素人の私が小説を出版するまでの記録(2)出版社を探して奔走、そして大手出版社文芸部との接近遭遇
あてもなく出版社を探し回る日々
又吉さんの「芥川賞」受賞に刺激を受けて、原稿用紙250枚以内のつもりで書き始めた処女作の「スピニング・ジョー」でしたが、2015年9月に書き上げた時には、900枚の長編になっていました。
非常に間抜けな話ですが、私は書き終わってから、この小説を一体どうやって出版したらよいのかという大問題に初めて気がついたのです。
私の周りには、出版業界や文芸関連の知り合いはほとんどいませんでしたし、以前いた銀行も出版社とほとんど取引がなかったので、なかなか出版社の人にコンタクトすることができませんでした。
そこで、私は誰かと会うたびに、出版社の知り合いはいないかと聞いてまわるようになりました。最初は全然見つかりませんでしたが、それでも徐々に出版社の方を紹介してもらう機会は増えていきました。しかしいざお会いしてみると、大抵がビジネス書やノウハウ本しか扱っていない中小の出版社ばかりで、小説を扱っている会社にはなかなか巡り合えませんでした。
そもそも文芸部門は、基本的には一部の大手企業しか抱えていないので、業界人でもなかなかコンタクトできない「伏魔殿」のようなところだということがわかってきました。
この頃の私は、堅い城壁に閉ざされた城の周辺をうろつきながら、肝心なところに入れそうでなかなか入っていけないカフカの「城」の主人公Kのようでした。
本屋に行って棚に並んでいる膨大な数の本を眺めながら、世の中にはこんなに多くの本が出版されているけど、彼らはどうやって出版社とコンタクトを取ったのだろうかと嘆息するばかりでした。
そこで幅広い業界に人脈を持っている銀行時代の先輩がいたので、彼なら出版社の知り合いがいるのではないかと期待して相談してみたのですが、「君、よく考えてみたまえ。最近は本を読む人がどんどん減って出版業界の売上はどんどん減少しているんだから、そんな斜陽産業にこれから参入しようなんて時間の無駄だよ」と言われる始末でした。
私はなにも金儲けをしたくて小説を書いたわけではなく、もっと単純に、読書好きの愛好家として、自分でも面白い本を書いて、多くの人に楽しんでもらいたいと思っただけなので、この言葉には傷つきましたが、よくよく考えてみると一理あると思い直して、ビジネスの観点から色々と調べてみるようになりました。
すると、ビジネス書やノウハウ本は何十万部も売れることが結構あるけど、小説の場合、大抵は初版が一千部程度で、一万部も売れれば大ヒットだということがわかってきました。印税が一部100円とすると、一万部でも100万円、初版で終われば10万円です。
半年間、あれだけ苦労して命を削って書き上げた成果が、たったそれだけなのかと愕然としました。
先輩の意見を聞いた当初はなんと功利的な人だと反発を感じましたが、冷静に計算を働かせれば、確かに採算が合う商売とは言えないのです。百万部売れれば一億円ですが、そんなに売れる作家は今の日本には片手くらいしかおらず、あとは売れない芸人のように、食うのがやっとという生活を耐え忍んでいるのかもしれません。そういえば林真理子さんも、印税では生活できなかったけど、賞を獲って講演料が入るようになってようやく生活が安定したというようなことを書いていることを思い出しました。
これでは男子一生の仕事とするには、リスクが大き過ぎて難しいでしょう。そう考えると最近は主婦作家が賞を獲ることが多くなってきたことも納得できます。
私は途端に小説を書くことがアホらしくなってきましたが、幸いにして二足の草鞋で印税以外の収入があるので、あまり印税にこだわらずに、取り敢えずやれるところまでやってみようと開き直りました。
友人に原稿を読んでもらって分かったこと
その後も私は、めげることなく出版社の人を探し続けましたが、そのかたわらで「スピニング・ジョー」を少しずつ知り合いに読んでもらっていました。
初めて小説を書き上げた高揚感から、自分で何度読み返しても面白いと一人悦に入っていましたが、実をいうと、他人がどんな評価をするのか、大きな不安を感じていたのです。
最初は、私と同じくらいの年齢の金融関係者とか、留学経験者などに頼んで、A4の用紙に両面2アップで印刷した原稿を渡して読んでもらいました。結構な大部だし両面2アップなので、非常に読みづらかったと思いますが、つきあって読んでくれた友人たちには今でも感謝しています。
