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珠美の島ー東の奥武の記憶ー

久米島本島に寄り添う二つの島の
東側に浮かぶ小さな島
今は「オーハ島」という名前らしいが
それ以前の呼び名は「東(あがり)の奥武(おう)」

明治時代に二家族が入植し
1960年代には100人を超える島民がいたそうだが
その後徐々に人は減り、2000年初頭には数人のみが暮らす
静かで小さな島に戻っていた

私のおじぃとおばぁは 久米島の人だ
おじぃが亡くなったあと
お墓だけがその「東の奥武」に残っている事を知り
「うーとーとしに行きたいから場所教えて」と
おじぃの姉である、かみおばさんに連絡した

「草ボーボーしててあんたらなんかが行ける所じゃないさ」
と言って詳しい場所を教えてくれない
諦めきれずに食い下がると
「道なき道さぁね、絶対にわからんよ」と電話を切られた

結局何一つわからず、どうしたら良いのか途方に暮れたが
今行っておかないとなんだか一生後悔しそうな気がして
春霞の眩しい光の朝、母と2歳の息子を連れて久米島へ飛び立った

那覇空港で別の土地から飛んできた姉と合流
久米島行きのゲートへ移動し、数十分待機
コーヒーを飲みながら これからの道程にオモイをはせる

静かだったその空間に賑やかな一行がやってきた
久米島の少年野球チームのようだ
真っ黒に日焼けした少年たちの弾む声が空気を一変させる
久米少年VS.那覇少年、か
どっちが勝ったんだろ 、なんて気持ちくゆらせ

夕暮れ前に久米島空港到着
路線バスに乗ってホテルへ向かう
曲がりくねった坂道の商店街を通り抜け
バスは人気のない道を走り続ける
沈み行く太陽
オレンジ色だった景色がだんだんと濃紺になる
思っていたよりも暗く黒い山並みが続くことで
心ごとフラフラ揺れる

途中いくつかの停留所に止まり1時間程でようやく到着
島一番の大きなホテル
終点であるここが二日間の安息の住処

チェックインをすまし部屋に辿り着き
ベッドに腰をおろす
そのまま寝てしまいたいところだがお腹も空いていたので
ホテルを出て幾つか明かりの灯る方向へ歩いて行く

一件の居酒屋を見つけた
外から見る感じではまだお客はまばらだ

扉を開け人数を告げると真ん中あたりの席に案内された
島豆腐やチャンプルー他、幾つかの料理を注文し
先に来たビールを飲みながら店の様子をうかがう

注文を取りにきたネーネ、島の人ではなく内地の人のようだ
イントネーションも面立ちも遠い土地のにおい

俄かに沸き起こった沖縄ブームや
プロ野球の キャンプ地になったりして
この島もメディアの注目を浴びるようになったけれど
あの日のおジィは呟いた

「久米の人間はあんなじゃ無かった
 だめになった  
 観光産業で寝て暮らそうとしている」

その真価は、わからない
私は今この瞬間の久米島しか知らない
でもおジィの呟いたその一言が忘れられない
厳しい言葉だけれど
自分が生まれた島に対する愛、からくる言葉なのかもしれない

ホテルに帰ったあと息子を寝かしつけ
明日の予定を母と姉と三人で打ち合わせる

普段の旅行なら何も決めずに気まぐれに動くのだが
今回は成し遂げなくてはならない「その事」があるので
あらゆるパターンで予定を組み立てた

唯一の情報源であるかみおばさんが
頑なに教えてくれなかったので
場所の手掛かりを探す為まずは朝イチで役場行き決定
午前1時半にようやく眠りについた



暗闇で目が覚め、時計を見ると午前4時過ぎ
何だまだこんな時間か、さっき寝たばかりなのに

寝返りを打ってもう一度寝なおそうと試みるが眠れない

お茶を飲みもう一度ベッドに戻る
横たえた身体を丸めて目を閉じる

なんでこんなに目が覚めてるんだろ
朝になったらやる事が押し寄せてくるのに

と思った瞬間誰かが部屋に入ってきた
(え、入ってきた…?)
はずが無い、はずは無い

母と姉、そして息子、みんな眠りに堕ちている
でもドアの方から気配がしたかと思うと
ぐぐぐっ!とベッドの足元が沈み、数回激しくバウンド
きっとほんの数秒なのだけれど
異様な気配を感じて硬直していた頭と身体には
かなりな時の流れに感じ
眠れないどころか身を横たえていることすら出来なくなり
よろめきながらバルコニーに非難

思考回路はストップ
鼓動は波打つ

何…!?今の誰…!?

