぎるのを待っているのだろう。 周りに気を遣い、 自分を押し殺し、 愛想笑いは当たり前。 本当はこれがしたいのに! も気づけば無くなった。 蓋をしていたら…消えた。 私は何のために生きているのか。 急な絶望が襲ってきた。 プチンと何かの糸が切れた。 その瞬間から私は、仕事に行くのが嫌になった。 前の晩から「イ
先日、私は大好きな人に1年越しに会うことが出来た。 私は彼女に救われた。 彼女がいなければ、今もなお生きることに苦しんでいたかもしれない。 彼女の生きる強さ然り、弱さに救われた。 私は小さい頃から、人の様子を察知する能力が高かったと思う。 無意識に心の中を読み取っては、気しか使わない生き方をしてた。 この子は、あの子にライバル意識がある。 あの子についたら省かれるかも。 この子は、こういうこと言うからこういう性格だろう。 だから、こんなこと言ったら傷つくかもしれない
私は、ごくごく普通の …いや、普通ってなんだろう、 訂正。 私は、1991年生まれの33歳の女だ。 1人で出来ることが好きで、読書、音楽、運転、カメラ、絵描き、などなどちょっとずつ手をつけては、飽きて、また手をつけては飽きて、をこの33年で繰り返している。 ひとつのことに没頭できる人が、羨ましい。 故に私には、これだ!という夢がない。 こんなこと出来たらいいなぁ〜 あんなこと出来たらいいなぁ〜 あんな夢こんな夢いっぱいあるけど、状態だ。 (どこかで聞いたことあるフレー