お出かけ ~正倉院展 2024~
近畿地方は、昨日木枯らし一番が吹いたとか。7日は立冬でもあり、秋はあっという間に過ぎ去り、冬の足音が聞こえてきました。
先日、今年の正倉院展に行ってきました。9時入場の前売券を手配したので、気合入れて早起き。Eテレ日曜美術館の放送後だったので、思いがけず予習もできていました。
今回お茶に絡めて特に興味を持って見たのは、紫地鳳形錦御軾(むらさきじおおとりがたにしきのおんしょく)と沈香木画箱(じんこうもくがのはこ)、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)。
紅牙撥鏤尺は、象牙を赤く染めた物差し(尺)。撥鏤(ばちる)とは染めた表面を削って、白い象牙地を出す技法のこと。細かい目盛りが無いので儀式用と推測されているようです。長さ30.7㎝、幅3.1㎝、厚さ0.9㎝。唐から持ち帰ったものか国内で製作されたものかは判っていないようですが、もし日本で作られたものだとしたら。
大半の人は動物園などで本物の象を見たことがありますよね。見たことが無くても、写真や映像などでその外見を知っていることでしょう。が、この時代の人は象なんて、見たことがありません。そんな中、往復命がけの航海で人が持ち帰った牙(全体でなく一部?)を職人が手にします。続日本紀によると、当時虎や豹の毛皮は使っていたようですが象の皮はありません。牙があるから実在する動物なのだろうけれど、どうして皮が無いのか、全体像や大きさもよくわからない。もしかしたら遣唐使として彼の地で本物の象を見た人から説明を聞けたりしたのでしょうか。職人は何だかよくわからないけれど、貴重で希少なことだけはわかっているものの加工をすることになるわけです。
端材や削り屑でも手に入れば、その特性を必死に知ろうとしたでしょうか(比較的加工はしやすい材のようです)。一度表面を染めると元には戻せません。長年研鑽を重ねた名工が製作に携わったのだろうか、詳細の全くわからない象とやらの牙に、これまたどこかに存在するのかもしれないけれど見たことのない麒麟や翼のある馬、花の角がはえた鹿などを描いていく時に何を考えていたのだろうか、と思いを巡らせ、後の時代、茶道具に象牙を使うようになった頃も、正倉院の時代ほどではないにせよ珍重されていた素材だったのだろうなぁと思いを馳せます。もっとも室町時代の1408年に、日本に初めて象が来た記録があるらしく、TVカメラなどは無い時代ですが、少しずつ象の造形は日本人に知られていったようです。
現代では、絶滅危惧種の象保護のため象牙輸入にもかなり制約が出来、お茶の稽古用には、安価な代替素材を使われることが多くなっています。時代の変化を含め、象牙の宝物一つで様々なことを考えさせられます。
御軾(おんしょく)は肘置きですが、内部に藺草を編んだ畳表のようなものも使われているようで、これまた一人で妄想。二月に出土したばかりの聖武天皇の大嘗祭に関わる木簡の展示も別会場であり、今年も満喫してきました。
今日の菓銘は「梢の錦」。
紅葉便りも聞かれるようになりましたが、季節が早足過ぎて気持ちが追いつていません。
来週は少し気温が戻るようです。着るもの、布団など悩ましい時期ですが、どうぞご自愛ください。
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