Wandering North/漂泊の思いに導かれて
Wandering North
昨年は長期UKツアーに出かけたが、今年は国内に目を転じて、奥の細道ツアー(もちろん全部じゃありません、つまみ食い😅)を検討。
5月中旬、芭蕉の出発時期(旧暦では3月)にある程度合わせて、深川から千住へのクルーズを調べたら1ヶ月に1便しかなく、しかも5月の便は既に終了していた。
6月に入ると一気に猛暑となり、炎天下を歩くなど危険がいっぱいなので、あっさり断念。
今回、大人の休日倶楽部パスを利用したツアーの敢行にあたり、芭蕉に縁の地を有る程度は訪問し、多少は文学的色彩も添えてみんとす。
松島ではクルーズすることを決めていたが、遊覧船では趣がない。
芭蕉翁にならい陸路(仙石線)は塩釜まで、そこからは船を借りて(丸万松島汽船の定期船あり/1時間に1本)松島を目指す.
名前は東北新幹線と同じ「はやぶさ」だが、搭乗人員は90名程度の小さな船で、実乗員客は10名に満たない。
横を大型線が通ると大きく揺れてちょっと不安だったが、曇り空も少し晴れてくる中、細かい説明を聞きながら左右に見える島の説明を見ていると、あっという間に45分がすぎ松島の埠頭へ。
芭蕉が上陸したという雄島の磯に着くのは無理なので、埠頭からまずは雄島へ。
向かいに泊まっている遊覧船は雄に300名程度は乗れそうな大型船なので、芭蕉気分を味わうには塩釜ー松島定期小型船に乗ったのは良かったなと思ふ。
徒歩10分程度で到着。岩でできた小島で、そこここに修行のため、掘ったり彫ったりした跡が残っていて、巨石(ではないが)石の文明の名残りのような。
訪れる人も少なく、霊気を感じてちょっと気味が悪い。
警戒心を保ちながら島内の狭い道をひと回り、木製のプレート「奥の細道」や風にさらされて判読困難な句碑を確認する。
その後、海に向かって設置されたただ一つのベンチに座って、海からやってくる芭蕉や曾良を思い浮かべてみる。
翌日は仙台から平泉へ。新幹線は概ね1時間に3本だが、うち2本は盛岡までノンストップ。一関に泊まるのは1時間に1本。
一関までの所要時間は30分で、一関から平泉までは2駅7分。ところが在来線も1時間に1本で、一関で30分の待ち合わせ。
公共交通機関が1時間に1本の世界には慣れていないのでちょっと戸惑う。
平泉駅で下りると飲食店が2店(だけ)あって、ラーメン屋と蕎麦屋が並んでいる。
蕎麦屋の方が「芭蕉亭」。観光客に人気があるようだが、営業終了時間は15時。ラーメン屋はそれより早くて14時。着いた時には既に終わっていた。
歩いて宿に向かう途中で、何人か集まって何か作業をしている。農作業かと思ったら、さにあらず。遺跡の発掘作業でした。ここらはまだまだ遺跡が眠っているそうです。
1日目は毛越寺へ。ここは建築物は殆ど消失しているので、池を中心にデザインされた瑠璃浄土を感じることが主目的。
なぜか「夏草や兵どもが夢のあと」の句碑があるどころか、新渡戸稲造による英訳の句碑まである。
よんだのは高館なんだけど、なぜここにあるのか?1989年に設置されたということなので、観光価値アップの為なんでしょうか。
2日目は中尊寺を目指して歩き始めるが、途中、金鶏山への道を示す標識があった。
藤原三代の栄華の500年後に訪れた芭蕉翁が、金色堂ですら荒れ果てていた世の無常を嘆き「金鶏山の他に残るものなし」と称した場所だが、標高99mということで舐めて登り始めたが、その急峻さに遭難寸前。
何とか無事に下山して中尊寺へ。
有料となる金色堂のすぐ横に、「五月雨を振り残してや光堂」の句碑かあり、旧履堂の横には芭蕉の立像があった。
月見坂を降りていく途中では、芭蕉の先達でる西行の句碑を確認。
坂を降り切って義経最後の地である高館義経堂へ。この場所でよまれたという「夏草や兵どもが夢のあと」のオリジナル句碑を確認。
今回の芭蕉翁の後を追う旅はここまでで。