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谷川俊太郎という人

谷川俊太郎さんが亡くなったらしい。

他の詩人や作家を多く知っている訳では決して無いので偉そうな事は言えないが、谷川俊太郎という人物が紡ぐ言葉は私のここまでの人生を少なからず支えてきた。

これは自慢なのだが、私は彼に会ったことがある。小学生の時だ。
どのような経緯で彼が私たちの小学校に来てくれたのかは未だに謎だが、当時の国語の先生とPTAの方々が交渉に奮闘してくれたという話は聞いたことがある。とにかく、谷川俊太郎が私たちの小学校に来て、私たちはそれまでに練習してきた群読(複数人で音読をすること。私はこの時初めてこの言葉の意味を知った。)を彼の前で披露し、彼も自分の詩を朗読してくれるというイベントが行われたのだ。これは当時の私にとって小躍りする程嬉しい出来事だった。(これは比喩ではなく、典型的なバレエ少女だった私はテンションが上がることがあると家でも外でもお構い無しに文字通り本当に踊っていた。)

私と谷川俊太郎の出会いはおそらく私が幼稚園に通っていた頃だと思う。
私は幼稚園生の頃から内向的で(ポジティブな言い方をすれば)1人でも色々なことを楽しめたので、周りの子が鬼ごっこを楽しんだり遊具の取り合いをする横で、蟻の観察をしたりどんぐりを収集したりしていた。更に言えば外に出ること自体あまり好まなかったので、自由時間の1番のお気に入りの過ごし方といえば教室にあった絵本を読み漁ることだった。
知っている人も多いと思うが谷川俊太郎は数多くの絵本を出版している他、海外の有名な絵本の翻訳も手がけている。当時の私もはっきりと認識こそしていなかったものの絵本を手に取る度にこの人の名前やけに目にするな、くらいには思っていたんじゃないだろうか。(ちなみに私が好きなのはスイミーやフレデリックで有名なレオ=レオニの絵本。特に『じぶんだけのいろ』というカメレオンのお話が好き。)

小学校に上がると教科書には『スイミー』や『どきん』が載っていて、もう少し自我がはっきりした状態で谷川俊太郎の文章に触れることになった。また、小学生が持っているでお馴染み(そしてなくすことでもお馴染み)音読カードには『ことばあそびうた』の中に収められている「かっぱ」や「いるか」が何度も書かれた。語呂が良くて読んでいて楽しいし、なんといっても短くてすぐに読み終わる。同じようにこれらの詩を多用して音読の回数を増やす戦法を取っていた仲間は多いはずだ。

6年生の教科書には『春に』という詩が載っていた。
当時の私はバレエ少女であると同時に自称文学少女だったので村上春樹や森見登美彦といった小学生が読むにしては可愛げの無い作家の本を読んでは、難解な言葉の羅列に酔いしれて全てを理解した気になっていた。そんな私にとってはこの『春に』という作品は衝撃的なものだった。小学生でも何の苦労も無く理解できてすっと身体に入ってくる文章。それでいて人間のなんとも言えないもどかしい感情を繊細に表現している。もちろん村上春樹や森見登美彦の作品は今でも好きだが、この詩を読んだ時にこんなにシンプルな言葉でも心の機微を伝えることができるのかと窓から美しい光が差し込んできた時のような感覚になった。

6年生の授業では有名な『生きる』も取り上げられた。凡庸かもしれないが数ある美しい詩の中でもこの詩は格別に好きだ。

”生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと”

『生きる』谷川俊太郎

谷川俊太郎の作品の特長として読んでいると頭の中に自然にイメージが浮かぶということが挙げられると思う。『生きる』の冒頭でも、木漏れ日やふっと思い出すメロディーといった特に繋がりの無い文章の連続なのにも関わらず人生の幸せな瞬間、そこに流れる穏やかな空気を感じる。

”生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと”

『生きる』谷川俊太郎

中盤の第5連、遠くの犬から地球へ、そして人の生死へと話が壮大になっていき、最後にはぶらんこという身近なものに視点が戻っていくところも好きだ。ただブランコが揺れている光景を見ただけでも彼にはたくさんの世界が見えているんじゃないか、なんて想像して彼の頭の中を覗いてみたくなる。
そして個人的にとても好きなのは”あなたの手のぬくみ”という表現。暖かさでもなく温もりでもなく、ぬくみ。この、ぬくみという言葉から感じる気持ちを私の語彙力では上手く表現できないが、これを読む度に何故か辛い人生でもなんとかなるという気がしてくるのだ。


