ワードセンスが欲しいけど、もしかして優れている人って読者家かもなぁという話とコミュ症脱却のヒント
好きな趣味の一つに、好きなvtuberの雑談配信を垂れ流す(視聴するではなく)というのがあって、ラジオ感覚でコンテンツを楽しむというのがある。
雑談配信に限らず、切り抜きと呼ばれる、他者が編集して短くまとめたものも多い。
これらの何が好きなのかというと、エピソードや体験談の内容もさながら、その人独自の突っ込みや感想、言葉回しや話し方そのものが好きで追いかけているのだ。
言葉の言い回しや言い換えのセンスのことを、ワードセンスと言うが、このワードセンスが心地いいと言うか、脱帽ものだとキュンと来てしまう。その発想にはならんて。ってものが私は大好物なのだ。
このワードセンスはどこで身に付くのだろう?
私が、この人面白い話するなぁwって思う人は、大概読書家のような気がする。
好きなVの一人は、陰キャで本バッカ読んでたらしいし、一人は古典マニア。やはり。
人間、知らないものは使えない。自分が知っている言葉や熟語、文章から自分の話が出来上がる。
他人との会話量も大事かもしれない。その言葉の使い方が自分の中には無かったと思えば、自分のボキャブラリが増えたことになる。それが面白ければ、武器になる。
要は、言葉というものをどれだけ知っているか?感情などを表現する方法をどれだけ知っているか?そして、それらをどのタイミングで使えば、面白いと思ってもらえるか?それをどれだけ考えているか?
年を重ねるほど、新しい単語を覚えることは億劫になる。いかんせん、今まで覚えてきた単語で、生活が間に合っているからだ。無理に覚えようとする必要はないのだから。
だが、もし自分が新しい世界や、私も面白い話がしたい!そのセンスが欲しい!と思うのなら、ちょっと努力して、自分が知らなかった単語がある世界に足を踏み出す必要があるように思える。
私が面白いと思う人たちは、何か一つのことに深く熟知していて、その周りの単語ならほぼわかるっていう人が多い気がする。
自分が興味がない言葉は全然頭に残らない。これは言葉に限らずなんでもそうかなと。自分が何か好きなもの(私ならゲームやアニメ、サブカルだろう)をちょっとだけ深堀して、知らない単語が出たら即座に調べる。それを繰り返していると、自分のジャンル外だった世界の言葉もちょっとは頭に残るのではないだろうか。
自分という太い一本の木の幹(熟知した世界)があって、その周りに枝や葉(自分の好きなその他ジャンル)が生えている感覚だろうか。
これを繰り返して、自分の木が大きくなると、大きなメリットとして、他人との会話スキルが勝手に上がるということがある。
これは何かというと、他人と会話するためには、お互いが同じ言葉を理解していなければいけないというルールを突破できるということである。
他人とうまく話せない、置いてけぼりにされる原因の一つが、他人が使用している単語が理解できないというものがある。相手が使用している単語の何割か(確か3割ぐらい?忘れた)が理解できなければ、その相手とは会話が成り立たないと書籍で読んだことがある。1割程度なら推測で意味を考えながら話せるが、3割にもなるともうちんぷんかんぷんである。
これが、言葉を知ることによって、相手がそもそも何を話しているかがわかる。何を話したがっているかがわかる。会話はコミュニケーションなので、相手の感情を推し量ることができるようになってくるのだ。
私の場合、今になって学生時代に歴史の勉強や文学をもっと深く学んでいればなぁと思うことも増えたり。それは、仲のいい友達や好きな女性が、私の知らない世界で、知らない単語を使いながら会話しており、置いてけぼりにされるのが嫌というものでもある。
本は読める方だとは思うが、苦手なジャンル(それこそ歴史)は本当に頭に入ってこない。そのせいで、いいなぁと思った人と会話がしにくくなるのは、心苦しい。
だから、私の場合、ボキャブラリよりもセンスを磨いている節がある。量で勝てないなら、質だと。幸いにも、お笑いの国で生まれ育ったので。
だが、最近になってやはり量かとも思い知らされている。最終的には、量も質も両方必要なのだが。
次の私のフェーズは、自分のワードセンスをいかに広げるかにフォーカスしながら過ごすこととしてみる。
余談
好きなvは、
「ジョー・力一」「舞元啓介」「リゼ・ヘルエスタ」「栞葉るり」「冥鳴ひまり」