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『 恋するリコーダー』・本村睦幸さんからリコーダーを教えてもらう (12)


■フレーズって何ですか?

あれ、最初の音がわからない?
焦った。あんなに練習してすらすら吹けたのに、先生の前に出ると音が飛んでしまった。
もしかして、私は緊張している?
最近、緊張する……という体験をしていなかったので、もしかしたらもう人前では緊張しないのかも、と思っていたけれど、やっぱり緊張するんだ。
「すみません、緊張しているみたいです」
いつもならオンラインの画面のなかにいる本村さんに汗をかきつつ謝る。
「うまく吹かなきゃと思うとかえってできないものですから」
ガーン、そうだ、私はいま「うまく吹かなきゃ」と思っているのだ!そうだった、この感じは昔むかし小学校で先生に指名された時のアレだ。

先生は指名する前から「こいつにはわからないだろう」という態度で、ほかの人よりも簡単な問題を出した。その先生の雰囲気を読むと「こんな簡単な問題」と思うのに、なぜか間違う。自分が何をやっているのかわからなくなる……その、大昔の記憶がまだ自分を支配しているんだなあ。

うーむ。三つ子の魂百まで……とはこのことか。恐ろしい。

「早く、楽しくならなきゃ。ここは学校じゃないんだから」
……と焦るほど、トチる。あれ〜?
なんでここで間違うの? いつもすらすらできるじゃない?

「本村さん、あの、立って吹いてもいいですか? 座って吹くと緊張しちゃうんです」
「いいですよ、発表会の時は立って吹きますから」

椅子から立ち上がる。あ、なんか落ち着く。座るの苦手なんだよね。椅子に縛りつけられているみたいで。なにしろADHDだからじっとしているのが超苦手。

この日は高田馬場のレッスン場で、先生と二人でリコーダーの二重奏を。私のメロディラインに先生がハモってくださるという、なんとも楽しい練習。……なのだが、いきなりハモるってちょっと心理的なハードルが高い。

だって普段は一人で吹いているからね、そこに別の誰かの演奏が重なってくるわけです。音が二重に聞こえると自分の音が自分の音じゃないような気がして、覚えていた音が不安定になり消えてしまう。

あ……音がなくなっちゃったよ……あれ、次の音はなんだっけ?

一人で淡々と自分のメロディを吹けばいいのだが、やっぱり相手の音も聞いてしまう。面白い。最初は二つの音は分離していて、めっちゃ違和感。

何度も続けていくと、だんだん別々だった音が溶け合って、自分の音も相手の音も一緒になると自分の音を見失わないどころか、相手の息に導かれるようになっていく。息が合ってしまえばこっちのものなんだ。

次の運指はレだ……みたいに、意識してしまうと、そのとたんに二つの音が分離して自分の居場所を見失う。面白い、ハモるというのは無心になること、無心になりながら自分の居場所に立つことだ。気持ちいい居場所に立っていれば、どう吹いていいのかわかる。
でも、一瞬でも見失うと、がたがたっと崩れてしまう。

うわーーーー、この快感は癖になるなあ。気持ちいい。もっと子供たちにリコーダーでハモることを教えたら、きっと人を信じる大人になるような気がするな。
……なんてことを考えてしまうと、ブレる。しまった。

「息つぎの場所がちょっと違うんです。ここではなく、ここです」
え、息つぎ?
「ここで切ってしまうと、言葉の途中で息つぎするような感じになって、フレーズが壊れると思いませんか?」
……えっと……、あ、このラテン語はここで終わるのか……。なにしろラテン語なんでよくわからなかったけど……ここで切れてはダメなんだな。
しかし、一度身に付けてしまった息つぎのタイミングがわからず、どうしてもここで引っかかってしまう。何度も繰り返して25分経過。

ふー。いつも、息継ぎとかリズムとかでひっかかっちゃうなあ。難しいな。音を吹けるだけじゃダメなんだな。

帰りに「本村さんが演奏で一番大事だと思っていることはなんですか?」と質問してみた。本村さんは「フレーズですね」と即答。
「フレーズって、なんですか?」
素人のいいところはこういう根本的な質問ができることだ。
「フレーズというのは、文章と同じです。音の連なりです。変な場所で言葉を切ると変な文章になるでしょう? 音楽もそれと同じです。フレーズを理解しているかどうかが演奏では一番大事です」
「じゃあ、音はどうですか? きれいな音でうまく吹けるというのは?」
「音はその人の音でいいと思います。朗読と同じです。その人の声でしっかりと意味が伝わればいいんです。朗読をするように吹けばいいんです」

これは目からウロコだった。一応、文学者だから朗読もやる。朗読というのは、実に奥が深い。たとえば朗読がうまい……というのはきれいな声でアナウンサーのようにできればいいってもんじゃないのだ。お手本となる朗読は確かにアナウンサーみたいな朗読だけど、あれは味がない。

たとえば、大宰治の小説を津軽弁で朗読する人がいる。この朗読がすごくいい。津軽弁の独特のリズムでパッションが伝わる。でも、フレーズはしっかりしている。フレーズはことばとことばの連なりだ。ことばの複合だからそれぞれの言葉がよりかかりあって成立している。
名詞、助詞、動詞、それらがはっきりと聞き取れなければ、聞き手は何を言われているのかがわからない。それらは、独特のリズムと息とイントネーションで表現されている。
言葉のそれぞれがはっきりと伝われば、どんな声であろうと、何弁であろうと、それは個性となる。

なるほど、音楽も大事なのは「フレーズなのか!」

じゃあ、音符は「ことば」であり「意味」があるのだ。音から音へどう移動するか、そのグラデーションの中に「音楽のことば」が潜んでいて、それを読むのが楽譜を読むってことなのか?
なるほど……。楽譜が頭の中で音読できれば、曲想が掴めるわけだね。

新鮮なショックと驚き。
二重奏をするときに、フレーズ理解が違っているとそりゃあ気が合わなくなっちゃうよね。違う意味のことを二人で奏でているみたいな感じになっちゃうし(笑)

もう一度、フレーズを読むという意識でもって楽譜を見直してみよう。
発表会まであと3週間だ。


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