彼が小学校に来てくれた時の話に戻る。

群読の発表に向けては、小学生が行うにしてはちょっとやりすぎなんじゃないかというくらいスパルタな練習をさせられたと記憶している。私たちは第二図書室という普段ほとんど使うことのない部屋に詰め込まれて声が小さいとか気持ちが乗ってないとか怒鳴られながら何度も彼の詩を音読させられた。私のクラスの国語の先生は「一番ダメなのはなんにもしないこと」が口癖だったが、やりすぎも良くないんじゃないかと密かに思ったりもした。
猛練習の甲斐あって見に来た親たちを感動させられるくらいの完成度にはなったのではないかとは思うけれど、谷川俊太郎本人の朗読を聴いてしまったら私たちが練習した時間なんてどうでも良くなってしまった。やはり何十年も言葉と一緒に生きてきた人の声の重みにほんの数週間練習しただけの小学生が勝てる訳がないのだ。
私は昔から文章を読むのが好きだし稀に自ら文章を書いてみることもあるが21歳になっても満足に言葉を紡ぐことができない。日本語はこんなにも美しい言語なのにその美しさを全く自分の言葉に落とし込めていないような気がする。何十年後かには彼のように聴く人や読む人の心に響き渡るような言葉を紡げるようになっているのだろうか。きっと彼には永遠に及ばないがそのための努力はしたいと思う今日この頃である。


本当に幸運なことにそのイベントの最後に行われた花束贈呈で私は生徒代表として彼に花束を渡す役をやれることになった。その時各クラスで国語係をやっていた生徒の中でじゃんけんを行い勝ち抜いた人が花束を渡せるということになり、私は偶然国語係で(もちろん1番好きな科目だったので自ら選んではいたのだが)偶然じゃんけんにも勝ったのだ。普段は決してじゃんけんが強い方ではなく、給食のおかわりじゃんけんでも大体負けて仕方なく人気のないほうれん草のおひたしや海藻サラダなんかを食べたりしていたくらいなので、こればかりは神様からのご褒美か何かだったのだろう。
花束を渡す際彼は私に握手をしてくれた。その時の彼の手のぬくみを今でも覚えている。たくさんの物に触れ、良いことも悪いことも喜びも悲しみも感じとってきた手。力強いけれど優しくて温かい手だった。
式の後、何人かに何故か握手を求められた。間接キスならぬ間接握手ということらしい。「貴重なんだから手洗うなよー」と言ってくるやつもいた。実際のところ私自身もできることなら洗いたくなくて家に帰った後水道の前で少し躊躇したが、もちろん一生洗わないという訳にはいかないので諦めて洗った。


今は高校生の時に買った彼のエッセイ『ひとり暮らし』をゆっくりじっくり読み返している。もう彼が新しく作品を出すことはないというのはもちろん悲しい。それでも不思議とあまり落ち込まずにいられるのは今でも彼がどこか遠い所で地球にいる私たちを見て微笑んでいるような気がするからだろう。いや、実際にはこちらのことなんて気にせず向こうの暮らしを自由気ままに楽しんでいるかもしれないが、とにかく彼は現世に生きる私たちに充分すぎるほどの言葉たちを遺してくれたのだ。これから一生かけて何度でも彼の言葉を味わっていこうと思う。


ここまで読んでくれた人がどれだけいるのかは疑問だが、もし、まだ読む気力が残っていたら一篇でも良いので彼の詩を読んでほしい。(私の稚拙な文章だけで谷川俊太郎の魅力を伝えるのは彼にも、読んでくれているあなたにも申し訳ないので)
私が好きな詩をいくつか記しておくので参考までに。


春に 『どきん-谷川俊太郎少年詩集(詩の散歩道)』より
生きる 『うつむく青年』より
ここ 『女に』より
信じる 『すき』より
きみ 『はだか―谷川俊太郎詩集』より
あなたはそこに 『あなたはそこに』より『自選 谷川俊太郎詩集』にも収録
草木に 『おやすみ神たち』より
朝のリレー 『これが私の優しさです』より


追記
書き始めは谷川俊太郎”さん”と付けていたがなんだか違和感があって結局敬称は省略している。松尾芭蕉にさん付けをしないのと同じ感覚だと思って許してほしい。

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