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素人の私が小説を出版するまでの記録(7)(最終回)出版が実現した日

囲碁小説「爛柯の宴」誕生秘話

2017年の年の瀬に、スターティアラボの伊藤編集長から「スピニング・ジョー」を出版したいとの連絡を受けて歓喜にむせぶ私は、明けて2018年の1月下旬に設定された次回面談までの1か月間を待ち遠しい気持ちで過ごしました。
電子書籍を出版するというのに、当の本人が電子書籍を読んだことがないのではまずいと思って、私はアマゾンの電子書籍専用端末「Kindle」を購入しました。
早速、本をダウンロードして試しに読んでみたのですが、正直なところ良いところもあれば悪いところもあり、慣れるまでに時間がかかりました。
但し、本棚から本があふれて家族からいらない本を捨てるように迫られていた私にとっては(いらない本などあるわけないのですが)、これ以上スペースを取らない電子書籍は便利でした。

2018年1月末近くに、私はスターティアラボの伊藤編集長を訪ねて、再度新宿へと赴きました。
2015年春、芥川賞を受賞した「火花」を読んで、衝動的に小説を書き始めてから、もうすぐ3年が経とうとしていました。
いよいよ出版社の方と、具体的に出版の話し合いをするところまできたわけですが、これまで「スピニング・ジョー」を抱えて駆け回っていたのに、実際に4月にデビュー作として発表したのが「爛柯の宴」となったことを不思議に思う方もいるかもしれません。
何故そうなったのか、まずはその辺の事情について説明したいと思います。

スターティアラボのオフィスでお会いしたのは、伊藤編集長と光氏の二人でした。
光氏は30歳前後の若手編集者でしたが、お話をするうちに、彼が「スピニング・ジョー」を読んで、伊藤編集長に出版するように薦めたことが分かりました。
彼は盛んに「これが初めて書いた小説と伺ったけれど、本当ですか?」とか、「これまで小説学校とか、執筆教室に通ったことはないですか?」と聞いてきました。
彼が「スピニング・ジョー」をどれほど面白いと感じてくれたのか、あまり言及がなかったのでよく分かりませんでしたが、私が思いつきで書き始めて、仕事の合間にこれだけの長さの小説を6か月で書き上げたということに興味を持ったようでした。
彼は顔を紅潮させながら、「いきなりこれだけの長さの小説を書ける人はそういないですよ」と言ってくれました。これまで出版社の人からは酷評されることが多かったので、誉めてもらうことは嬉しかったのですが、私としては作品に対する感想をあまり聞けなかったことを少し残念に思いました。
もしかしたら、これからもどんどん書いていけるというポテンシャルを買ってくれたのかもしれません。

その後光氏と、「スピニング・ジョー」出版の実務的な話い合いに移りました。
ここまでお互い好意的な雰囲気だったので、「スピニング・ジョー」の原稿を渡せば、そのまま直ぐに電子書籍としてアップされるものだとばかり思っていたのですが、ことはそう簡単ではありませんでした。
突然、「スピニング・ジョー」は長いので、ダイジェスト版も同時に発刊したいと言われたのです。
電子書籍のメインの読者は、普段あまり小説を読まない若者で、スマホで気楽に読むことが多いので、せいぜい原稿用紙100枚とか200枚くらいが限界で、原稿用紙900枚の小説など誰も読んでくれないというのです。ましてや、これがデビュー作である新人作家であれば、なおさら読んでもらうことが難しいだろうから、ダイジェスト版を同時にアップして、それを読んで興味を持った読者にフルバージョンを買ってもらおうというわけです。
専門家がそういうのだから、電子書籍の世界はそんなものなのかもしれないのですが、小説のダイジェスト版など聞いたことがなかったので、私には大きな抵抗感がありました。確かに大河ドラマや朝の連続ドラマなど、テレビでは「総集編」がありますが、小説では世界の名作の「あらすじダイジェスト」や「漫画」の類はありますが、作家本人が執筆したなどという話は聞いたことがありません。
それでも、もし拒めば、出版の話も立ち消えになるかもしれないと思うと、デビュー前の私に拒否する選択肢はありませんでした。

