グランベルム7話 巨大ロボがロボットである意味をちゃんと利用してすごい!
前回の記事ではグランベルムというアニメを女女巨大感情百合バトルアニメとして紹介した。実際そのとおりだし7話で炸裂した巨大な感情は凄まじかったが、その前にグランベルムはロボットアニメであるという前提で、ロボットアニメ的な部分として語りたいし ロボットアニメが好きと名乗りながらグランベルムを見てない連中にも届くように書いていきたい。
巨大ロボット兵器のメリットとは何か、超能力バトルや魔法バトルとは何が違うのか!という話を論点にするとロボットというのは機械であり機械は壊れていない限りスイッチを入れれば100%のパフォーマンスで稼働することに意味がある。
マジンガーZはスーパーロボット作品の元祖にしてそのことが最も意識されてると言えるかもしれない、中に載っている兜コウジの体調がどうであってもスイッチを押した後に出るロケットパンチの威力に変化はなく、滞りなく機械獣をぶちのめす”機能”であり、ポーズをとらなくてもスイッチさえおせばその武器は飛び出る、マジンガーZインフィニティはそれを最大限に生かしたアニメ映画だったと思う。
ガンダムもそうである、アムロの気合が足りなかろうがビームライフルの威力はいつも同じだ、スイッチを押せば戦艦の主砲並みの威力を持ったビームがいつでも飛び出てくる、シーブックの意思に関係なく強すぎるV.S.B.RはMS二体を貫通する。
一方グランベルムはロボットアニメではあるが魔術師のアニメでもある、魔術満たされた異空間マギアコナトスで、己の分身を魔力によって作り上げる行為によって成り立つ巨大ロボット『アルマノクス』を操る少女達の物語であり、その機能も能力も魔術師としてのイメージ力が直結する。
「じゃあ序盤の説明なんだったんだよ」と思うかもしれないがグランベルム7話の戦いで勝敗を分ける決定打となったのは「意思」ではなく「機能」であったことが衝撃的だったという話をしたいのだ。
1話から6話までのグランベルムでのロボットバトルは意思や思いなどによる魔術のパワーアップ、未知の力による主人公の暴走などによって試合が盛り上がった。
じゃあ7話はどうだったのか、エルネスタへの執着心と嫉妬心を炸裂させ、フーゴの魔石によりどんどん強力な力を発揮するアンナのアークナイトグリスが「気合で強くなる」ロボットバトルを象徴するかのように加速していく中で、対戦相手であるエルネスタのヴィオラカッツェは「防御不可能な攻撃は全て避ける」「わざわざ魔術を使わなくても蜃気楼が発生しやすい空気の状態を察知して小さな魔術で翻弄する」などの基礎技術のみの戦いでパワーアップしたアンナを追い込んでいく。
そして戦いの最後、不意打ちによりエルネスタの動きを封じ勝利を確信したアンナを背後からヴィオラカッツェの尻尾が貫く。
このヴィオラカッツェの尻尾がアークナイトナレータを貫くシーンこそこのアニメがロボットアニメたる象徴的なシーンだったと思う。
首を絞められ動きを封じられたエルネスタが指先を動かしただけで所定のモーションとして尻尾が駆動し相手ロボットのコアを突き刺す。
「載っている人間の状態に関係なく指定のスイッチが押されれば所定のモーションが行われる」という戦闘ロボットが戦闘ロボットたるものが詰め込まれたシーンであり「その機能をどのタイミングで使うのか」ということがエースパイロットの条件なのだ。
ただグランベルムというアニメがこれまで主人公の「何の背景も無いのに思いを背負った相手を打ち倒せる」というアニメとしての別側面をメインヒロインである新月の「思い意思の力でパワーアップした相手を 状況判断と元からある機能だけで倒す」という身も蓋もない強さで踏み倒して行く悲しい姿と 新月本人の「そのような強さを持っていることが悲しい」という思い。
魔術師のアニメであり、ロボットを動かす力は「イメージと意思」と説明されながらメインキャラクターの勝利はいつも「相手の意思や思いと無関係にただひたすら強いこと」である虚しさを兼ね備えたグランベルムの興味深いメカ戦闘、この「思いの力という補正を全て無視して勝ってしまうことに特化した二人」がぶつかりあうことになったらどんな戦いになるのか
「これロボットアニメの意味ある?魔法少女で良くない?」的な意見を参照したので、グランベルムがいかに「ロボットアニメであることを生かしているか」という話をさせてもらいました。
筆者は「パイロットの気合に関係なくスイッチを押したら所定の威力で所定の攻撃が出てしまう」ことを描かれるのが大好き(もちろん気合も大好きだけどね)なのでグランベルムのロボット足る意味をお話しました
8話以後が楽しみだね!!!!
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