2024年3月 香港旅行記🇭🇰④: マカオ🇲🇴後編
大砲台公園へ
坂をひたすら登って大砲台を目指す。
マカオの住宅はベランダが全て格子で覆われていることが多いが、なぜなのか調べてみたところ、
・泥棒に入られないように
・子供が落ちないように
・洗濯物が干せるように
らしい。古いタイプの住宅に多いそうで、香港や中国のメインランドの方でもみられるそう。マカオは泥棒がそんなに警戒されるほど治安が悪いようには見えないが、確かに日本の住宅に比べたら上りやすそうな建物ではある。
最後にうんと急な斜面を登り切ると、大砲台公園に到着だ。
大砲台はどうやらこの塀の上らしいが、入り口が見当たらないのでとりあえず周りの遊歩道を歩いて入り口を探すことにする。
丘の上なので街を見下ろす形になり、屋上の様子などがよく見えて楽しい。
雨が多いのか、ほぼ全ての屋上に屋根がついている。
ほぼ一周してやっと塀の上への入り口を発見。逆回りならすぐ見つかっていたのか…
deeplさんによると、『高い!センス(気をつけ、のような意味らしい)!我が国の美しい歴史を少しは思い出せ。誇り高く、頭を高く掲げて歩こう。なぜなら、あなたはその国の兵士なのだから。』と書いてあるらしい。我が国ってポルトガルのことかな。
階段を登って大砲台へ。
流石に大砲台からは景色が抜群にいい。
さてこの大砲台だが、正式名称はFortaleza do Monte(モンテの砦)というそうで、1617-1626年の間に、マカオ在住のイエズス会宣教師たちを海賊から守るために建てられたそう。1965年までは実際のマカオ防衛に使われ、それ以降要塞は民間に開放されたとのこと。ちなみに今要塞の上にはマカオ博物館が建っているが、その建物は1965-96年まで気象観測所だったらしい。
聖ポール天主堂跡
大砲台公園を一周見て周ったあと、そのすぐ西にある聖ポール天主堂跡を見に行くことにする。
なぜか建物の正面部分だけ残されている不思議な遺跡だ。
こちらも大砲台と同様、1602-40年にイエズス会により建設されたそう。教会と大学だったが、1835年の火事でファサード以外が焼けてしまった。逆にファサードだけなぜこんなに綺麗に残っているのか疑問だ。
遺跡として残しておくため、現在は目立たない程度にコンクリートと鉄骨で補強してあるらしい。
ちなみに17世紀の教会建設には、1587年のバテレン追放令により日本を離れた日本人キリシタンが多く関わっていたそうだ。そのためこの遺跡付近の地下納骨堂には日本人殉教者の遺骨も収められていたらしい。このことを知るのが遅く、現地で確認できなかったのが悔しい。
聖ポール天主堂跡前の広場は写真撮影に勤しむ観光客が大量にいて写り込みを避けるのが大変だった。
昼食〜ローカル食堂
ずっと歩き続けていて疲れてきたのでここらで昼食にしよう。
マカオではポルトガル料理を食べてみたいなあと思っていた。
下調べで目をつけていたレストランは遠いうえにgoogle mapで「臨時休業」と書いてあったので諦め、近場のDragon Portuguese Cuisineというところを見に行ってみることにする。Rua da Felicidadeという通りに面するポルトガルレストランだ。
お目当てのレストランに着いたが、外に置いてあるメニューを見てみると軒並み高い……
残念ながら物価の安い日本から来たバックパッカーの予算を超えていたので、ポルトガル料理は断念してその辺の食堂に入ることにする。
ウロウロ海の方へ歩いていたら路地に空いていて良さげな食堂を発見。外のメニューを眺めていたら例の如く店員のおばちゃんが勧誘に出てきた。何か広東語で言われ、優しそうなおばちゃんなので入店を決める。店員のおばちゃんの愛想で入るか入らないか決めてしまう節がある。
まず香港ドルが支払いに使えるか聞いてみるが、質問がわかってくれていなさそう…。取り出して見せようかと思ったら、客としてきていたちょっとチャラめのお姉さんにおばちゃんが通訳を求め、香港ドルも使えると教えてくれた。
メニューを渡されたので眺めるが、流石に漢字の知識が乏しいのでgoogle翻訳さんに頼る。でもgoogle翻訳も力不足でメニューの内容が判然としない。
