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私が今も生きているのは 4(終)

2週間。

療養期間が終わった。


正直、自分が回復したのか分からなくて、
ましてや病気なのか?私はなんなのか?それすらもよく分からなかったから
この期間が足りたのか足りないのかなんて結論は出せなかった。

率直に、仕事復帰の不安と、またスタッフに会えるウキウキに近いものとが入り混じった気持ちだった。

周りはみんな優しかった。
「大丈夫だよ」
「待ってるよ!」
そんな声も聞こえてきていた。

でもきっと不安が大きかったのだろう。
私には反応も何もない人たちばかりが気になった。



復帰初日。
ここら辺は正直、記憶が曖昧で。

残っているのは
「私が決意したこの期間は、みんなにとっては所詮、他人事」
という気持ちだ。

仕事が山積みだった。
私の中で起きたことに直接話しかけてくれる人はいなかった。

以前の生活にあっという間に戻されたというか
このままでいたら、また " 私は私でなくなる。"
そんな恐怖にも襲われていた。

自分でフラグを立ててしまったようだった。
案の定、数日で耐えられなくなった。

何がきっかけでそうなったのか記憶が定かではない。
ただみんなの変わらぬ対応が私には苦しくて、胸が苦しくなって
塞ぎ混みがちになった。

ひとまず休みつつ、少しずつ復帰することに。


私の中で、「環境を変えていかなければ」という火種が生まれた瞬間でもあった。
それは他力本願ではなく、まず自分が変わるということ。

周りがこうなら楽したいし私もこうでいいや。

とか

私がこんなに苦しいのは全てあの人のせいだ。

とか。

そういう思考の塊だった。
まだ小さな火種、きっかけだったから、自分は気づきもしていないが
「ん…?」みたいな気づく予感はしていたと思う。


そんな中迎えた、私にとっての分岐点の日。


1人で向かう会場への道。
ウキウキしながら買ったグッズのバックパックはもう少しで1年経つ今でも毎日の相棒。

開場して席に向かう。
周りには楽しそうに話す参加者たち。

2階席、一番前の少し右側。
1階席は全て見え、私の目的である本人の可動域も全て見える。

初めてにはとても良い、良すぎる席だった。
リセールなのに、なんて良い席に巡り会えたのだろうと思った。

両サイドは女性で、どちらも1人で来た様子だった。
似た条件の人たちで安心した。

時計の針が動く。

暗転。
1階席の人たちが一斉に立ち上がる。

大きな音と共に本人にスポットライトが集まる。

あぁ…目の前にいる。

アイドルやアーティストのライブに参加したことがある方は
この昂る感じが分かるのではないだろうか。

生の演奏の中、生の歌声がそこに響く。

目の前で歌っている。
すごく楽しそうに、嬉しそうに。

そのライブの構成に私は感嘆した。

曲のセットリスト、照明、演奏のアレンジ。
全てが考え尽くされていることを感じた。
本人の意思がしっかりと注ぎ込まれ、歌に乗せて本人の内側が入ってくるようだった。

圧倒されっぱなしで、「うわぁ…」と口が開きっぱなしだった。

キラキラ輝くその人は、自らも皆に会えたことを心の底から嬉しく思っていることが伝わってきた。

私の支えになっていたあの曲も歌ってくれた。
心が崩れそうになっていた時に死に物狂いで聞いていたあの曲。
自分の心の状況と合間ってか、曲を聞いて泣くことなんてなかったのに、
あの曲は聴くたびに泣いていた。

