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追憶の1965年 revisited

巷の噂は2月末に公開されるディランの伝記映画「名もなき者」(“Completely Unknown”)で持ちきりである。

関連の情報もたくさん出ているが、7日付けのNew York Timesの”Amplifier"というニューズレターでは、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルはディランだけではないぞ、落ち着いてこちらも聴けと。


ディランの”Maggie’s Farm”に加えて、オデッタやポール・バタフィールド・ブルーズ・バンド、ピート・シーガー、ジョーン・バエズ、PPMなど全15曲のプレイリストが公開されている。

.この記事を書いているJon Parelesさん(NYTのチーフ・ポップ・クリティックという肩書き)によると、「名もなき者」でのクライマックスは、1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルでディランが初めてエレクトリック・セットで演奏するシーン。

一般的には、大変な衝撃を観るものに与え、大きなブーイングを浴びてディランはステージを降りざるを得なかったと言われているが、当時の状況をきちんと踏まえるならば、全く予想し得ないことではなかったとのこと。

この年の3月にディランはエレクトリック化の先駆けと言われる”Bringing it All back Home”をリリースし、6月中旬から4ヶ月以上、ビルボードのアルバム・トップ10に入るヒット作となった。

当日3曲(しか?)演奏したエレクトリック・セットの1曲目は、このアルバムに収められていた”Maggie’s Farm”。

また、このアルバムからシングルとして発売された”Subterranean Homesick Blues”は大ヒットとは言えないが、5月にはトップ40内に入っている。

さらに、この日の2曲目”Like A Rolling Stone”は、フェスの直前に発売されトップ100にチャートインしたところ。

翌月にはこの曲を含む”Highway61 revisited”が発売され、シングルは2位、アルバムは3位まで上る大ヒットになるわけで、エレクトリック化しつつあることは、多くの人にとって予期しうるところであった。

問題は、このニューポート・フォーク・フェスティバルというイベント(1954年に始まったジャズ・フェスに対抗する形で1959年に始まった)の趣旨。


地域や仕事、信仰を通じて培われた共通の経験をベースに形成されたコミュニティによるコミュニティのための音楽というものが理想。

演者も聴衆と同じレベルに立って、共に歌うスタイルを良しとし、スターシステムに対する強い嫌悪を持っていた。 

そういうエートスを強く持った一部の聴衆(しかしフェスの理想には忠実な聴衆)が強く反発をしたのではないか、ということらしい。

そういえば70年前後に、フォークであれロックであれ、商業的に成功をおさめた(またはおさめそうな)アーティストに罵声を浴びせ、石、とは言わないがモノをステージに投げ込むようなことを良しとするような空気は、確かにありましたね。


ということで、15曲を聴いて1965年ニューポート・フォーク・フェスティバル全体の雰囲気を味わった後は、1965年全体の雰囲気を味わおうということで、代表的なアルバムを10枚ほど選んで聴いている。


もちろん、1965年といえばこちらはまだ小学3-4年生なので記憶がしっかりしているわけでもない。

1965年だけを特集した資料も持ってないので、「60年代のロック・アルバム200」(レコードコレクターズ2022年5月号)から、1965年に発表された作品を抜き出したら、10枚ちょっとだったのでこれを採用。


65年というと、ビートルズでは「ヘルプ」から「ラバーソウル」に変化していくものの、まだまだアイドルの時代というイメージだった。

フーであれ、ヤードバーズであれ、ソニックスであれ、こんなに激しい音を出していたのかということに改めて驚く。

どんなに激しいムーブメントもいきなり世界を覆うわけではなくではなく、それ自体としては胎動に過ぎない変異が個別に起こり、それらが累積した結果、爆発が起こるということなんでしょうかね。

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