ダイジェスト版の話を渋々承諾した私は、家に帰って早速その作業に取り掛かりました。
どの章も愛着があるエピソードが詰まっており、しかも様々な伏線を張っているので、肝心な箇所を削除すると、私が伝えたいメッセージがうまく伝わらなくなるように感じました。
作業を途中まで進めたところで、バッサバッサと切り捨てた原稿を読み返すと、まるでゾンビに食い荒らされた死体を見るようで、目を覆いたくなりました。
これはとても無理だと感じた私は、ダイジェスト版の話は断ることにしました。
しかし、ただ断るだけでは、出版そのものも立ち消えになりかねないので、原稿用紙100枚から200枚くらいの新作を書くので、ダイジェスト版は勘弁してほしいとお願いしたのです。
光氏は一応私のお願いを聞き入れて、取り敢えず新作を書いてほしいと言ってくれましたが、出版するかどうかは、読んでから判断するということになりました。
そこで私は、光氏の気持ちが変わる前に急いで原稿を渡そうと、丁度仕事が1週間くらい間があいたタイミングを見計らって、大慌てでもう1本小説を書き上げました。
それが「爛柯の宴(第1局)」というわけです。

「爛柯の宴」出版実現までの産みの苦しみ

私は40歳くらいの頃から囲碁サロンに通うようになってすっかり囲碁にはまっていました。
実は子供の頃からずっと囲碁をやりたいと思っていたのですが、周りにできる人が見つからず、どうやって始めていいかよく分からなかったので、それまではたった一人の碁敵を見つけて、初心者同士で打っていただけでした。
私の親の世代は囲碁を打てる人が多いし、子供の世代も「ヒカルの碁」の影響で囲碁人口が増えていましたが、私の世代は囲碁が打てる人が極端に少ないのです。そこでかねてより、大人が楽しめる囲碁小説、たとえて言えば「大人版ヒカルの碁」のような小説があれば、囲碁をやる大人が増えるのではないかと考えていました。
囲碁好きな私は、通っている碁会所で様々なバックグラウンドを持つ人たちと出会って交流を深めていたので、そういう人たちが織りなす囲碁にまつわるエピソードを各人の人生模様とからめて、毎回主人公を替えて、短編連作で書いたら面白いと思っていました。長さ的にも、毎回のエピソードは、100枚から200枚くらいに収まりそうなので、丁度光氏の要望にも合致します。

最初の構想では、そういった「人情物」を考えていたのですが、いざ書く段になると、「人情物」は人気作家なら根強いファンに読んでもらえるけど、新人作家では難しいのではないかと感じるようになりました。そこで、読者が次回作を読みたくなる工夫が必要だと考えて、もう少しファンタジー要素とミステリー要素を入れることにしたのです。こうして、人々を囲碁へと誘う怪しげな妖気が漂う世界観の小説を創り出すことになるのですが、たまたまそんな怪しげな雰囲気にピッタリの場所で食事をしたばかりだったことも幸運でした。こうして神楽坂の怪しげな碁会所を舞台にした囲碁愛にあふれたファンタジー小説を書くことになるのです。