年齢も近くて、似たようなバックグラウンドの人の感想は概ね良好だったので、ひとまず安堵しました。特に、小説の舞台となる90年前後にNYにいた人は、ノスタルジーを感じるようで、当時のNYの息遣いまで感じられると好評でした。
90年前後といえば、日本全体がバブルに浮かれていた時代ですが、アメリカで金融革命が起こっているという噂を聞きつけて、一攫千金を夢見て熱に浮かされたようにアメリカを目指す若者が今よりずっと多かったのです。その頃の自分たちの夢と挫折を懐かしく思い出す世代には共感してもらえるのかもしれません。
私の場合、文学について語り合う友人は実はすごく少ないのですが、その中で興味を持ってくれた方にも読んでもらうことにしました。
囲碁友達で英文科を出た20代の女性からは、「フィツジェラルドとサリンジャーの中間の感性ですね。松井さん若いですね」と評されました。執筆中に「グレート・ギャツビー」や「ライ麦でつかまえて」を意識したことはなかったのですが、両方とも昔から大好きな小説なので、私にとっては望外な誉め言葉となりました。
文学部を出た高校の同級生で祖母も作家だったという友人に読んでもらった時は、彼女はまあまあという印象でしたが、意外にも30歳になる娘が凄く気に入ってくれて、作者に会いたいと言い出したので、一緒に食事をすることになりました。
私にとっては、記念すべきファン第一号です。
私は嬉しくてたまらなくて、すっかり作家きどりで出かけて行きましたが、そこで色々と感想を伺っているうちに、この小説は海外経験のある50代のおじさんだけでなく、20代、30代の若い女性にも共感してもらえるものがあるのではないかと感じるようになりました。
50代のおじさんが30年前の留学のことを書いた作品ではありますが、主人公はパワハラ体質の日本企業になじめずに海外へと飛び出す20代の若者なので、職場に不満を持っている今の若い女性にも共感してもらえる部分があるのかもしれません。小説で描かれている年功序列、男尊女卑的な企業風土が、30年経った今でもそれほど変わっていないと知って、私にとっては寧ろそのことのほうが驚きでした。
レンタルオフィスで秘書業務を手伝ってくれる20代の女性たちも熱烈なファンになってくれました。
特にそのうちの一人には、「ミドリ(小説の中の登場人物)のせりふは一言一句、私の本音と全く同じです。松井さんはなんでこんなに若い女性の気持ちがわかるのですか」と言われて驚きました。実は私は、今時の若い女性の気持ちを理解して書いたわけではないのです。30年前のアメリカには、男尊女卑的な企業文化に嫌気がさして日本から飛び出して、男に負けまいと気張っている、ちょっと尖がった女性が多かったのですが、私は彼女たちが当時言っていた言葉を思い出しながら書いただけなのです。今ではごく平凡な普通のOLも本音では当時の「女性戦士」と同様な考え方をしていることがわかって、ようやく時代が追いついてきたのだと感じました。
小説には当時私がアメリカで見てビックリしたこと、たとえば犯罪が多くて危険極まりない街や地下鉄、LGBT、ドラッグ、人種差別などが当たり前のように出てきますが、留学直後に書いていたら、当時の日本人には受け入れられなかったと思います。そういった意味では30年経って、日本でもようやく理解してもらえる時代になったのかもしれません。
このように私の周辺での「スピニング・ジョー」の評判は概ね好評でしたが、必ずしも芳しい評価ばかりではありませんでした。この小説では金融革命を重要なテーマとして扱っているので、私としては金融の専門家以外が読んでも理解しやすいように、できるだけ平易に書いたつもりだったのですが、この部分が難しくてよく分からないという人もいました。
六本木で接客の仕事をしながら小説も書いているという20代の女性などは、読みたいというので原稿を渡したのですが、直ぐに「全然意味が分からない」と言って返してきました。主人公は「世界を股にかけたバンカー」を夢見る銀行員ですが、彼女は「バンカー」の意味がわからず、出だしでつまずいたというのです。
アメリカで起こっている金融革命の衝撃や、その流れに遅れまいと必死になってアメリカを目指す若者の高揚感や焦燥感がピンとこない人が読んでも、なかなか感情移入できないのかもしれません。
