『DIE WITH ZERO』を読んでみて・・・
新しい人生のミッション
自分が誇れる「思い出」を選択的に累加し、オンリーワンの人生を紡ぐ人が増やす
最近『DIE WITH ZERO』という本を読んだのだが、自分の人生の価値観が大きく変わる一冊であった。この本を読んで、自分が誇れる「思い出」を選択的に累加し、オンリーワンの人生を紡ぐ人が増やしたいという私の人生のミッションもできた。詳細について述べたい。
人生を振り返ると、最後に何が人生の価値として残るだろうか。
経済的資産、人間関係、名声、実績、社会的地位、思い出でしょうか。そこの捉え方は十人十色である。しかし、これらは自分の人生経験がもたらした「結果」に過ぎない。結果とは、「今」その瞬間を切り抜いたもので、背景にある過程なしには、存在し得ない。しかし、つい結果ばかりが脚光を浴び、過程は忘れられがちだ。死んだら、結果は無に帰してしまうのに。一方、過程は「生き様」や「共有された思い出」として、家族や仲間といった、大事な人の中で生き続ける。
だから、最後は人生の最終結果の過程に誇りを持てるかどうかが、どれだけ豊かな人生を送ったかを図る物差しになるのではないだろうか。過程は、振り返ることで「思い出」として脳内に刻まれる。つまり、人生の最後は「思い出の合計」が人生の総評価となる。
だからこそ、自分の「思い出」を選択的に設計しないと、社会の敷いたレールを進むだけの人生になってしまう。社会の敷いたレールとは、分かりやすい相対評価の競争のことだ。例えば、経済的資産の多寡、肩書きや社会的地位の優劣、収入の多寡などだ。
かくいう私も、相対評価の競争で勝つことが正解だと思っていた。しかし、そこでの競争の過程に意義を見出せない自分がいた。それは、私はただ「なんとなく」競争に参加していたからだ。いや、参加している自覚がないということは、「参加させられていた」という表現が正しいかもしれない。自分の経験を選択している感覚がないと、いとも簡単に相対評価の競争に参加させられてしまうのだ。
ただ、厄介なのは、このような相対評価は「分かりやすい」ことだ。分かりやすい故に、多くの人は、参加させられているという感覚なく、参加してしまうのだ。そしていざ参加すると、徐々に抜け出せにくくなる。歳を重ねるにつれて、安定志向になったり、体力が落ちたり、家庭の事情からリスクを取りにくくなったりするからだ。時間は待ってくれない。気づけば、時ばかりが経過し、自分が誇れる「思い出」を伴わない「結果」を突きつけられる。気づいた頃では、もう遅い。時間は取り戻せないからだ。
自分の人生の総評価は、「自分が」誇れる思い出の合計で決まる。納得するのか、後悔するのか、満足するのか、評価者は自分だ。そこに他人が入る余地は一切ない。つまり相対評価ではなく、絶対評価なのだ。だからこそ、ナンバーワンでなく、オンリーワンであるかどうかが、自分の人生の充実度合いを図る物差しとなる。
オンリーワンであるためには、選択的に「思い出」を累加する必要がある。そして累加された先にオンリーワンの人生が紡がれるのだ。そんな人生を紡ぐような人を増やすことが私のミッションである。
実現したいビジョン
「思い出」への投資を通じた心温まる経済圏の創出
経済圏とは、言い換えれば「人のコミュニティ」である。
「経済」という言葉を聞くと「物価」「為替」「賃金」などの「お金」をイメージする人が多いだろう。また、「経済成長」や「GDP年率〇〇%」という言葉を聞くと、国民のお金が増えて生活が豊かになるような感覚をイメージする人も多いだろう。このように、「経済」という言葉は、人々の生活を「お金」という物差しで図る概念のように捉えられがちだ。
しかし、経済を純粋に突き詰めると「お金」ではなく、「人」に至るのだ。その理由は単純だ。「モノ」や「サービス」を生み出すための生産活動には必ず人の労働を介しているからだ。モノやサービスは、「何かの問題を解決する手段」として捉えることもできる。つまり、何かの問題を解決するために人が労働しているのだ。全てのモノやサービスは、労働によって作られるという大原則がある。
しかし、その大原則は忘れられがちだ。私たちはつい、お金を使ってモノやサービスが手に入ると感じてしまう。本当は、お金で誰かの労働を消費しているのだ。お金の裏には必ず誰かの労働が存在している。人々の労働があるからこそ、お金に価値がある。お金はそれ自体で存在しているのではなく、人と人の活動の中に媒体として存在している。だから、経済は突き詰めると「人」に至るのだ。
私たちは、この生産活動の大原則と真摯に向き合わないといけない。生産活動を行う裏にいる人を想像すると、お金を「感謝のしるし」として捉えることができないだろうか。つまり、お金のやりとりとは、「感謝のやりとり」とも言い換えることができる。幸せにしてもらった感謝のしるしとして、お金を支払うのだ。「誰が働いて、誰が幸せになるのか」を考えるのだ。このように捉えるだけで、「経済」を全く違う人を中心とした概念として捉えることできる。
私が目指す世界は、このような経済圏だ。
「思い出」への投資を通じ、「誇り」と「感謝」が循環する心温まる経済圏を実現することを目指したい。