光氏の気が変わったら大変だと思い、私は家にこもって大急ぎで書き上げると、1週間後の2月1日にメールで原稿を送りました。
これで早ければ、2月中にも出版が実現し、念願の作家デビューが果たせると気分は一気に高まりました。
予想以上に早く原稿が送られてきて驚いた光氏から早速電話がきました。光氏も、素直に喜んでくれたので良かったのですが、さっそく読んでみるので1か月ほど時間をほしいと言われて、私は愕然としました。
こちらが大急ぎで1週間で書き上げたというのに、読むのに1か月かかるとは、一体どういうことでしょうか?逆ならわかりますが、読むのになんでそんなに時間がかかるのでしょう?
私はもう少し早く読めないかと光氏に迫りましたが、光氏は10作品ほどを抱えて、毎日死ぬほど忙しいので、理解してほしいの一点張りでした。
そんなに忙しいなら、どんなに催促しても無駄だと感じた私は、1か月待つことにして、その間に囲碁関係者にも読んでもらったりして、その感想を参考に一部書き直しをしたりしました。

編集の光氏、伊藤編集長のお二人と再度お会いしたのは、本当に1か月先の3月初旬でした。
この日、お二人にお会いするまで、この小説を気に入ってもらえるのか、そして本当に出版が実現するのか不安な気持ちでいっぱいでしたが、それは全くの杞憂でした。
「爛柯の宴(第1局)」を読んでくれた光氏が、興奮気味に「これは面白い、最初はこれで行きましょう」と言ってくれたのです。長さも、普通の文庫では短いけれど、電子書籍なら丁度よいと喜んでくれました。

取り敢えずこれで正式に出版が決まり、私は安堵しました。
いよいよ、3月中には出版できるのではないかと、私の期待感は一気に膨らみましたが、出版は4月末を目途にすることになりました。
最初の面談で1か月待たされ、さらに「爛柯の宴」を書き上げてからすでにもう1か月待たされた私としては、もっと早くできないものかと苛立ちました。しかし何度お願いしても、4月末がギリギリで、もしかしたら5月にずれ込むかもしれないというのがお二人の返答でした。
より多くの方に読んでもらうためにも、5月の連休までには間に合わせたいと思った私は、自分ができる作業は極力速く対応する覚悟でしたが、ここからが、また苦難の連続となりました。

光氏と伊藤編集長のお二人とお会いしてから、私は校正原稿が送られてくるのを待っていました。原稿用紙230枚ほどの短い小説だし、何回も推敲を重ねて誤字脱字をつぶしてきたつもりだったので、それほど修正は多くないと楽観していたのですが、校正原稿が送られてきたのは、面談から1か月後の4月6日でした。
しかも、その校正原稿を目にした私は我が目を疑いました。
毎ページ、赤ペンだらけで、修正箇所が予想を遥かに超えていたのです。
こんなに修正箇所が多いのでは、とてもではないが、4月末の出版には間に合いそうもないと、絶望的な気持ちになりました。

問題は、ただ修正が多いだけではありませんでした。
光氏から、この小説の文体は、何人称で書かれているのか、という根本的な問題提起がなされたのです。
私の文章は、三人称で書かれている平文に突然一人称の表現が混在し、違和感を覚えるというのです。
小説を何人称で書くかの基本的な考え方をまとめたテキストまで送ってくれて、まずは、この根本問題を解決してから、もう一度全体を書き直してほしいというのです。