但し、彼女の父親がその原稿を見つけて読み始めたところ、「これは面白い」と言って夢中になって読んでくれたそうなので、少し高齢の方にも受けることが分かったのは収穫でした。
そういえば銀行時代の同僚で今は翻訳家をしている女友達も熱心に読んでくれましたが、彼女以上に、高齢の母親のほうが興味を示してくれて、これまでで一番興味深い感想を頂きました。
若い女性から、中年男性、そしてご高齢の方まで、幅広い年齢層に受けることが確認できて、この頃の私は少し有頂天になっていました。
周りの評判が良好と聞いた父や姉も興味を示したので読んでもらったのですが、家族はどうしても身内目線になってしまうので、あまり参考になりませんでした。主人公がどうも私と被ってしまうようで「お前はアメリカに行ってこんなことをしていたのか」ということばかり気になって、小説に込められた肝心なメッセージがなかなか伝わらないようでした。
特に90歳の父は、この年代の日本人にありがちな、アメリカに対する抗いがたい憧憬の念を抱いていたので、「留学」といえば、青い空、緑あふれる広大なキャンパスの下で、自由闊達な美男美女が恋愛を繰り広げる、古き良きハリウッド映画のような世界をイメージしたようで、最初は「留学の楽しさが伝わってこない」とか「登場人物に華がない」などと酷評されました。そもそもそんなステレオタイプなお話を勝手に期待されても困るので、これは実際にアメリカで目にした不都合な真実に基づく問題提起だと訴えたところ、もう一度冷静に読み返してくれました。最後は「よくよく読んでみると、これはなかなか面白いな」と評価を変えてくれましたが、どこまで内容を理解してもらえたのか、はなはだ心もとないものがあります。
特に、父は最後まで登場人物の女性には感情移入できないようで、「お前はミドリのような女性が好きなのか」と聞いてきたので、私が「結構好みのタイプなんだよね」と答えると、随分と驚いていました。「大正生まれの俺には到底理解できないな。今の若い女性がみんなこんな感じだとしたら、俺はもう結婚などできないな」とつぶやいたのを聞いて、父もまだまだ若いと感じました。
こうやって知人に読んでもらううちに、様々な指摘を受けて、私は少しずつ手直しを繰り返していきました。但し、人によって、凄く良いと言ってくれた箇所が他の人からは、良くないと言われたりして、評価は百人百様なので、万人受けするものを書くことは不可能だと感じました。そうなると、最後は自分の感性に従って、自分が良いと信じたように書くしかありません。
それでも、アメリカに渡った後から話が俄然面白くなるという読者が多かったので、順番を変えて、比較的早い段階でアメリカに飛んで、日本時代のエピソードは回想シーンとして挿入する形に変更しました。また、冗長な描写や不要と感じたエピソードも削るようにしました。
文芸部出身の大手出版社の方と遂に遭遇!
こうしてブラッシュアップを繰り返し、段々と自信を深めていた頃、私は遂に、文芸部門を持つ大手出版社の方と初めてお会いする機会に恵まれました。
小説を書き始めて約1年後、書き上げてから半年後の2016年3月下旬のことでした。
麹町に私が以前から通っているワインバーがあるのですが、その界隈にある大手出版社の方もよくそのお店に来ているようでした。ワインバーのママは、何人かの社員と親しいようでしたが、作家志望の素人と会ってくれと頼んでも断られるだけなので、たまたま近くに同席する機会があれば、自然な形で紹介してくれると言われていました。
私はそれまで通り自然体で通い続け、そのうちそういう機会に巡り合えればラッキーだと思って、気長に待つことにしました。
すると、その時は案外早くにやってきました。
私がいつも通りカウンターでワインを飲んでいると、常連と思われる40歳前後の女性が入ってきたので、ママはごく自然に彼女を私の一つ隣の席に誘導しました。
それが出版社の人だと知る由もなく、私はいつものようにママと他愛のない世間話をして、その女性も気軽にママと会話していました。
よく見かけるワインバーの風景です。
すると突然、思い出したようにママが私に彼女を紹介してくれたのです。出版社の人間だと知って私は少し緊張しましたが、同じ常連客同士、しばらくお互いの仕事の話などをしていました。
彼女は大変朗らかで人当たりの良い方でした。
しかも好都合なことに、以前文芸部にもいたことがあるので、小説の出版事情にも詳しい方でした。