答えの無い問いが頭で回り続ける
気のせい?寝ぼけてた?
ううん
眠れなくて苦戦してたから夢なんかじゃない…

さっきまでの気配はもう
部屋には無さそうだが戻る気にもなれず
バルコニーでとにかく鼓動の鎮静をはかる
考え事すら出来ず思考が止まったままでも
朝はなんとかやってきた

数時間前の出来事を母と姉には言い出せないまま
予定通りにホテルに出発、タクシーで役場に直行
期待していた程の情報は得られなかったものの
手繰り寄せるための片鱗は拾ってきた

まだ4月だが陽射しは強く、ほんのり汗が滲んでくる

数十年前
まだ母が小学生だった頃
親戚の家があった場所に立ち寄る

当然ながらその場所にその家がそのまま存在している筈もなく
見知らぬ表札の記憶とは異なる家があるだけで
何度も周辺をうろうろしたり近所の人に尋ねて周る母をみていると
自分までなんだか無性に寂しさが込み上げてきた

子供の頃、母が訪れた久米島

どの家もアカバナーの垣根で覆われていて
自分が帰る家をよく間違えたそう
その時の記憶は何十年経った今でも鮮やかに甦るようだ

一直線に続くサトウキビ畑を歩いて帰る
黒く日焼けした数人の島人が刈り込み作業をしている
ずっと先を走っていく息子
普段一日に何度も発する「危ない」と言う言葉が
島に来てからは一度も出てこない
自然の懐の深さに助けられている

毎日こうだったらいいのに

ホテルで昼食を取った後イーフビーチへ散歩に
自分達以外には大学生位の女の子が二人
波際で水を蹴りながら楽しそうに話をしている

砂浜で何か作る息子
形を留めないさらさらした砂を何度も積み上げている
穏やかなその光景を眺めていると
「今、ここ」が飛んで行きそうになるが
意識を掴み直して足元を確認する

あと一日半でどこまで辿り着けるのか
そして今朝起こった事は
一体何だったんだろうか

夕暮れになり
島に一つしかない大きなスーパーへ買い出しに

母は沖縄で生まれ育ったがそのことを嫌っていた
本土の島する差別や、島人の本土に対する抵抗
戦後のアメリカの占領下で
それまでの沖縄が大きく変わって行く時代に生まれ育った世代
自分ではどうする事も出来ない交錯した時代の感情に振り回され
本土に来てからは沖縄出身である事を隠して生きてきたようだ

そんな母が買い物の帰り際に言った一言
「あっちで買い物しているねーねもこっちで座り込んでるおばぁも
 自分と同じような顔で…」

この旅で初めて声を出して笑った、同じ事思っていた
ひとくくりには出来ない沖縄
島それぞれの顔立ちや風土や特色
その存在の尊さを心から実感した瞬間だった

2日目、朝
残されたのは今日一日だけ
明日の朝には島を離れないといけない

不意討ちの出来事で覚醒した昨日とはまるで違う朝の景色
バルコニーの左手に見える
海からの日の出をゆっくりと眺める
太陽を反射して淡いオレンジ色の混ざる水平線
海の青や変わりゆく空の色
柔らかな風の揺らぎを初めて感じる気がした

太陽が昇りきる前に起きてきた姉
結婚してからは四国に住むようになった姉は
この旅には違う飛行機で那覇から合流した
突然で突拍子のない提案にも姉は快く了承し同行してくれた

昨日とほぼ同じ時刻にホテルを出発
お線香と手向ける花を買い港へ向かう

時間が過ぎていて昨日は乗ることが出来なかった
「はての浜行き」の船は正午に出発予定
眩し過ぎる日差しを避けて待合室のなかで
膝の上に花を抱き、そのときを待つ

予定通りの時刻に船はやって来た

10人くらいでいっぱいになりそうなグラスボート
乗り込んだのは自分達と4人連れの家族だけ

10歳位の女の子と幼稚園位の男の子
穏やかそうな父親と母親
船長の島んちゅの話に頷きながら
楽しそうにおしゃべりしてる

浅瀬で揺れているモズクやはての浜のこと
船長さんはいろいろ説明してくれるけど
そんな光景に対しては抜け殻なので
言葉が身体を素通りしていく

おじぃのお葬式で初めて会った親戚のおじさん
久米島で海んちゅしてるって言ってたな
元気にしているんだろうか
背が高くて真っ黒に日焼けした肌で
目だけがキラキラしてたな