これは由々しき問題でした。
実は小説を何人称で書くかという問題は、「スピニング・ジョー」を書き始めた時に最初にぶち当たった問題でもあったのです。
それまではあまり意識したことがなかったのですが、書き始めてすぐにこの問題に気づいた私は、それまで読んだ小説をいくつか確認してみました。
村上春樹は一人称の小説が多く、青春小説にはマッチしているように感じましたが、「一Q八四」は珍しく三人称で書かれています。「騎士団長殺し」ではまた一人称に戻っているので、もしかしたら一人称のほうが書きやすいのかもしれません。
三人称で書く場合、知人の第三者が語る場合と、全てを見通せる立場の「神目線」で語る二種類がありますが、ドストエフスキーやスタンダールは、前者の形式を好んで使っています。それに対して、トルストイは、「神目線」で全ての登場人物の心情もお見通しという立場で書いています。
それぞれ好みや書きやすさがあるのでしょうが、私は「神目線」の第三者で書くのが一番書きやすいと感じて、最初からそのスタイルで書いてきました。
前者の場合、知人の語りのはずなのに、登場人物が一人でいる時の描写があり得ないほど詳細で違和感を覚えることがあるからです。また一人称だと、その人物が考えていることを読者に隠したい時や、逆に他の登場人物が何を考えているのかを読者に見せたい時に不自由だと感じたのです。
つまり、この問題は私の中ではすでに決着済だったので、いまさら取り立てて問題視されることに反発があったのです。
特に光氏が問題にしたのが、平文を「神目線」の第三者の語りで書いているはずなのに、登場人物の心のつぶやきが出てくるのがおかしいということでした。
光氏はノウハウ本を専門とする編集者なので、文章が全て理詰めでないと納得できないという傾向がありました。たとえば、「A氏は「まいったなあ」などと言いながら」という表現があると、「まいったなあ」という言葉は一つなので、「など」を使うのはおかしい、もし「など」を使うのなら、「まいったなあ」の他に複数のつぶやきを入れてくれというのです。でも小説だけでなく、一般の会話でもこんな表現はよくあるので、そこを杓子定規に考えると、文章のリズム感が損なわれることがよくあるのです。
何人称で語るかも似たような問題でした。
例えば、こんな例です。「A氏の顔がサッと青ざめた。こいつ一体、何を考えているんだ」。「こいつ一体、何を考えているんだ」はA氏の心の声なので、平文が「神目線」である以上、本来なら、「こいつ一体、何を考えているんだと、A氏は思った」などとすべきなのでしょうが、それでは冗長になって文章のリズムが損なわれると思う時は、サラッと平文に乗せてしまうことがあるのです。
これは他の作家でもよく見る技法ですが、それでは具体的に例を示せと言われると、直ぐに探せるものでもないので、こういった文章表現を巡って、私は光さんと随分とやり合うことになりました。
頭の固い光さんは私の考え方をなかなか認めてくれなかったので、妥協点を見出す形で、平文に出てくる心の声は、全て括弧でくくるということになりました。私は完全に納得したわけではなかったのですが、急いで出版したい一心から全てそのように変更しました。しかし出版後に、こんないちいち括弧書きする文章は見たことないとの批判を受けて、全てもとに戻すことになりました。

何人称で書くかという問題を激しい言葉の応酬の果てに何とか妥協点を見出して片付けてから、もう一度校正原稿の修正部分を見直してみたのですが、ほとんどが漢字をひらく、つまりひらがなで表記する指摘でした。
私は確かに夏目漱石や森鴎外の影響を強く受けているので、「神様のカルテ」の主人公のような古風な言い回しを好み、「甚だ」とか「尤も」など、現代文学ではお目にかかることがない漢字を多用していました。それらをひらがなに開くことに異論はなかったのですが、「気付く」とか、「あちらの方に」などという漢字も全てひらがなに換えることには、違和感を覚えました。どの表現をひらがなにするかは、出版社ごとに方針が決まっているようなので、そういった事情を飲み込むまでは随分と修正の赤ペンを入れられることとなりました。