今までの中で、私が一番文芸関係の方に肉薄した瞬間でした。
恐らくママも、数ある出版社の常連客の中で、この方なら親身になって相談に乗ってくれそうだと睨んでいたのだと思います。さすがに長年接客業をしてきただけのことはあります。
頃合いをみて、「松井さんは趣味で小説を書いているんですよね」と、ママが話題を振ってくれました。
「へー、そうなんですか」その女性は興味深そうにうなずくと、「ジャンルは何ですか?」と聞いてきました。
「ジャンルですか?」
私はそれまで自分の小説がどんなジャンルに入るのか考えたこともなかったので、少し面くらいました。青春小説や恋愛小説の要素もありますが、「日本人の常識は海外で通用するのか」というテーマがどんなジャンルに入るのかよくわからないので、取り敢えず「NYを舞台にした留学生の話です」と答えました。
今度は彼女が少し困惑気味に「そうすると、純文学ですか」と聞いてきたので、私はまたまた困惑してしまいました。昔から「芥川賞」に憧れていた割に、私は純文学とエンタメ小説の明確な定義がよくわかっていなかったからです。それでも「恐らくエンタメ小説だと思います」と私が答えると、彼女はうなずいて、「そのほうが良いと思います。今どき純文学は売れませんからね」とかなりストレートに本音を吐露してくれました。彼女のストレートな物言いに私は驚きましたが、かえって好感を持ちました。
「そうすると、どのジャンルに入るのかな」と彼女は真剣に考えこみました。「留学」というジャンルはないので、「ミステリー」「警察」「ホラー」「SF」「時代劇」「経済」のどのジャンルに当てはまるのか考えていたのでしょう。こちらが「留学」と言っているのに、彼女がなんでそんなに考え込むのか、私も最初はよく飲み込めませんでした。しかしこの後お会いする出版社の方は判で押したように、開口一番「ジャンル」を聞いてくるので、これが彼らにとって非常に重要なことだと段々わかるようになりました。つまり、その小説がどの程度売れているジャンルに属するものかをまず確認したいのです。それと会社の組織がそういう区分けになっているので、ジャンルが分からないと担当部署も編集者も決まらないという社内事情もあるようです。彼らのジャンル分けで考えると、「スピニング・ジョー」のような「留学」もこれから書きたいと思っていた「囲碁」も「ローマ帝国」も、誰の守備範囲にも入らない「面倒な小説」ということも後々分かってきました。
彼女は私に「松井さんの経歴なら、経済小説を書くのが一番良いと思います。今なら経済小説は結構人気だし、その割に書ける作家が少ないんですよ」と盛んにアドバイスしてくれました。
その後どの出版社の方とお会いしても、彼らは杓子定規に私に「経済小説」を書くことを勧め、そのたびに私は、画一的で案外多様性のない集団だと感じるようになっていきました。
しかしこの時は彼女の言葉を真摯に受け入れて、作家デビューしないことには何も始まらないから、まずは経済小説を書いてみようかと真剣に考えていました。M&Aの仕事で経験した面白い話がいっぱいあるので、そのことを話すと彼女も喜んでくれました。「でもこの留学小説にも思い入れがあるので、本当に作家デビューできたら、いつかはこの小説も出版したいです。他にも囲碁やローマ帝国を舞台にした小説も書きたいと思っているんです」と私は自分の夢を語りました。すると彼女に「一旦、経済小説でデビューしたら、編集の部署や担当も決まるし、一定のファンもつくから、他のジャンルの小説を書くことは難しくなりますよ」と言われてしまいました。彼女はなんの悪気もなく、「業界の常識」に従って親切にアドバイスしてくれたのでしょうが、それまで自分の無知蒙昧を恥じて謙虚に耳を傾けていた私も、さすがにこれには驚いてしまいました。小説そのものの出来栄えを見ようともせず、まずジャンルの選別から入ることも、経済小説を勧めることも、自分たちの鋳型通りに作家をはめ込もうとする出版社の都合ではないかと感じたのです。恐らく商業至上主義の観点から見れば合理的なのかもしれませんが、そこには作家が作品にかける想いや一言で言い表せない深遠なテーマ性が介在する余地がないように感じられました。出版社がそうやって単純化してジャンルで作家を型にはめようとするなら、作品ごとに違うジャンルの小説を発表しているカズオ・イシグロのような作家は日本では出てこないだろうなとボンヤリと考えていました。