あの日の記憶を手繰り寄せていたら
見えてきた

東の奥武

無造作に固められただけの護岸
岩に張り付いた貝と海草でごつごつぬるぬる
ゆっくり踏みしめても転びそうになり
子供を負ぶった
心臓が波打つ
何とか岸に上がり船を見送ろうとしたら
何故か家族連れも降りてきた
(あれ、はての浜に行くんじゃなかったのかな)

疑問を抱いているのをよそにファミリー達
高いテンションを保ったまま
先に下船した自分達を追い越して
談笑しながら島の一本道を歩いていく

アダンの生い茂る
舗装もされていない獣道
その先は無人になった家屋や枯れた井戸
観光するような場所は何もない
あの家族の行く末に不安が過るが
今の私が心配するべきことでもない

そう、それどころでないんだ
私自身、やっとここまで辿り着いたんだし
一時間半後に船は迎えに来る約束だから時間は無い

前日の夕方もう一度かみおばさんに電話をした

予想通り「お前たちが行っても仕方がない」とは言われたが
「島に着いたら最初に見えてくる家に聞けばいいさ」と
ため息まじり独り言のように呟いて彼女は電話を切った

そしてそんな言霊に揺れながら最初にみえてきたその場所

咲き始めたアカバナーの垣根の向こう
濁り無くただ青く広がる空を背景に
静かに佇む一軒の家
数十年前まではあちこちに存在していたであろう
島の原風景

何かに逆らって時を留めたようなその空間に
踏み混む事を躊躇した  一瞬
壊してはいけない聖域のようで

「いや、行かないと」

家屋までのたった数メートルが
とても遠く感じる
少し硬くなりそうな心なだめ
ゆっくりと垣根の中へ入る
ようやく軒先にたどり着き
家人を呼び出すべく、一声をあげる

「すみませーん」


誰も出てこない
人気を感じない


「こんにちはー」


もう一度呼んでみるが
やはり誰も出てこない

お留守なのかな…

自分で約束を取り付けてやってきたわけではないから
誰も居なくても当然で

どうしようか…こんなに小さな島だけど
知らずに歩き回って
限られた時間内で辿り着けるとも思えない

もう一回呼んでみて
駄目なら諦めよう
帰りを待ってても仕方がない

もう一歩、軒下に入り
さっきより大きな声で呼んでみる

「こんにちはーーー」


「………………………」


風の音しかしない静かな空間にもどる


やっぱりだめか、と思った瞬間

「はーぃ…」
と、家の奥からかすかな声
「あ、いた…!」
その瞬間、心と身体の力が抜けて
息を吹き返したような感覚に包まれた

暗く陰になった土間の奥から出てきたのは
腰の曲がった小さな おばぁ

呼びかけて出て来てくれたはいいが
次の言葉なんて用意しているはずもなく
何から話したらいいのかと悩んでいると

「聞いてるよ、うーとーとぅしに来たんだろー」と、おばぁ

そう言ってすぐに
側にいた息子にちょっかい出し始める

あぁ、

なんだ

なんだ

そうか

かみおばさん、伝えてくれてたんだ

あんなに憎まれ口しかついて出てこなかったのに

思いがけない突然の展開にびっくりするやらほっとするやら
そして心底感謝するやら、で
さっきまでの固まりそうな心はすっかり消えていた

片言を駆使しハイテンションでおばぁに話をする息子
おばぁのかすれた笑い声
賑やかな音に捲かれながらも心は静かなひと時

このままもう少し
緩やかな風と穏やかなひと時に身を委ねていたかったけど
船が迎えに来る時間が決まっている事おばぁに告げると
彼女はさっさと外に向かいこちらを振り返り、着いてくるよう手招きをする

その 小さな背中を見つめながら
赤バナーの垣根を抜け、島の一本道を歩いてゆく

小さくてもどこか
強さやひたむきさを感じる背中
おばぁの生き抜いてきたその時間に思いを馳せていると
次に見えてきた家の前でおばぁは誰かの名前を呼んだ
程なく家の中から出てきた男の人
面長、小柄で白髪まじりのおじぃ、なんとなく見覚えのある面立ち

おばぁはこの人が島でいちばん偉い人だと教えてくれた
この島の村長さんなんだと

足の悪いおばぁに変わって
ここから先の道のりはこの村長さんが案内してくれるそう

「しっかりうーとーとぉ、してこいよー」
手を振るおばぁ
大きく振り返す

村長さんの後を一列に並んで歩いて行くと
あばぁが言っていた島の十字路にたどりついた

十字路の中央に白い井戸

母の記憶にも残っているものらしく懐かしそうに
「お祭りの日、この井戸の周りで沢山の子供が遊んでいたよ」
その言葉で遠い日の情景を重ね合わせるが
あっという間に消えてしまう