光氏は、特に誤字脱字ではない文章表現も最初はたくさん修正を入れてきました。
修正してきた文章に対して、私は不思議に思って、電話でなぜこのように変えたのか問い質してみました。すると彼の返事は、「そのほうが分かりやすいと思ったので」というものでした。
私は文章を書く時には、常に全体のリズムや読みやすさを考えて練りに練って仕上げているつもりなので、そんな私の文章が、ちょっとした思いつきで変更されて、文体やリズムがズタズタにされることに、耐えられませんでした。
「これはノウハウ本の説明文ではなく、文芸作品なんだから、文体が命なんだよ。出版された作品の評価は全て俺が自分で責任を持つから、明らかな誤字脱字以外、これ以上俺の文章をいじらないでくれ」
私は思わず電話口でそう叫んでいました。
まだ作家デビューも果たしていない身でありながら、そんな生意気なことを編集者に言ったりしてはいけないと、執筆の仕事をしている姉から、きつくたしなめられたので、私は大いに反省し、その後光氏には丁寧に対応するように心掛けましたが、その時はそう言わざるをえないほどショックだったことも確かなのです。
その後反省した私は、光氏が指摘しそうな表現はなるべく避けるように心がけ、一方の光氏も明らかな誤字脱字以外は、指摘事項を一覧にするだけで、最終的な判断は私に任せてくれるようになりました。
修正箇所が大幅に減ったお陰で、全然間に合わないかと思われた校正作業も僅か数日で終わり、最初に校正原稿を受け取った時は絶望的と思われた4月末の出版も、いよいよ現実味を帯びてきました。

ところが、ここでまた厄介な問題が持ち上がりました。
出版契約の問題です。
私は当然出版契約を締結するものだと思って、契約書のひな型を何種類か入手して吟味していたのですが、スターティアラボは著者とそのような契約を結んだことがないというのです。
その代わりに、スターティアラボが用意した、「出版権設定契約約款」というのがあるので、著者はその約款に同意する形で小説をアップさせてもらうという建付けになっているのです。
これは、マイクロソフト製品を使用する際に「使用許諾」に同意するやり方に似ています。
ここでも違和感を覚えた私は、正式な契約書を締結するようにお願いしましたが、これまでそんなことをしたことないので、あくまでもそれを主張するなら、出版は取り消しと言われてしまいました。
そうなると私に選択の余地はありません。
出版を実現させるためには、スターティアラボが用意した「約款」に同意するしかなかったので、私は一応その約款に目を通してみました。すると、いくつも気になる箇所が見つかって、中には明らかに「甲」と「乙」が逆ではないかと思われる箇所も見つかりました。全部で10箇所ほどの修正を依頼したところ、ほとんど認められませんでしたが、それでも明らかな誤りも含めて2、3箇所は修正してもらいました。
「約款」に関しては多少不満もありましたが、贅沢を言える立場ではないので、後は全てを飲み込んで同意することにしました。
出版の実現のために致し方なかったのです。

最後の問題が「表紙」のデザインでした。私は文章を書くことは比較的得意ですが、美術的センスは全く持ち合わせていないので、表紙のデザインは全面的に光氏に頼るしかありませんでした。光氏とは4月10日にお会いした際に、表紙のデザインをどうするか最初の打ち合わせをしました。彼が感じた「爛柯の宴」の世界観と、私がイメージする表紙のデザインの意見をぶつけ合って、その後も何回か議論を重ねました。その結果、光氏は濃いブルーで碁盤を幻想的にフィーチャーし、碁盤の奥に潜む広大な宇宙空間を思わせる見事なデザインで、「爛柯の宴」の世界観を表現してくれました。
この時は、この出版社と組んで本当に良かったと心の底から感謝しました。

表紙のデザインが大変好評だったので、その後第2巻以降も同じデザインを使用して、色だけ変えることにしました。
第1巻は、碁盤の奥に潜む宇宙空間を濃いブルーで表現しましたが、第2巻は囲碁に対する燃え盛るパッションと血のにじむような努力を赤で表現し、第3巻は碁会所から漂い人々を狂気へといざなう妖気を黄色で表現する、というようにそれぞれの巻のテーマに合わせて毎回色を決めていきました。

光氏とは、校正の段階では電話口で激しくやりあって、険悪な雰囲気になったこともありましたが、それも今となっては産みの苦しみまでの良き思い出となりました。その後、お互いにこだわる箇所がよく理解できたので、尊重するところは尊重し合うようになり、信頼関係を築くようになりました。
第7巻の最終巻の頃になると、校正原稿の修正箇所はほとんどなくなり、僅か1日で両者の確認が終わるようになりました。

