好きなものについて
僕が今、熱中というか、興味を惹かれているものはふたつある。
そのうちのひとつは、知っている人も多いであろう、とある「クイズ集団」と称される方々だ。
彼らに迷惑をかけることはさる事ながら、彼らのファンを名乗ることは烏滸がましいという理由から敢えてここでは名称を出さないけれど、彼らが僕の尊敬する対象であり崇拝する対象であり、人生の指針と成りうる人達であることは確かだ。
というのも、今僕は大学生などではなくフリーターとして毎日を過ごしているけれど、1年前に出会っていたらまた変わっていたのかなぁと度々思うのだ。
「努力が大事」
「結果が大事」
「目指すだけはタダ」
こういう言葉を口にする大人は多い。
僕の周りにいる先生や上司もそうだった。
けれども僕はひねくれ者で、それを真っ直ぐに受け取ることなんて出来なかった。
真面目に進路を考え始めてからでは既に遅くて、自称進学校とやらのランクの高校に在籍していたものの夢を叶えるには成績も出席も足りなくなっていた。
目標である職業に就くための道のりは遠く、できる方に可能な選択肢にと妥協を繰り返した結果、とうとう見失ってしまった。
やりたい事とはかけ離れた所にしか行けないことがわかった。
当然モチベーションも落ち、受験の現実味もなくなって、高校3年の夏には進学しない事を決めた。
何度も進路指導の先生に呼ばれながら、出席が足りないかもしれないことを教科担任の先生に言及されながら、なんとか卒業までこぎつけたくらいには僕は落ちていた。
落ちていた、というものの自分ではそんな感覚なんてなくて、むしろ先が見え過ぎている不安から解放された気でいた。
卒業してから暫くして、コロナウイルスによる自粛期間に入り、YouTubeを見たりネットサーフィンをする事が多くなった。そこで出会ったのが彼らだった。
元来僕は物事を考えるのが好きだったし、新しいものを知るのもまた好きだった。
色んなクイズ沢山あって、プレーヤーそれぞれのアイデンティティや知識が光る動画達にのめり込んで行ったのも必然だった。
また僕が好きなもののもうひとつと違ってファンの民度もとても高かったこともその世界を知っていく僕の背中を押してくれた。
然し矢張り、それを知っていけば知っていくほど自分の至らなさを痛感していった。
努力して努力して、苦手なこととも向き合いながら日本で1番の肩書きを持った彼らのファンになるには僕はあまりに怠惰だと頭の端にいつも引っ掛かっていた。
僕は、自分は努力など出来ない人間だとずっと思い続けている。
これは僕が以前「努力していた」ことに対して振り返ってあれは努力なんて名前を付けるべきでは無いと感じたからだ。
勉強もスポーツもその他のこと全て、周りのみんなが当たり前にやっていることが人並みに出来るように引き上げたに過ぎないと自分では思う。
母や周りの人はそうでは無いと言ってくれるけれど、僕がそう受け取れるようになるまで、多分もっと時間が必要なのだろうなと感じる。
だけども不思議なもので、動画を見たり記事を読んだりしていると、大学に行かなかったからこそそこから考えられるものも多いんじゃないかなんて思ったりする。
進学すれば良かったと思うこと、
就職すれば良かったと思うこと、
自分のペースで生きること、
自分の選択を悔やむこと、
自分の選択を正しいと信じること、
悔やんだことや日々の中で考えたことをこの先に活かしていこうと思うこと、
これらはもしかしたら大学に行っても思う事なのかもしれないけど、自発的に見つけられた事は僕にとってとても成長であり、またそれを見つけるきっかけになってくれた彼らを尊敬していられることを誇りに思えるのだ。
もっと早く出会えていたら僕の未来は変わっていたのかなと思うけれども、その反面今出会えたからこそ考えられることもたくさんある。
彼らは今や教育産業の中でも一流の企業なんじゃないかと僕は思う。
もし、いつか彼らに直接何かを伝えられる機会が出来たら、なんて言おうかなぁ、なんて思い描くのもまたとても楽しい。
興味がある方は是非、「東大発のクイズ集団」と調べて見てください。
今とは違う世界を開いてくれるきっかけになるかもしれません。
どうぞよしなに