今は当時の面影すら無い
緑に覆われた水の湧かない
枯れ果てた白い井戸

なのになぜか、なんだかとても
光を放っているように見えた、静かに

そんな井戸を右手視界に遠ざけながら
反対世界に広がる獣道を並んで歩いていく
勢いよく一番前を歩いていた二歳児も
この日差しと足元の悪さに体力を奪われたよう
立ち止まり、まっすぐな眼でこちらに両手を突き上げ
全身で抱っこをねだってきた

「もう、仕方ないな…」
そこからは十数キロを背負い
草だらけの道を踏みしめながら
村長さんの後を着いてゆく
暑過ぎる日差しのせいで全身から汗が滲みだす

いつ辿り着くとも知れない道を歩き続ける
それほど遠くは無いはずなのだが
心の置き所でその距離は伸びてゆく

うーとーとしたい、の一心で
何も知らないままここまでやって来たが
いざその時が近づくと
引き返したい気持ちも少し浮かんできたり
それは不思議な心のカラクリ
夢は夢のままで終わらせたい、なんて
得体の知れないモノへの防御反応なのか

歩いている最中
誰ひとり言葉を発する事が無い
みんなそれぞれの思いの中を游いでるようだ

疲労が増すにつれて何故だか意識は冴えてくる
強すぎる日差しが拍車をかける

段々と果ての無い道のりのように感じ始めて
あとどのくらいかと思い
おんぶで前屈みになっていた視線を持ち上げた瞬間

道では無い、開けた空間が目の前に広がっていた

風に靡くアダンの木々に覆われた
吹き溜まりのような空間に
色も形も異なった三つのお墓
見えない手を繋いでいるかのように寄り添い
静かに並んでいる

建てられた時代は違うんだろう
色も形も大きさもそれぞれ全く異なる石達

何だか動けない

辿り着きたかったお墓がどれなのかわからず
黙ったままじっと見つめていると村長さんはそっと指を指した

ドクドクドクドク

息子を背負ってこの日差しの中歩いて来たせいもあるが
安堵しかけてた心が戸惑いを感じ始めてる

並んでいる石たち見据えたまま

歩みは止まっているのに鼓動は早いまま

村長さんが指差したお墓
それは
自分のイメージを切り崩したような
想像とはまるでかけ離れた造形物
島でよく目にするような亀甲墓でも破風墓でもない
かなり古いとは聞いていたからある程度覚悟はしていたけれど

その見た目に
これまでのお墓に対する厳粛なイメージは崩れ
判断する能力を失っている

それはまるで、そう
冷えて固まった
大きさの異なる真っ黒な溶岩を
ただ無造作に積み上げただけの
石の集合体
長い年月をかけて
ようやくひとつの存在になったような

真っ青な空や鮮やかな木々と相反する
黒さや重苦しさがずっしりと心にのしかかってくる

言葉を失い ただ見つめているだけの自分たちに
村長さんは話し出した

「かみおばぁはあんたらを
 ここに来させたく無かったんかもしれんさぁね」

その推測が真実かどうかはわからないが
かみおばさんの憎まれ口に対する不信感や抵抗は既に消えていた

携えてきたお線香と島酒
お花をお供えして手を合わせ、静かに目を閉じる

普段は暴れん坊な息子も
なぜかうーとーとの時だけは静かに手を合わせる

手を合わせて目を閉じていると
色んな感情が浮かんでは消えるが
何一つ言葉として象れない
それが自分自身の気持ちなのか
他の誰かの思いなのかさえ

うーとーとを終えて立ち上がった自分達に
村長さんは話してくれた
残っていた疑問に答えてくれるかのように

「一番右にあるのはよ、さっきのおばぁん家の墓で
 真ん中はおばぁの弟の墓さね。」
 
おばぁの、弟

そういえばここに来る前にゆんたくしている時
おばぁが言っていた

「戦争で渡名喜に渡ってさ
 そのまま帰ってこないであの島で死んだよ」

おばぁはこの弟への思いを
ずっと心に留めて生きてきたんだろうな
その思いが
この中では一番真新しい命の証である
石の存在を光らせていた

最後にもう一度手を合わせる

この情景に対する心の揺れを鎮めるために
もう少しだけ思考を押し止め

時間が迫っているのでそろそろ、と切り上げようとするが
名残惜しいようで母はその場を離れようとしない
何度も何度も手を合わせ涙ぐんでいる
これまでの母とはまるで反対のその

