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Farewell My Lovely in Cinemas


週末にチャンドラー関連本をパラパラと見ていたが、その中の映画化リストに基づき、何本か製作されている「さらば愛しき女よ」を配信、Youtube、SNSなどでざっくりと鑑賞。

なんとも便利な時代になりました。

以下作品名の後ろは、フィリップ・マーロウ役、ムース・マロイ役を演じた俳優です。(1はFB、2はPrimeVideo、3はU-NEXT、4はYoutube)

1.”The Falcon takes over”(1942) George Sanders/Ward Bond
2.”Murder My Sweet”(1944) Dick Powell/Mike Mazruki
3.”Farewell My Lovely”(1975) Robert Mitchum/John Ireland

0.”Time to Kill”(1942). Lloyd Nolan as Michael Shayne
(こちらの原作は”High Window”)

1942年に0と1が公開されているが、0は主役の名前がまだマクシェイン名義、1
に至っては、Falconという探偵がニューヨークを舞台に活躍するシリーズもの(1941-1946にかけて13本製作)の原作として(しかもかなり改変されて)使われただけで、チャンドラーやマーロウというブランドに頼って作られた作品ではない。

これは、チャンドラーが、1930年代はまだ、生活のために探偵雑誌(Black Mask)に短篇を売ったり映画の脚本を書いている売文家で、作家としての地位を確立するのは、1939年刊行の”Big Sleep”を嚆矢として、「さらば愛しき人よ」、「高い窓」、「湖中の女」、「かわいい女」とお行った長編調節を続々と発表していく1940年代だったということによるものだろう。(ちなみに最高傑作とされる「長いお別れ」は1953年刊行)

従って、チャンドラー/マーロウの映画化作品と名実ともに言いうるのは、2から。タイトルが”Murder My Sweet”という恐ろしげなものになったのは(日本版は「ブロンドの殺人者」でネタバレの恐れもある)、主演のディック・パウエルは歌うスターであったため、小説の原題では甘過ぎるとの製作会社の判断によるもの。

公開後のディック・パウエル版マーロウの評判は上々で、チャンドラーも合格点を与えていたらしいが、4年後に名匠ハワード・ホークス監督、ハンフリー・ボガート、ローレン・バコール主演の「大いなる眠り」が公開されるに及び、ボガート=マーロウとのイメージが確立する。

その影響もあったか、50-60年代はマーロウ作品の映画化は手控えられるが、70年代に入り、ニュー・シネマ・ムーブメントを経て、映画の取り扱う素材や表現方法が多様化したことに伴い、再びマーロウ作品の映画化が試みられるようになった。

まず、エリオット・グールドのマーロウが1973年に(「ロング・グッドバイ」)、次いでロバート・ミッチャムのマーロウが1975年に(3の「さらば愛しき人よ」)登場する。

およそ30年を経て製作された2と3では、人種と性の取り扱いが大きく異なる。

原作ではムース・マロイが恋人(情婦?)ヴェルマと知り合ったのは、ロサンゼルスはセントラル・アヴェニュー40丁目あたりにあったと想定される「フローリアン_という店だが、この辺りは南に1965年の暴動で知られるワッツの近傍であり、1930年代はじめに大暴落(ブラック・サーズデー)の影響で白人が逃げ出し、中旬には概ね黒人街になっている。

しかしながら、黒人と白人の隔離政策が当たり前だった1944年の作品では、白人の店として描かれている。

また、原作にあった市当局の汚職やベイ・エリア沖での戦場賭博の場面もプロットからは省略されている。要するに原作にあった社会的背景はカットされ、あくまでマーロウとマロイの友情と個人としての邪悪・欲望としての枠組みがしっかりと存在するわけだ。

これに対し、1975年の作品では、「フローリアン」はしっかり黒人のみの店として描かれており、事件の犠牲者となるトランペッター(白人)が黒人の妻との間に生まれた少年との友情が、マーロウを動かすモチベーションとなっている。

単なるラケッティア(密売種業者)でマーロウを薬漬けにするアムサーは、75年版ではでっぷりと太った売春窟の元締めとなっている。 

もちろん女性の裸もたっぷりとスクリーンに出てくるが、ここのチンピラ役にブレイク前のスタローンが出演している。

賭博船をめぐる汚職や船上での活劇もきちんと描かれていて、70年代の作品らしく社会性が十分に盛り込まれて、原作の深みを44年版よりも的確に表現している。

1941年の4月から7月にかけて記録されたジョー・ディマジオの56試合連続ヒットの始まりと終わりが、この事件にシンクロするエピソードとして挿入されているが、ディマジオの記録が途切れたことを伝える新聞の一面にTOKYOという大きな見出しが出ているように見える。

1941年7月は日本が南部仏印への進駐を実行し、アメリカは報復措置として石油の対日禁輸や在米日本資産の凍結するなど、12月の開戦を決定的なものとする上で重要な月でもあった。

最後に、ムース・マロイ役としては、44年のマイク・マザーキ(もしくはマズルキ)が最も適役。身長198cmの巨漢レスラーで、力道山時代に2度来日している。出演シーンも多いがなかなかの演技力であった。




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