そしていよいよ出版の日

校正原稿の最終チェックは4月16日、表紙のデザインも4月20日に出来上がり、これで出版準備が全て完了したので、同日に出版社からアマゾンにアップの依頼をしました。
大体1週間から10日かかるというので、出版日は4月27日ということになりました。
最後に突貫工事で作業を進めた結果、4月末より少し早まったわけです。
ところが、私も全然気づかなかったのですが、実際の発売はもう4月24日に始まっていたようです。

4月27日に出版ということで、私は知り合いに連絡を入れ、FBでも告知しました。
当日は朝から落ち着きませんでした。
以前、スターティアラボから小説を出版した時は9部しか売れなかったという話が頭から離れず、一体何部売れるだろうかと不安な気持ちでいっぱいでした。
出版したら買ってくれると言ってくれた友人も大勢いましたが、友人の多くが私と同じく圧倒的な紙派なので、電子版を買ってくれそうな人は意外と少ないのではないかと思えてきました。
ましてや、私の知り合い以外となると、世の中にどんな電子書籍が出版されているかなど知りようがないので、一般の人に読んでもらうことはほぼ絶望的な感じもしました。

光氏からは、日本文学のカテゴリーでアップすると言われました。
1時間ごとにリアルタイムの売上でランキングが刻一刻と変化するけど、日本文学は当然競争も激しいジャンルなので、まずは1,000位以内に入ればいいですねと言われました。
100位以内に入れば凄いけど、まずあり得ないとも言われました。

私はドキドキしながら、時々ランキングをチェックしました。
よく覚えていませんが、朝は15,000位くらいだったと思います。
少なくとも、私自身が買ったので、ランクはついたようでした。
私はKindle専用端末を使って買ったばかりの「爛柯の宴(第1局)」を読み返してみました。
すると、あれほどチェックしたはずなのに、誤字が見つかり、慌てて光氏に修正を依頼しました。
アップした原稿を直ぐに修正できることも、電子書籍の利点です。

一通り読み終わって、ランキングを見てみると、1,500位くらいになっていました。
どうやら友人の中で電子書籍を読む人が何人か買ってくれているようです。
全く売れないことはなかったので、少し安心しました。

ところが、午後になって、何気なくチェックしてみて、私は自分の目を疑いました。
ランキングが一気に、35位くらいに上がっていたのです。
私はすっかり驚いて、何か信じられないことが起こっているのではないかと落ち着かない気持ちになり、全く仕事が手につかなくなりました。
それから時間を経てチェックする度に、ランキングは24位、10位と、どんどん上がっていきました。
私は完全に平常心を失って、体が震えてくるのを感じました。
こんなことがあるのだろうか。
何か現実離れしたことが起こっているような不思議な感覚でした。
ランキングの前後には、村上春樹とか原田マハといった著名な作家の名前があって、その中に松井琢磨という私の名前が並んでいるのです。
これは全く予想していなかったことなので、心底驚いてしまいましたが、同時に約束通り買ってくれた友達に感謝する気持ちでいっぱいでした。

その日はたまたま、高校の同級生との飲み会があったのですが、計らずもそれは私の出版をお祝いする会のようになりました。
また、その2日後にも、たまたま自宅に友人を招いたパーティがあったのですが、それも出版を祝うパーティのようになりました。

このようにして、素人の私が思い立って衝動的に小説を書き始めてから、丁度3年を経て、ようやく出版を実現させることができ、こうして私の旅の第1章は終わりを告げました。

