治 神
手が汚れている。
何度も洗っているのに、今日の手は汚れている……そう感じた。物理的に清潔なのに、なぜ汚れているように思えるのか。不可解だ。
きれいだと感じる日もある。血色のせい? 湿気や乾燥の度合いだろうか。すっきりとして曇りがなく、清々しい手。
「よし!」と思える手の日もある。
昨日、今日と自分の手が気に入らない。なんだかすっきりしない。よく洗ったし、クリームをすりこんですべすべにもしてみたのだが、くすんで感じる。爪も切って磨きもかけたが、濁りを感じる。
おととい、友人が切診の練習台になってくれた。切診とは相手の身体に触れて体表を触察することだ。鍼灸治療も含め東洋医学にとって切診はたいへん重要で、切診によって体表から多くの情報を得る。
腹部を触らせてもらった時、ふと「なんだか今日の手は濁っているな」と感じて、手を洗った。手が冷たくなったので相手は「ひー冷たい」と言う。アウトだ。冷たい手で相手に触るのはノーグッド。しかし、濁った手で触るよりはいいかと思った。
洗ったのだが、手の濁りが消えたようには思えず「少し爪が伸びて不格好だからか?」と思いつつ触察を続けた。
一人になってから、しみじみ手を見た。いつもの手だ。
……でも、なんだか濁って感じる。気持ちが悪い。
爪を切って、磨いた。ていねいに角をとって、形もそろえた。少しマシになったような気がした。……が、どうも気にくわない。
そうだ、と思い本を広げた。確かこの本のどこかに「手のつくり方」という項目があったはず。鍼灸の名人・藤本蓮風先生が監修した「鍼灸臨床能力 実践編」(緑書房)は、いつも一番目につくところに置いてあり、繰り返し読んでいる。
勉強のためではない。面白いので読んでいる。私にとっては最高に面白い。無人島に行くなら持っていきたい本だ。なにが面白いって、書かれてあることすべてにおいて目からウロコなのだ。
さて、「手のつくり方」は283ペエジにあった。
まずは、理想的な手指とはどういうものかが具体的に書いてある。うーん。自分の手はあまり理想的とは言えない。指先が貧弱だなあ。
本書には、「多くの患者を誠実に治療していく」ことで、だんだん理想的な手指になっていく、と説かれていた。
……確かに、以前にセルフタッチングを教えている、中川れいこさんと手をつないだとき、ふわふわの手にびっくりしすぎて手を引っ込めてしまった。「こんな、赤ちゃんみたいな手!どうして?」
「たくさんの人に触れていると、自然とこうなるんですよ」
……そうだな、私の手はいま血色がよくない。手からして血の巡りが悪そうだ。
可笑しくなった。ようするに自分の不健康ぶりに自分がうんざりしているということか……。この濁った手で誰かに触れるのはどうなんだろうか。相手に申し訳ない気がする。できれば、もっとスカっとした爽やかな手で触りたい。
読み進んでいくと、理想的な手になるための練習方法が書かれている。
えーっ? そういうこと?
本書には、手をつくるために「合掌」するようにとあった。そして、「(合掌することは)術者の治神にも役立つ」と。
意外だった。合掌かあ。それが手をつくる訓練とは。
そして、治神……。この治神という言葉に初めて気がついた。これまでも読んだことがあるのに、なんでこの言葉に立ち止らなかったんだろう。
治神って……なに?
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