故郷を捨てて過去を否定するような発言ばかりだった母
彼女が何故そこまで島を嫌うようになったのか
幼かった頃の自分には理解出来なかったけれど
時の流れで変わってゆく思いや
積み重ねてきた経験の影響力なのか
彼女の中で今また何かが変化しているようだった

相反する感情が一気に押し寄せたからなのか
遠い過去から今ここまでの時間が圧縮され
真正面からぶつかって
飛び散って消えてしまったような
不思議な感覚に襲われていた

うーとーとを終え
船が迎えに来るまで
おばぁん家で最後のゆんたく

いつものテンション取り戻した息子
あちらこちらでいたずらし始める

「こらー、悪さしたらおばぁがめーごーさーするよー」

昔はこの小さな島でも
あちらこちらでそんな光景があったのかな
いつかの頃の島の人々の暮らしを想いながら
時おり風に揺れる赤バナーを見つめる
もう全てが止まってしまえはいいのに、このまま
なんて思う程緩やかな時間だけれど
もうそろそろ迎えの船が到着する時間

おばぁにありがとうと
さよならを告げる

「夏になったら また来いよー」
見えなくなるまで手を振ってくれたおばぁ
また必ず来るからその時まで待っててね

浜に着き、迎えの船を待つ
あと10分程で約束の時間

そういえばあのファミリーはどうしたんだろ
こんな暑い中歩き回って大丈夫だったんだろうか

と、思っていたらやって来た
遠く浜沿いをこちらに向かって歩いてくる
そして予想的中
船を降りたときとは打って変わってかなり疲労困憊な様子
弾む会話ひとつなくただ黙々と、力無い速度で歩いて来る
無理も無い
整備されたリゾート地では無いので
休む場所どころか避難する日陰さえままならなかっただろう

そしてファミリーのお母さん
シルクシフォンのスカートに華奢なミュール
島探索には程遠い出で立ち
最初の印象を破壊する程の表情の険しさに
かける言葉さえ見当たらず
この場をどうやり過ごそうかと
振り向いて海の向こうに目をやると見えてきた、迎えの船が

その船を見た途端
ファミリー全員満面の笑みで海に向かって大きく手を振っている
「おーい」「こっちだよー」なんて叫びながら
あ、ほ、ほんと船、来てよかったね、
はぁ…
安堵したら、なんだか一気に疲れが出てきた…

船が岸に近づく
ファミリーに先に乗り込むよう促す

自分が乗り込む番になり
息子を抱き上げて先に乗せようとすると
船長さんが手を貸してくれた
(あぁ、 この人、こんな顔してたのか)
さっきと同じ船長さんなのになんだか初めて会う人のように思えた
来る時は不安と重圧感に飲み込まれて
目の前の景色が何も見えてなかったのだろう

ゆっくりと 島をあとにする
離れていくその景色にもう一度心を飛ばす

たった一時間半程の
一瞬でしかないその出来事が
心の中で繰り返し響き続けている

感謝の気持ちでいっぱいになっていく

「夏になったらまた来いよー」
おばぁの言葉が
小さく遠ざかる島を覆っていく

真っ青な空
照りつける太陽の光
エメラルドグリーンの水面がゆらゆら、きらきら
どこを見ても眼を開けていられない程、乱反射する光の世界
自分の身体まで透き通ってそのまま光になりそうな妄想に包まれる

下船の時も手を貸してくれた船長さん
言葉は無いけど少しはにかむような笑顔に心が温かくなった

ありがとうを告げてタクシーでホテルへ向かう

遅めの昼食をとった後、部屋に帰って息子を寝かしつける
いつもは昼寝なんてしない息子も今日はすんなり眠りにおちた

「あれ、今って何時だろう、記憶が、」

息子を寝かしつけた後
いつの間にか自分も眠ってしまったようだ
目を覚ますため、風を浴びにバルコニーへ出ると

あ!! いた、、!
一緒に船に乗っていたあのファミリーだ
敷地内のコートでテニスをしているではないか
しかも笑いながら、軽やかに

数時間前の彼らが嘘のようだ
旅のなせる業なのだろうか
その光景を眺めながらひとりため息をついていた
私にもあのタフさが宿っていればな、と…

夕暮れ時になり
旅の最後の夕食を取るためにお店を探す
一軒の居酒屋の前で何となく足が止まった
居酒屋というよりは普通の民家に小さな看板が出ているだけのお店
(大丈夫かな…)
迷いつつも気になったので引き戸を開けて中へ

