【恋するリコーダー】本村睦幸さんからリコーダーを教えてもらう (2)
クラッシックってプチブルの音楽でしょ
ちっこいおたまじゃくしがいっぱい並んでいるアレ、アレが苦手になったのはいつだったか。たぶん小学生の時だと思うんだよね。ま、音楽の授業なんかいい加減だったからさ。ピアノを習っている子しか楽譜なんか読めなかった。昭和の話だよ。
音楽は私にはめっちゃハードル高かった。おもちゃのピアノしか持っておらん。私の暮らした田舎町でピアノが弾ける子は医者の娘か、お寺の娘で、音楽ってのはお金持ちのステータスだった。
音楽は嫌いじゃなかった。8歳年上の兄がいて、兄は洋楽好きのステレオマニアで、いろんなレコードを持っていて、すんげえ大事にしていて、触るとぶたれるんで、こそっと盗み見したりした。60年代のロック、サンタナとか聞いてた。ザ・バンドのレコードもいっぱいあったな。そのうち、ジャズにのめりこんでいって、スイング・ジャーナルが本棚にずらっと並んでいた。古いバックナンバーから集めてあった。
だけど、兄が自死した時、怒った父が兄の葬式の翌日に兄の遺品を全部、廃品業者に売ってしまった。実家の家も売ってしまったし置き場所もなかったろうけれど、ちょっと悲しかったな。兄があんなに大事にしていて、あれは兄の青春だったと思う。
戦中派の両親と、戦後生まれの子どもたちの間には埋めがたい文化的溝があって、兄の趣味は全く父母に理解されなかった。ま、私も似たようなものだ。でも読書家で音楽好きだった兄の影響をちょっとは受けていると思う。
クラッシック音楽は、苦手だった。……つーか、まるで興味なかった。リアルタイムで、Queenが青春だった世代。クラッシックって、めっちゃプチブルなイメージ。深窓の令嬢がお部屋でお紅茶をいただきながら聞くもの……みたいに思っていた。
私は歌が下手だ
その頃に気づいたことがある。「わたしは歌が下手だ」ということ。伸びやかで美しい声が出ない。詰まって鼻にかかったような声、滑舌も悪い。その頃、私の歯並びは最悪で、口の中は虫歯だらけだった。なので口をなるべく開けないでしゃべる癖みたいなのがついてしまった。若い頃はいつも口を押さえてしゃべっていた。
本ばかり読んでいたので姿勢も悪かった。運動をしない文科系オタク女子だった私は猫背でアゴを突きだして歩いていた。そのうえADHDで落ち着きがなかったので、じっと立っておれず、あっちへふらふらこっちへふらふらと揺れ動く。今思えば、まったくイカサナイ女子だった。で、声はデカイのだが歌うと音程が取れないし、自然な発声ができない。
それは現在もそうだ。自分の歌声に違和感があり、なんかこうどこかに空気が引っかかってすーっと声になって出ていかないなあ、というストレスがある。にびやかに気持ちよく歌える人がうらやましい。
……という、様々な要因から、音楽にお近づきになることがなかった。音楽は嫌いじゃないが、だからって仲良くしたいとも思わないわ。私には文学があるし、演劇だってあるし、そうよ、音楽がなくても生きていけるの……って感じ。
物語は欲望から始まるのだ
リコーダーレッスンの打ち合わせ時に本村さんから「楽譜が読めたほうがいいです」と言われ、キターと思った。
「シャープとかフラットとかぜんぜんわかんないです」
「大丈夫ですよ」
(それは本村さんがプロだからそう思うんですよ、そもそも本村さん中学の頃からリコーダーの魅力にハマって始めたそうだし、ヨーロッパの音楽学校に留学しているし、なにより本村さん東大出じゃないですか!私は自慢じゃないけれど、電卓がないと四則計算ができませんので)
……ってなコンプレックス丸出しな感じの心の声を無視して、私は平然と答えていた。
「リコーダーを習うなら、やっぱりバロックが吹きたいです」
何を言ってるんだ〜、私は。バロック知ってるだろ、アレ、超難しいぞ。しかし私の口はひゃらひゃらと語り続ける。
「バロック大好きなんですよねえ……」
「そうですか、すばらしい。でしたら楽譜が読めることが前提ですから、がんばってください。大丈夫すぐ読めるようになりますよ」
(ウソだ。ウソだ。すぐ読めるようになるならみんな音楽家になってるだろう!)
野望を持つ。これは私の職業的な癖なのだ。私の職業は小説家である。いまやほとんど小説など書いていないが、たくさん書いてきたことは事実なので、小説家と定義する。小説とは、なにか?
それは主人公がなにかしらの野望をもち、その野望を達成するためのプロセス、なのだ。
恋をしたい、あの男とヤリたい、就職したい、出世したい、子どもが欲しい、復習したい、優勝したい……なんでもいいのだ。
主人公は欲望を持っていなければならない。素人の書く小説は、そもそも主人公の欲望が曖昧だからつまらんのだ。まず欲望ありき!この大原則をわかっておらんで小説は書けん。欲望を持たなければ物語は始まりようがないのだ。欲望が達成されるかどうかは問題ではない。そのプロセスにおいて主人公がすったもんだしつつ、意識変容が起きる、それが小説なのだ。
なので、私はつい、自分の人生の主人公である自分にまで欲望をセットしてしまいがちなのである。そうしないと物語が進展しないからだ。
リコーダーでバロックを演奏したい!
物語はこれでスタートする。いやいや、実人生に当てはめなくてもいいだろう、と思うのだが、癖なのである……。