祭りの後

この後、「爛柯の宴(第1局)」の電子版に続いて、ペーパーバック版を5月末に出版しましたが、大変有難いことに、続きを早く読みたいという多くの声が寄せられました。
しかし、私はすでに原稿が出来上がっている、「スピニング・ジョー」の出版を優先させました。
その頃の私にとっては、メインはあくまでも「スピニング・ジョー」であって、「爛柯の宴」は、「スピニング・ジョー」の出版を実現するまでのつなぎ役でしかなかったのです。
すでに作家デビューを果たし、1作目でそれなりのファンもついたということで、出版社も「ダイジェスト版」の話はしなくなりました。
その代わり、1冊では電子書籍としては大部なので、上中下3冊に分割して出版することになりました。章立てを組み直し、各章に名前もつけて、光氏の校正に堪えうるように事前に大幅な書き直しを行いました。
私としては、上中下3巻の電子版とペーパーバック版を全て同時に発売したかったのですが、光氏は相変わらず忙しかったので、1か月に電子版かペーパーバック版のどちらかしか対応できないということで、「スピニング・ジョー」の出版は結果的に6か月もかかってしまいました。
そのために、その後「爛柯の宴(第2局)」を出版した時には、第1局から随分間があいて、11月になってしまいました。

電子書籍とペーパーバックの組み合わせにはメリットもありますが、デメリットも気になりました。
校正に手間がかかるので、電子書籍とペーパーバックの出版のタイミングがずれて、常にペーパーバックが1か月後になることでした。これは紙派の読者に大変不評でした。
またペーパーバックはオンデマンド印刷、つまり注文生産なので、どうしても割高になってしまうという問題がありました。「爛柯の宴(第1局)」は電子版は350円程度で安かったのですが、それがペーパーバック版だと、1,000円以上になってしまいました。原稿用紙200枚たらずの分量で、文庫なら400円くらいでもよさそうなので、確かに割高に感じました。
書籍の普及のために電子出版を利用したわけですが、これでは本末転倒な気がしました。
今後の出版業界発展のために、電子版と紙書籍のベストな媒体の組み合わせは何かということを、これから出版業界全体で考えていく必要があるのではないかと感じました。

私は出版が実現した後も、様々な出版社の方と情報交換する機会に恵まれましたが、中には非常に強い問題意識を持って、業界慣行を変えたいとチャンレンジしている方とお会いすることもあって、心強く感じました。ただ、そういった方のほとんどが、海外経験がある方か、あるいは全く異なる業種から参入してきた方で、旧来の出版業界そのものから出てこないことが、残念でなりませんでした。
何回も言うように、出版業界は旧態依然とした体制にあぐらをかいて既得権を守ることばかりに汲々としていないで、危機感をもって太平の眠りから早く目を覚まし、もっと大胆な発想で、如何にして読者層を開拓するのか、また如何にして新人作家を見出すのか真剣に変革を考えてほしいと思います。

その後の私の作家活動ですが、「スピニング・ジョー」上中下3巻が2018年10月に刊行し終わると、大きな反響がありました。
実は売上的には「爛柯の宴」には及ばなかったのですが、それでも熱狂的なファンとなると、「スピニング・ジョー」のほうが断然多いように思います。
「スピニング・ジョー」の熱烈のファンの方から、読者同士で語り合いたいという要望が寄せられたので、2018年12月に「スピニング・ジョーについて語り合う会」を開催し、ファン同士で熱く語り合ってもらいました。
もともと読書好きの私は、自分の好きな作品を皆で語り合う読者会をやってみたいと思っていたのですが、それが自分の作品で実現したので、まさに作者冥利につきます。
また、「爛柯の宴」を出版して一番良かったことは、それまで全く囲碁に興味を示さなかった友人が囲碁を教えてほしいと言ってくるようになったことです。今では初心者に囲碁を教える囲碁会も始めたので、これもまさに作家冥利につきるといえます。

「爛柯の宴」はその後、約4か月おきに続編を刊行し、2年半の歳月を経て、2020年12月に第7巻をもって完結しました。
2020年はコロナが蔓延した時期だったので、私はなるべく家にこもって、必要以上にコロナを警戒しながら執筆を続けました。もしコロナに感染しそれこそ死ぬようなことになれば、様々な伏線がつながって衝撃のラストを迎える壮大なドラマの結末を誰にも読まれることなく未完で終わってしまうことになるので、そうなったら死んでも死にきれないと結構なプレッシャーを感じていました。何とか無事に書き終えた時は、本当にホッとして、同時に大きな達成感を得ることができました。

