ハンドパワーというのはある。 という話を友達とする おにぎりを素手で握ったほうが良いなど。 いまは亡き母親のおにぎりは本当に美味しかった。ご飯がぴかぴか光りにぎり方も硬すぎず柔らかすぎずフレークとかじゃないきちんと焼いて大き目に解された鮭がごろごろ入っており、いい海苔がゆったりと巻いてある。 息子もその美味しさを覚えているし 父親など母亡きあとおにぎりを封印している笑 わたしも似せて作っても全然違う。(とりの唐揚げは母にチャネリングしながら作ったらモノにできたのだが…) ああ
僕はこう、いやわたしはこうだという考えかたの次元を遠く飛び越えて けれども誰のことも置いていかないという大きくあたたかな存在になれないものだろうか。強いていうなら自然のような山のような
最近、ミシンを踏むとき服部みれいさんや占星術のマドモアゼル愛先生の動画を聴いたりするのですが、「親との関係性」で母を殺す、と言うような激しめな言葉が出てきます。実際のお話じゃなくて、概念上のことだと思うのですが。 わたしは、いままでで「あれが、そうだったなー」と思う時が15年前にあります。もちろん母親は当時健在でどうしてそうなるの?と言うほどに母親が反対方向に変わってしまい、(母も問題を抱えていたりしました。)それにわたしは猛反発し、自分を守るために離れました。周りにとても