もう一度生まれ変わっても、また私は私を選ぶんだろう。

そんなニュアンスの歌詞に救われていた。
私は私を大切に思っていることを代弁してくれている気持ちだった。


そんな中、あっという間に終盤だった。

もう終わってしまうのか。
と、すでに余韻に浸り始めていた時、こんな言葉が聞こえてきた。



私にもすごくどうしようもなくしんどい時があった。
塞ぎ混んで、眠れなくて、苦しい時があった。

そんな時、朝日が昇る空を見た。
青と紫とオレンジと赤が綺麗なグラデーションを作る日もあれば、
曇り空のグレーの色の時もあった。

毎日違う空の色を見て、自分の心と重なった。

物事を白黒はっきりつけたがるけど、そんなことしなくても良くて
” あいまい " でもいいんだって思えた。

どんな私でも私でいいんだ。
ありのままの私でいいんだ。
そう思えた。


ヒントを、むしろ答えをくれたような気持ちだった。

なんで私はこうなってしまったんだろう。
原因を明確にして、早く前に進まなければ。
あぁ、周りに迷惑ばかりかけて。
私って何にも決めれないダメな人間だ。
どうしたいのか分からない。そんなままじゃダメなんだ。

いろんなネガティブな感情をまるっと「受け入れていいんだよ」
そう言ってもらえた気持ちだった。

" 全部そのままで大丈夫。"


弱い自分も、隠したくなるような自分も、恥ずかしいと思う自分も、
だらしない自分も、泣くことも、怒ることも、

全て。全て。

私はそのままの私でいい。
どんな自分もそれが " じぶん "。

心が、すぅっと軽くなった。
と同時に、今までの自分は、じぶんを制御しすぎていたと反省した。

嫌われたくないからと他人の目を執拗に気にして、
自分にどんどん蓋をしていった。

自分がわからなくなるまでに。

閉じ込めていたじぶんに僅かな光が差し込んだ気がした。


今。

少しずつではあるけれど、自分を出すことができています。
急に全部を出すことにはまだ抵抗があって、全部は出しきれていないけれど、
でも出せていない時に出せていないと感じ取ることもできています。

前まではこれすらもできなかった。

我慢が当たり前でした。

受け入れてもらえない。
嫌われる。

そんな、まだされてもいない出来事に不安を感じていた。

でも、案外受け入れてもらえるもので
そうやって蓋して生きていることの方が、嫌われるよりもしんどいです。

自分がじぶんでいることを認められたことで
他人になんと思われようと大丈夫と。
そんな自分でも大丈夫と。
私が私を好きでいれば何にも関係ない。

そんな気持ちに切り替わることができました。

だからといって全部が全部出せるとも思っていません。
人と触れ合わないと生きていけないのもわかっているし、
人が皆、私と同じ感覚、考えであるとも思ってない。
人は人によって腹立つことも、悔しいことも、嬉しいことも楽しいことも、気になるところも、それぞれ違う。

自分が腹立っている時も、単純に当たるのではなく、
この出来事のどの部分に腹を立てているのかを感じることで
自分と向き合い、理解できます。

自分のことって思っている以上に知らないものです。
あぁ!そこに腹立ってんのか!となる時めっちゃあります。
し、気づくとそこに腹が立たなくなったりもします。
あー、それすごく気になるけどあなたはそれをしたいって思ったからしてるんだもんねー。みたいな。

器、もっと広くなります。

そうやって年を重ねて、深みが出ていくんだなと
最近思います。

だから年齢って関係なくて
若くしてそこに到達している人もいれば、
家族を持った後とか、子が巣立った後とか
色んなタイミングがあると思う。
到達してない人もいると思う。

到達してなくても全然いい。
早くても遅くてもいい。

今の自分で生きれるのは一度きりで。
有限です。
誰でもいつかは旅立つ日が来る。

だからこそ。
あの時やっぱ言っときゃよかった。
とか
あの時こうしてればよかった。
とか

できるだけ少なくしていきたいです。


そんなわけで、私は

生きてるのしんどいなぁ
とか
なんで生きてるのか分かんない
とか
生きたいと思わないけど死ぬ勇気がない
とか

あー良いことない

こんなことがあって辛い

些細なことからでもいい。

この世界で自分として生まれてきたこと
それってそれだけでかけがえのないことだって
心の底から感じられるような手助けをしていきたいなと思います。


「私が今も生きているのは」
これでおわり。


ここまで読んでいただいて
本当にありがとう。

むらかみ

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