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平安時代を観察③-2
お盆の今週、場所により地震や台風で、当初の予定を変えた人もいらっしゃるでしょうか。近くのスーパーでは、2Lペットボトルの水とパックごはん6個セットの在庫が無くなっていました。購入数量制限があるから、皆さん6個セットで買おうとして無くなり、それでいて3個セットは残っているという・・・。
さて、奈良の正倉院には遣唐使が持ち帰った宝物が多数現存しており、その頃既に今の中国からの文物が珍重されていたことがよくわかります。平安時代にも引き続き、香や薬、毛皮、布帛、紙、墨などが持ち帰られており、承和6(839)年の遣唐使の時、初めて「唐物」という言葉が文献上に観られ、太宰府に唐物を買い付けにいく役人である唐物使の開始が貞観5(863)年だとか。当初、唐物は朝廷が独占したり、先買権を行使していたようです。
遣唐使が菅原道真の建議により寛平6(894)年に廃止されたということはよく知られていますが、これはいわゆる朝貢使を送ることを止めただけで、その後も交易により物や情報は入ってきていました。また、唐や宋からの直接の流入だけではありません。高句麗の後裔として「高麗」を名乗り、国交を求めて来た渤海(698~926)との交易が平安初期にはまだあり、唐の文物の中継貿易もしていたようです。「源氏物語」は書かれた1000年頃より50~100年前の醍醐・村上天皇の時代を舞台にしているのではないか言われますが、桐壺の巻で高麗人が光源氏の人相見を行い、作った漢詩を褒めて、素晴らしい贈り物を差し上げるというくだりがあります。この際に、もらった贈り物が、後に娘の明石の姫君が入内する際(梅枝巻)、彼女の箔付けに使われます。唐物の威力がうかがえます。
この明石の姫君を上回るのが若菜上巻での女三の宮。「唐土の后の飾りを思しやりて」というくらい豪華な準備をしたことが描かれています。身の周りを飾る品で財力・権力を明示するわけですね。
今日は「光源氏が愛した王朝ブランド品」(川添房江著、角川選書)を結構参考にしました。お茶に直接関係しませんが、読み物として面白かったです。上記の渤海の特産品である毛皮の中の貂(てん)皮はいわゆるロシアン・セーブルであろう、これは渤海との交易が盛んだった頃は男性用の防寒着としてもステイタス・シンボルとしても求められたが、渤海との交易が終わって数十年経つとさすがに時代遅れになっていく、これを末摘花が大事そうに着ていたから、光源氏もたしなめたのだろう、など物語の背景がより楽しめるようになりました。
今日の菓銘は「宵花火」。
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そろそろ夏も終わりでしょうか。
お盆の仕事や休暇の予定が大きく変わった方もいらっしゃるかもしれません。ただでさえ暑いだけで疲れる時期ですが、どうぞお大事になさってお過ごしください。