「あ、いらっしゃい!四人ねー」
ひとりのねーねが開店の支度をしながら優しく出迎えてくれた

時間か早いからか、お客は男の人がひとりのみ
あてをつまみ、ビールを飲み
レジの上の天井から吊るされた小さなテレビを観ている

店の奥には居酒屋らしからぬ手作りのような雑貨が並び
テーブルクロスは全てピンクのギンガムチェック

取り敢えず
ビールとスクガラス豆腐、島ラッキョウなど数品注文

まずはビールで乾杯
達成感でなんだか晴れ晴れしい

テレビからは天気予報
島は明日も快晴のようだ

ぼちぼち入ってくるお客も常連さんなんだろう
軽く挨拶をして近くのテーブルに座り
他愛のない会話が始まる

アットホームが故
最初は入りにくかったけれど
まるで親戚のお家で夕飯をご馳走になったような
温かく和んだ時間が流れていって
初めての空間なのにどこか懐かしさを感じていた

明日にはもう島を離れるのか
一か月くらいここに居たみたい
濃密な出来事と目まぐるしい感情のせいか
時間という概念の不確実さを体感した気がする

ビールでふわふわする頭の中
この二日間の出来事を整理するかのように
もうひとりの自分との輪郭の無いやり取りが続いていた

翌日
午前9時にホテルを出て送迎バスに乗り込む

行きはあんなに長かった道のりも
同じ距離とは思えない程あっという間に久米島空港到着

まだこの島に居たい気持ちを押し留め
チェックインを済まし
落ち着く場所を探すが思ったより人が多い
暫く待っていると売店近くの席が空いたので
荷物を降ろして一息つく

出発まであと一時間
買ってきたおにぎりを食べながら
行き交う人々を眺め、思う

なんで今ここにいるんだろう
なんでこんなこと思ったんだろう
亡くなった人がお墓いるとは思っていない、もちろん
なのに遥々この小さな島にそのことだけを果たしに
目的地すらわからないまま

ただ
いろんな出会い
いろんな出来事
いろんな瞬間に巡り合えたことで
確実に、何かがこの身に振り積もっていって

眩しかった
ただただ眩しかった
全てが

そのひとつひとつがこの先
自分の人生の中でどんなふうに交わってゆくんだろう
またいつかこの場所に訪れる日が来るとすれば
その頃の自分はどんな時間を積み重ねて
またここに戻って来るのだろう

そんな過去と未来に広がっていく意識を
今に引き戻すかのように、母の声が

「言うかどうしようか迷ったんだけど…」
「ん?なに?」
何だかバツが悪そうに
独り言のように小さな声で話し始める
「久米島空港着いた途端、急に腰から下が重くなってね
何かがぶら下がってるみたいに」
「え?」
「で、ずっと重かったんだけど、さっき空港着いた途端
 急に軽くなったんよ
 何か怖いし、自分でも信じられなくて言うの迷ったけど」

(あぁ、やっぱり…)

着いた当日の夜明け前に自分に起こった一件もあるので
驚きは無く、逆にほっとした
一緒に行動していた誰かが居たんだな、他に
にしてもだ
だいぶイタズラ好きな魂だわ…全く…


あれから十数回目の
芽吹く緑の眩しい季節を迎えた

そして
今日まで変わり続けていること

あのときの記憶は
時間と共により鮮明になっていくということ
ささやかな出来事のひとつひとつが共鳴し合い
あるべき場所で溶け合うような

過去の出来事では無く
今この時と同じスピードで
平行移動しながら存在し続けているような

小さかった息子も少年の時間を通り過ぎて
独り立ちする年齢を向かえ
どんどん大きく、遠くなるその存在をみていると
同じだけ自分は成長しているのだろうか、とか
あの頃思い描いていた未来に少しでも近づけているのか、とか
答えようのない問いを自分に投げかけてしまうけど

この旅の決断のように
ひとつひとつの思いを日々貫いて
たどり着いた今日、この日は
私がどこかで思い描いていた未来なのかな

旅の途中なのだきっと、まだ



今日も抜けるような青空
5月なのに気温は夏レベルになるそうだ

あの日の、あの光と風を感じながら
今日からの旅も思い描いたように歩き続けて
また新しい世界に突入していくか

何でも来いっ、なのだ。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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