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「降らずとも雨の用意」とは・・・

大阪はこの週末雨の予報です。着物で出かけたい大事な予定があるので、必要な準備をあれこれと考えています。

雨つながりで、利休七則の一つ「降らずとも雨の用意」について、最近考えたことを。利休七則とは茶人が心に留めるべき七つの教え。ある人が利休さんに「茶の湯とは何ですか」と聞いたところ、この七則(は追々書いていきます)を応え、その答えを聞いた方はそんなことは分かっていると不満そうな様子だったとか。利休さんは「分かっていても中々できない。あなたが出来るなら、わたしはあなたの弟子になりましょう。」と答えたといい、頭で分かっていることでも実行できるとは別のこと、実行に至る難しさを示す話としても紹介されます。

この場合の雨の用意とは、露地笠や露地下駄(常と異なり、表が濡れないよう、重ねて置く時は鼻緒同士を合わせます)といった準備を、茶事の際に亭主が常にしておくことを言います。

現代のわたしたちには、笠や下駄というだけで、とても仰々しい感じがして、利休七則の実行が利休さんの時代の人たちより、はるかに高い壁になってそびえているように感じます。が、ちょっと考えてみてください。

現代の生活で言えば、雨が降りそうな時にお客様に戸外での移動をお願いするなら、傘(ビニール傘でいいでしょう)も念のため準備しておくということ、「足元お気をつけて」の言葉を添えて。現実には、お茶事なら通常外の待合を使うところ、急遽、屋内の廊下を使って茶室へご移動いただく、ということも多いでしょう。

言いたいのは、利休七則は確かに実行は難しいのですが、現代のわたしたちは、昔のお道具を使ってお茶をしているために、必要以上に難しく考えているところもあるので、気負い過ぎないでください、ということです。

先日、朝食用の玄米を前日夜に準備したつもりが、朝起きてみるとなんと炊飯器に水を入れていなかった、なんてことがありまして。電源を入れ忘れていたことは何度かありますが、この失敗は初めて。朝は落ち込んでいる暇などないので、すぐ対応します。家族の朝食用玄米は炊き忘れに備えて、絶えず冷凍したものの在庫を持っているのでこれを急いで解凍。何でもお茶に絡めて考える癖があるので「あ、これは『降らずとも雨の用意』をしていたから、朝食を食べられずに一日が始まることは回避できているのだな」と気付きました。現代の生活でも、わたしたちは自分が失敗できない、大事だと思うことには代替策まで考えているのです。現代で出来ていることを「昔のお茶事時の雨の用意」にあてはめて想像してみると、するべきことにもう少し等身大で取り組めるのではないでしょうか。ちなみに炊飯器への水の入れ忘れについては、後ほどゆっくり反省しました・・・。

適切に湯を沸かすことは多少偶然の要素もありますが、雨の用意は「する」という決意だけで出来る、七則の中では「比較的」達成しやすい項目と言えるかも?

着物を着るところから、作法だ何だと色々面倒に感じることも多いお茶ですが、普段の暮らしに「寄せて」考えてみることで、理解しやすくなることもあるという例です。

今日の菓銘は「唐衣(からごろも)」。
どうしてこれをこう名付けるのかは、・・・また書きましょう。

大阪近辺の方は、週末出かけるご予定があるなら、雨に対応した準備を無意識になさっていると思います。その気持ちを利休さんの昔にあてはめる想像力を持ってみると「降らずとも雨の用意」に近づいているのではないでしょうか。


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