「爛柯の宴」完結を記念して、「囲碁関西」という関西棋院が発行している季刊誌で、牛窪義高九段や白石京子四段のご尽力もあって、紹介記事が掲載されました。
それまでも、紹介記事としては、2019年7月の第4巻刊行以来、毎回週刊碁という囲碁新聞で取り上げられるようになっていました。
週刊碁の堀井氏が担当してくれたのですが、堀井氏はご自身が七段ということもあって、囲碁への思い入れの強い方だったので、「爛柯の宴」を大変気に入ってくれて、その後積極的にプロモートしてくれました。
2021年4月に、「爛柯の宴」完結を記念して、石倉昇九段、奥田あや四段という著名な先生との座談会を企画して頂き、その模様が週刊碁に掲載されると、大きな反響がありました。
中には、読みたいけど、どうやって買ったらよいのか分からないという問い合わせも多かったようです。
座談会の時には、囲碁普及のためにこの小説をより多くの方に読んでもらいたいという意見も出て、そのために具体的にどうしたらよいかというアイデアについて石倉先生や奥田先生も交えて真剣に議論が行われました。日本棋院の売店で販売する案や、全国の碁会所に配る案、序章だけ抜粋して囲碁の歴史をまとめた別冊本を作る案など、色々な案が出たのですが、その時に出た案の一つが、週刊碁に連載小説として掲載することでした。最初はちょっとした思いつきだったのですが、その後トントン拍子に話が進んで、4月下旬には連載の話が正式に決まり、5月31日発売号から連載が始まることになりました。
週刊碁の上田編集長を始め、ご尽力頂いた堀井氏、それから石倉先生、奥田先生には大変感謝しております。
私としても、第1巻は言葉足らずや冗長な部分があり、できれば書き直したいと思っていたので、丁度良い機会となりました。
もうベースは出来上がっているので、それを連載の長さに分割するだけで簡単そうに思えますが、実際に修正を始めると、これが想像以上に大変な作業となりました。
掲載は毎回紙面ほぼ1面なので、原稿用紙10枚ほどの長さになるのですが、各章や章の中の場面転換で丁度区切るようにしなければいけないので、大幅な書き足しや削除をしなければなりませんでした。これが想像以上に大変な作業で、オリジナルの作品を書き上げた時の倍以上の時間がかかってしまいました。
それでも気になっていた箇所を修正して、装いも新たに皆さまにお届けできるようになったので、大変良かったと思っております。
まだお読みでない方は勿論、すでに読んだ方も、新装週刊碁バージョンの「爛柯の宴」を是非とも楽しんで頂きたいと思っております。

考えてみれば、小説の執筆を思い立ってから、何度も挫折を繰り返しながらも、3年の月日をかけて何とか出版までこぎつけることができたのは、多くの方の助力やご支援があったからだと改めて感じ入っています。
そして出版が実現した後も、何度もくじけそうになりましたが、それでも多くの方の励ましのお言葉があったからこそ、何とかやってこられたのだと思っています。
これまで応援してくださった、石倉先生や奥田先生、週刊碁の上田編集長や堀井氏、関西棋院の牛窪先生や白石先生、出版社の方を紹介してくれた麹町のワインバーのママや、親戚、友人、出版業界のことを教えて励まし続けてくれた、原田社長、晴山代表、H氏、出版を実現してくれた、伊藤編集長、光氏、ファンとして応援し続けてくれた読者の方などなど、多くの方々へのご恩を忘れずに、これからも皆さまに楽しんで頂ける作品を書き続けたいと思っております。

                            (完)

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