こうして出版業界の実情を何も知らないド素人と、業界の常識に従って話を進めていく彼女の間で、かみ合わない会話がぎこちなく展開しました。
するとママが「松井さん、今日は原稿はお持ちじゃないの。よかったら少し読んでもらったら」と助け船を出してくれました。いつもは原稿を持ち歩くことはないのですが、この日はたまたま友人に貸した原稿を返してもらったところだったので、バッグに入っていました。
なんという幸運か。
ママに感謝しながら、バッグから原稿を取り出そうとすると、彼女はこわばった表情で、「今は文芸部ではないので、読むことはできないです」と断ってきました。「それでは文芸部の知り合いの方に渡してもらったら」とママはどこまでも積極的ですが、彼女は困った表情で「文芸部には同期もいますが、お互いに持ち込み原稿を読む依頼をしてはいけないという暗黙の了解が社内にあるんです。一旦それをやり出したら、きりがないですからね」と申し訳なさそうに答えました。
これも出版業界では常識のようですが、私はこの時初めて知って愕然としました。出版社の方とお会いできれば、原稿を読んでもらえるとばかり思っていた私のショックは大きいものでした。
ようやく大手出版社の文芸部という「伏魔殿」に手が届くかに見えたのもつかの間、素人の持ち込みは一切読んではいけないという業界の掟の前に、私はまたまた奈落の底へと突き落とされてしまいました。
それでもこの日は、「伏魔殿」の実情に詳しい方とじっくりとお話して、初めて「出版業界の常識」を垣間見ることができたので、私にとっては大きな収穫でした。作家志望と言いつつも私があまりにも業界のお作法を知らないので、彼女もあきれたでしょうが、私のほうでもなんかちょっと違うなと感じることが色々とありました。
門外漢だからこそ嗅ぎ取れる、狭い村社会の因習に対する違和感ともいえるものです。
具体的にそれが何なのか、その時はよく分かりませんでしたが、その後何人もの出版社の方とお会いするたびに、表現の強弱はあっても、根底にある業界特有の考え方が透けて見えて、私にもその違和感の正体が分かってきました。そのことは、また追い追い書いていきたいと思いますが、この日の違和感は、まだかすかなものでしかありませんでした。それは彼女の朗らかな性格によるところも大きかったと思います。今思い返してみても、彼女は本当に親切で良い方だったと心から感謝しています。
彼女はその後も、どうしたら出版までこぎつけられるか親身になって相談に乗ってくれました。そして、原稿を読むことを拒否されて激しく落ち込む私によほど同情したのか、色々とお話をするうちに、遂に、「原稿を見せてもらっていいですか」と言ってくれたのです。
業界の禁を犯して素人の持ち込み原稿を読んでくれるというのですから、この頃になるとそれがどれほど「有難い」ことであるか理解できるようになっていた私も、大変感激しました。
彼女は、その場で原稿用紙20枚ほどの序章だけ読んでくれました。そして、「これからどのような展開が待っているか、期待を抱かせるうまい出だしだと思います。文章もお上手ですね」とほめてくれました。
私が素直に喜んでいると、続けて「本気で作家デビューを目指す気があるなら、何か賞を獲るのが一番の早道です。うちの会社も含めて、色々な文学賞があるので、自分にあったものを見つけて応募してみたらどうですか」とアドバイスをしてくれました。そして色々な賞についてそれぞれの特徴なども教えてくれました。
恐らく、それが作家を目指す人が正面から入っていく王道なのでしょう。私はそれまで正面から入っていくことは頭の片隅にもなく、裏からうまく入り込むことしか考えていなかったので、彼女のアドバイスは新鮮でした。
考えてみれば、晴れて作家となって活躍している人の多くはこの王道をくぐりぬけてきているのです。
敢えて禁を犯して「スピニング・ジョー」を読んでくれたうえで、文学賞に応募しろとアドバイスしてくれたのだから、「これなら頑張れば作家デビューも夢ではないぞ」とエールを送ってもらったような気がしました。
そこで私も原点に立ち戻って、文学賞に応募するところから出直そうと考えるようになりました。
(続く)
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