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女郎花あれこれ

外を歩くと彼岸花を目にするようになりました。日中はまだまだ30度越えですが、植物はどのように花咲く時期を決めているのか気になります。

今日は紫式部日記より藤原道長と紫式部の女郎花(おみなえし)の歌のやりとりを。

(草木の露もまだ落ちないくらいの)早朝、庭を見回っていた道長はこの時、左大臣の地位にあり廟堂の第一人者なわけですが、庭に咲いている女郎花を手折り、式部の部屋の今でいう目隠しのような几帳(きちょう)越しに差し入れます。そう、秋の早朝、ざっくり今でいう総理大臣のような人が、起き抜けの顔を見られるような近くで花を差し出すのです。

「『これ、遅くてはわろからん。』」
女郎花の歌をとっとと歌うのがよい、と。
一気に目が覚めそうですね。

式部は、さっと硯で墨を擦りながら頭はフル回転だったでしょうか。

「女郎花 さかりの色を見るからに 露の分きける身こそ知らるれ」
女郎花が朝露の恵みを受けて、今を盛りと美しい色に咲いているのを見ると、露が分け隔てをして恵を与えてくれない我が身の不遇が思い知られることです、と。

道長は「『あな、疾(と)。』」と微笑んで
「白露は分きてもおかじ 女郎花 心からにや色の染むらむ」
白露は分け隔てしているわけではないでしょう。女郎花は自らの心の持ちようによって、このように色美しく花を咲かせているのでしょう、と歌を書いて返します。

この時代は、こんなやり取りを常からしていたのでしょうから、現代のわたしたちが想像するほど難しいものではなかったのかもしれませんが、双方の咄嗟のやり取りには感嘆のため息が出てしまいます。中でも道長の返歌。式部の歌は、謙遜というか自らの不遇を露のせいにして、卑屈にすら聞こえてしまうものなのに対し、道長は女郎花は「心から」、つまり自分の意志で美しく咲いているのだよ、と式部を励ましているようにも読めます。即興でこう詠めるということは、道長自身が普段から強い意志を持って己の定めた目標に向けて精進していたことの表れでしょう。占いに行動を振り回される時代という印象も強いですが、人の持つ強い思いが垣間見えて興味深いです。道長はあまり好きな歴史上の人物ではないのですが、こういうところはさすが、と思います。式部も宮中に出仕することで政の頂点にいる人の心のありようなどを観察したことは、源氏物語にも大いに生かされたでしょうね。

女郎花はお茶では女郎の名がよくない、すぐに傷んで匂う、などから禁花とされてきましたが、最近は茶室で目にすることも多くなりました。薬剤を使って花保ちをよくできるようになったこともあるのでしょうか。

今日の菓銘は「初雁」。
月夜に飛んでいる様子なのか、切り分けた中の黄色も眩しく美しかったです。

市場では茸や柿、栗など秋のものが出回っています。「きょうの料理」9月号の山脇りこさんの「栗の白みそペースト」おすすめです。甘じょっぱいのがたまりません!トーストに塗ったりして。あんバターみたいに人気出て欲しいです。テキストには冷凍してもカチカチにならないとありましたが、使った白味噌の塩分の関係かわたしが作ったのはカチカチになってそこだけは残念・・・。おそらく25日の放送で紹介されると思うのでよろしければどうぞ。

芸術の秋で一番楽しみにしているのは京都国立博物館で10月7日から始まる東福寺展。ちょこちょこ予習中。

長々とぱらぱらと失礼致しました。
なんだか秋らしい気候のいい時期は短くなりそうですが、どうぞ皆さまそれぞれに満喫してください。

参考文献:「新版 紫式部日記 全訳注」宮崎莊平(講談社学術文庫)

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