私が試行錯誤しているのを見かねて、おばちゃんがバサバサと2、3枚写真付きのメニューを持ってきてくれた。
メニューに、今回の旅行で食べたいものリストに入っていた「炸魚皮(魚の皮の揚げ物)」の定食があったので、それを注文してみる。が、首を振られる。どうやらないらしい。残念だが、代わりに超無難な肉と野菜の炒め物を頼んだ。
チャラめのお姉さんはさっさと食べ終わってしまい、店内には私一人になってしまった。
しばらく待って定食が出てきた。
パプリカと肉の炒め物で、味付けは食べ慣れた味に近い。こっちはピーマンじゃなくてパプリカなんだなあ。あと、香港でも思っていたが箸が長すぎて食べにくい。
外の道で喧嘩の声がずっと聞こえたけれど、この店は居心地が良かった。退店時も店員のおばさん二人が笑顔で「謝謝」と言ってくれた。ありがとうって「謝謝」でいいんだ。唔該か多謝かと思ってた。
セナド広場へ向かって街歩き
昼食を終え、とりあえずセナド広場の方に戻ってみることにする。
何度もいうがマカオは本当に絵になる光景が多すぎる。看板も全部魅力的だし。
世界遺産の教会と劇場
途中、急に教会に出くわす。
聖オーガスティン教会というらしいこの教会は世界遺産の一部で、1591年にスペインの聖オーガスティン修道会によって建設されたそう。訪れている観光客は少なく、落ち着いた雰囲気をまとっていた。
その向かいにはドン・ペドロ5世劇場というこれもまた世界遺産の一部の劇場があった。中に入れるので入ってみることに。
中は円形のこぢんまりとした劇場だ。警備員は一人いたが、他に見学者がいなかったので結構特別な気分に浸れた。
2階席も見学できるそうなので上がってみる。
2階席も素敵だ。繊細なカーブを作り出す細い柵がエレガント。照明の加減もちょうどいい。
言い過ぎだがここに住んでもいいくらい居心地がいい。
たまにここでコンサートが行われるらしい。今度はコンサートを狙ってこようかな。いや、居心地が良すぎて寝る可能性が高いな。
趣味のスケッチ
いい建築を見て気分がいいのでここでお絵描きタイム。ただしこの劇場を描くのではない。私はマカオの独特な柵付きの住宅を描きたかったのだ。
劇場のそばのベンチに腰掛け、休憩がてら向かいの建物をスケッチすることに。このベンチは意外と人通りが多く、地元の高校生やおじいちゃん、犬の散歩がよく通った。
30分ほどベンチに居座ってスケッチ。天気が曇りでよかった。夏の炎天下では外でスケッチなんてできないだろう。あとで看板の文字と色塗りをしようと思っていたが線画を台無しにしそうでまだやっていない。
絵も一枚描けたし満足満足。
これであとは帰るだけだ。
降りたバス停のほうへ向かって歩く。
バス停へ向かって歩く〜エッグタルト
セナド広場に戻ってきたところで、エッグタルトを食べていないことを思い出した。有名なマーガレット カフェ・エ・ナタが広場から近いので行ってみよう。
店はちょっと入り組んだ路地のところにあったが、さすがは有名店、行列である。しかし回転は早い。すぐに自分の番だ。
6個からとかだったらどうしようと思っていたが、1個でも注文できた。
店の外に置いてあるベンチに腰掛けていただきます。
香港のエッグタルトとは違い、中身が結構固まっていて温かいプリンみたいな感じだ。周りのパイ生地もパリパリで美味しい。
個人的には香港のトロトロのエッグタルトの方が好みだった。
マカオでやりたいことは全て達成し、街歩きもしてマカオの風景を十分堪能できた。旅行前はマカオに行くかどうか迷っていたが、きてよかったと思う。街並みに関しては香港よりマカオの方が好きかもしれない。
出境
行きと同じバスでフェリーターミナルへ帰り、今度は正規価格でチケットを購入した。(175MOP)
さようなら、マカオ…
1時間ほどの航海。せっかく窓側だったのに、ぐっすり寝てしまった。ちなみに、席のシールを貼ってもらうときに窓側にしてください、と係員に言えば窓側にしてもらえるようだ。
ただいま、香港!
再入境。もちろんスタンプなし。時刻は17時半。
さて、ディムサム(点心)でも食べに行って、流石に最後の夜なので夜景でもみるとするかな。
次の旅行記で最後にします。